父の電子辞書

クラスで下から2番目だった私が、上から2番目になり、勉強に励むようになり、いわゆる真面目な生徒に方向転換し始めたとき…
欲しいものがあった。
電子辞書だった。
当時私の学年で電子辞書を持っている生徒は大変限られており、殆どの生徒が毎回の授業で分厚い紙辞書を机の上にドン、と置いていた。
私は別校舎にいる高校生の姉とのシェア。まぁストレスが溜まるものだった。
姉とはその頃何かと対立していた為、口をきくことも殆ど無く、辞書を貸してくれと頼むたびに鼻で笑われた。それが悔しくて、姉には2度と頼むまい、と心に誓ったものだ。
私は昔からモノをねだる事が多かった。本当に、多かった。
その度に買ってくれたのは…父だった。
「なんね、ももちゃん。しょうがなかね。」そう言って買ってくれるのが父だった。末っ子だったからか、私のことをいつも甘やかしていた。それに関して上の姉2人はいつも私に対して厳しく言った。
「あんた、どーせすぐ飽きるっちゃけん。」
姉2人の言う通りだった。私は父が買ってくれても、すぐに飽きては次のモノをねだった。
そんな私も…年を重ねるにつれ、父がどれだけ自分に愛情を注ぎ、信じてくれているのか…それを痛いくらい、肌で、心で感じるようになった。
父の寝室は畳の和室。ふすまは何年も使っているせいか開きが悪い。
「…お父さん。」
「なんね…?」
父は、いつも寝ているか、ダンベルで筋トレをしているか。
「お父さん。電子辞書…欲しい。勉強に使いたくて」
「…あんた、いくらするとね、電子辞書たぁ。」
その当時の電子辞書は安価で3万円は下らなかったと思う。初期の電化製品というのは値段がどうしても張るものだと大人になってから知ろうとは、その頃は思いもしなかった。
「…高い…」
私のズルいとこは、父に悟って欲しくて値段を言わないところだ。言えば買ってもらえないことを知っているからだ。
「…ももちゃん。高いけんね…はは。」そう言って父は背中を向けたまんまだった。
「うん、そうやんね。ありがとう。」
そう言って私はまたふすまを閉めた。私ももうそう幼くはなかった。買って買ってと人目をはばからずダダをごねる子どもではなかった。
「いつか…買うか。」
そう思っていた。
ある日の夕方のことだった。昔から第六感というものが何となくある私は、帰宅時にいつもと違う家の雰囲気に気付いたのだ。
そろりと部屋に入ると
"ももちゃんへ"
そう書かれた手紙の下に…電子辞書の入った箱があった。
ドクン
心臓が揺れた。
「お、お父さん…」そうつぶやいて、しばらく力が入らなかった。立ち尽くしていると父が部屋の扉をそっと開けた。
「…ももちゃん、おかえり。」
「お父さん…これ…どげんしたと?辞書…高かったやろ…」
「はは、買い物行ったついでたい。安かったと、特売しとったけんね!」
話を聞けば、在庫が無いかどうか頭を下げて店員さんに探してもらったらしい。その父を思い浮かべると、涙で前が見えなくなった。
それから今に至るまで、私はこの電子辞書を手放そうと思ったことは1度もない。今となっては古い型番だが、丈夫で今でも私の手伝いをしてくれる。
これから徐々に書いていくつもりではあるが、私の留学時代、うつ病寸前までいった英会話講師時代、そして現在の海外生活。私の歴史の中に、父の辞書はずっといる。
私は、父がどんな想いでこの辞書を買ってくれたのか、それが言葉でなくても伝わってくる。
父は私に勉強を頑張って欲しくて買ったのではないと思う。私が大事に、大事に使うことを信じて買ってくれたのだと思う。
だから私は父のその気持ちを裏切りたくないから、この辞書をずっとずっと大切にしていくのだと思う。
父を想い、今日も辞書を開く。

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