季節外れのタンポポ

それは数年前の夏の終わりの頃だった。
昼下がり、新検見川駅のプラットホーム。
仕事先への訪問を終え、次の移動先へ向かおうとしていた時であった。
時折、雨が降ったりして不安定な天気だったが、午後から夏の日差しが戻っていた。
東京方面に向かう次の電車は間延びしていて、私はホームのベンチに腰掛け、仕方無く本を開いた。
その瞬間ホームの端っこに立っている若い女性と目が合ったような気がした。
年齢は20台前半ほど、とても可愛い女性であったが、それはあまり気にも留まらずに、私はすぐに読書に没頭した。
そのころ私は戦場ジャーナリストの橋田信介さんに傾倒していた。
視線が合った女性のことはすぐに意識から遠ざかるほど、活字を追い掛けていた。
ふと気付くと視界の前方に、女性の脚があった。
顔を上げると、先ほどの女性が私の目の前に居た。
「いったい、どうしたことなんだろう・・・」と私は思った。
彼女はたどたどしく言った。
「錦糸町はどっち側ですか?」
発音から察するにどうやら日本人ではないらしい。
海外から出稼ぎに来ている女性だと直感した。
「一番側だからこっちでいいですよ」 と私は答えた。
「同じ方向ですか?途中まで一緒にいいですか?」
「・・・・・?」
私はわけが分からず、うんともいいえともつかない曖昧な返事をしたような気がした。
中野行きの電車がホームに入ってきた。車内はがらがらであった。空席が一杯あるにも関わらず、彼女はぴったり私の隣にくっついて腰掛けた。
何だか話しをしたげな雰囲気であった。
私は都内までの道中を、読書で過ごしたかったのだが、何となく彼女の話し相手を努めてあげたほうが良いような気がして、そのままに座り続けた。
時折、彼女は突発的に突拍子も無い質問を私に投げかけてきた。
「今いくつですか?・・・」
「どんな仕事ですか?・・・」
「電話番号は?・・・」
日本語のボキャブラリーが未だ未だ少ないのだろう。
単発的に返答しても、話しが続かない。
おそらく夜の街で働いているのだろう。
彼女は、たどたどしくも、私と会話を続けることで、一駅一駅と近づきつつある不安と、一生懸命に対峙しているように見えた。
キャッチボールともつかない会話をしているうちに錦糸町に着いた。
扉が開いた。一瞬、彼女は躊躇したかのようだった。
逡巡を振り払うかのように、次の瞬間、彼女はスッと立ち上がり、これから仕事なんだ、と言いながら電車を降りた。
扉が閉まって、電車が動き出した瞬間、駅のホームから彼女は私に向かって笑顔で手を振った。
それは初めて見せた笑顔だった。
一陣の風が電車とホームの間を吹き渡った気がした。
手を振り続ける彼女の髪が風に揺れ、それはまるで、季節外れのタンポポのようにふわふわと可愛く舞っていた。

著者の谷尾 薫さんに人生相談を申込む

著者の谷尾 薫さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。