歳をとるということ

気がつけばもうじき57歳。自分が歳を食っていると同時に国も歳を食っている。それがよく分かるようになった。

生まれた時代は鍋底景気といわれた不景気な時。同世代は人口が少なく、小学校に入った時は空き教室だらけ。とは言え、まだ日本は活力に溢れていて、「頑張れば報われる」社会だったことは確かだった。

会社入社2年目で、それまで当たり前だったベースアップがなくなった。第二次オイルショックの影響だ。そしてバブル期にはペイペイの社員で、団塊の世代ほどのバブルの恩恵を受けることはなく、家を買うたびに負債を増やすことになった。家を買うとその場から価値が下落するという憂き目にあったのだが、これは郊外に住むことが当たり前の時代、皆が被った悲劇だ。実は都心に長く住んだ人間は、郊外生活を長く送った人間ほど悲惨な目にはあっていないことを最近知った。今更知ってもどうにもならないが。

親の世代ではとても考えられないことが次々と起きて、バブル景気の後始末のために、失われた20年を会社人生の真っ只中で送ることになった。そして、会社からようやく団塊の世代がいなくなって、そろそろという時、団塊ジュニアが下から押し寄せてきた。「一体、どうなっているんだよ」と思いながら、気がつけば、ほとんどの同期は役職定年を迎え、「後進の指導」という役回りになって社会から退きつつある。

そんなネガティブな人生評論をしている自分だが、やはり若い頃には「何でも出来そうな気持ち」だったし、「頑張れば報われるかもしれない」と感じたのは事実だ。何より、ささやかながらも夢というものがあった。

結果的には、ほとんどの夢は叶うこともなく、ごく普通の初老のおじさんの定年間際の姿なわけだが、早めに会社役員を経験した結果、同世代の他者よりも少し早めに会社人生を終えることになり、定年後の人生を早めに始めるに至った。今は自営業だ。

実は自分で仕事をするという経験は10年以上も前に一度経験している。その時は不安たっぷりだった。何しろ会社組織から出たことがなかったので、何でも自分でやるということ自体に慣れていなかった。今と違って、ネットも貧弱、SNSはなく、コンサルタントも大手の戦略コンサル以外は皆が独立系。横のつながりを作ってはみたが、自分のような専門性がある意味高すぎる人間はあまりおらず、当時の日本には自分の仕事のチャンスはあまりなかったようだ。そうは言っても営業活動は、かなりなりふり構わずというところだった。

ただ、若いというのは何ものにも代えがたく、「どんな仕事でもやる」ということに抵抗もなく、クライアントの怒りを買うことも一度や二度ではなかったが、それでもメゲないものだった。

また、40代当時の自分には、「人生の終点を見据えての仕事」という感覚はなく、「いつまでも生きる」ような錯覚さえあった。40代の人間は皆そんなものだろう。なので、多少時間のかかる勉強も厭わず、5年先、10年先の自分というものを常にイメージするのは当たり前だった。

「人生には先があって、そこには年齢を重ねた自分が、また別の人生を送っているかもしれない」とう想像を前向きに出来ていた、それが若い頃だった。

それでは今はどうか。

たぶん、同世代の人間からみれば、悠々自適とも映るであろう生き方ではあるが、「人生の終着点」から、今を逆算する自分がいる。常に、「年金受給まではあと何年で、いつまで元気で働いているのだろう、一体、何歳まで生きてしまうんだろう」ということを考えている。人間は死亡率100%であっても、自然死を選択することは出来ない。死ぬ年齢も分からない。

何しろ先進国で最悪ともいわれる、自力での老後の生活設計を強いられる制度を、ひしひしと感じるような状況だ。親世代とは比較にならないほど貧弱な年金、死ぬまで払う税金と社会保険。下手に病気をした瞬間にアウト。

大金持ちならいざしらず、親が金持ちなら何の関係もない老後不安も、地方から出てきた人間、それも普通の勤め人で、住む場所も自分で確保しなければならないとなれば、今の日本はかなりの綱渡りを余儀なくされる。その大変さ加減がよく自覚できたのはここ一、二年だ。

一方で、若年者の困窮というニュースが流れている。確かに夢と希望が溢れているはずの若い人に分配されない、機会が提供されない社会はおかしい。団塊世代以上の逃げ切り世代が潤沢な年金を受け取っているあたり、不条理を感じるのも事実だ。

しかし、日本という国では、その昔の世代が低福祉低負担というシステムを選んだわけで、世代内、世代間の分配を最小限にし、機会平等も最低限とした社会だ。格差が広がることを是として、その裏側で、多くの成功者が生まれることを期待したわけだ。幾度か、高福祉高負担社会を選択するチャンスもあったが、この国の国民はそれを選択しなかった。政治家と官僚が信用されない国で北欧型の高福祉社会を望むことは不可能である。

実際、同世代には孫さんや三木谷さんのような立派な起業家がいる。しかし、皆が立派な起業家にはなれるものではない。こう言っちゃおしまいかもしれないが、三木谷さん程度の英語力で英語が公用語の会社ってどうなんだろう?とも感じる。しかし、彼は彼なりに物凄く頑張って、周囲の人にもうまく可愛がられて、数少ないチャンスをしっかりと掴んで、これをモノにしたのだろう。そこには敬意を表するべきだろう。普通じゃ出来るものじゃない。経営者の苦労は並大抵ではない。それは自分も企業経営の経験があるので痛いほど分かる。

そういう偉い人たちには老後の不安など感じる暇もないのだろうが、そこら辺の普通のおじさんが、「さて、今いくら預金があって、これからどれだけ積増しして、年金受給後からの取崩でどこまで持つのか」という現実を考えると、びっくりするほど悲惨な老後の設計になる。ネットで調べると、まだ自分は相当マシの方らしいが、それでも「おいおい、いつからこんな貧しい国になったんだよ」と驚愕する。

こういう不安を心に抱きながら、「それでも生きていかねば」と思い、せめて人生が終わるまでは、自分の意志で自分の生き方を決めたいと思う。そのために働く。同時に、長生きは決して善ではないとも感じている。この国の制度設計に狂いが生じたのは、明らかに想定外の長寿社会の到来と少子化の同時進行が起きてしまったからだ。何故そうなったかを突き詰めることも重要であるが、想定外の長寿と少子化のいずれに手を打つべきか、ここも真剣な議論が必要だろう。

若い時には終わりがない人生の設計だったが、歳をとった今、社会の歪みをこれ以上大きくしないために自分は何が出来るのだろう、それは単に長寿を全うするというような話ではなかろうとつくづく感じる。社会に貢献できる体制をいかに維持し、長寿の引き換えとして社会の負担となる年金原資からの自分宛の分配をいかに低く抑え、もう一方の歪みである少子化対策に経費は割かれるべきだろう。

あくまで個人的な見解だが、この国には移民は似合わない。やはり、日本で生まれた(どんな人種でも、どんな組み合わせでもよいが)人がこの国を作って欲しいものだ。この辺の議論がさっぱり起きてこないのも不思議な話だ。

少子化対策経費であるならば、自分が頂戴するかもしれない年金の一部分を少子化対策に振り向けるくらいのことをされても文句はない(残念ながら全部持っていかれると生活が出来ない)。賦課方式の年金と一般財政は別だという声も聞こえてきそうだが、そんな綺麗事を言っているほど、この国に時間は残されていまい。そろそろ死にゆく年寄りと、この国を将来にわたって活かす若者のいずれを選択するのか、そろそろ決める時だろう。

自分が加齢していることと同時にこの国も加齢している。せめて遠い将来にでも、もう一回日本という国が若返って欲しい。夢と希望に満ち、活力のあった頃の日本を知っている世代として、強くそう思うこの頃だ。

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