◼️ハネムーンで世界各地の観光名所をドレス姿の嫁を連れて巡った話◼️

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「ねー、見えるこの景色ー?!」

iPhoneのテレビ電話越しに僕が言った一言。

そこはイタリア フィレンチェ市の古い街並み。アルノ川にかかる橋と沈む夕陽を

遠く日本にいる彼女に画面越しで見せていた

15世紀のルネッサンス文化の中心となった街であり、街中が今でも石畳の道路で、屋根の色もオレンジ色で均一されている。

何百年前に建てられた建物ばかりが残り、

歴史文化都市にも指定されている街。

まるで絵手紙のようなその光景に

彼女は

「すごーい。。いつか一緒に行ってみたいなぁーー。」

そんな言葉をつぶやいていた。

周りにいる世界中からの観光客達の

視線なんて気にせず

iPhoneをスピーカー機能にして、

大きな日本語を喋りながら歩きまわった

この感動を少しでも日本にいる彼女に伝えたくて、ただ必死で周りの人の視線とかは恥とは思わなかった


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2012年の冬、ジュエリーの勉強をする為、僕は1人でイタリアに留学をしていた

世界一繊細なジュエリーと言われるFirenze styleという細かい細工がされた伝統技法を身につける為にやってきたのだ

日本でそのジュエリーを見たとき

身体中に衝撃が走り、自分でも作りたいと強く思い、一生懸命働いて貯金を始めて26歳の時に勉強をしにきた

当時の僕は1つ歳上の2年くらい付き合っていた彼女がいた。

仕事は美容師で給料は良くないながらも、技術を身につける事もあり毎晩、遅くまで働く彼女だ。

自分のやりたい事、したい事をすぐ口に出して実行してしまう僕とは反対に、

僕の意見に対しては

「うん、いいよ。」といつも明るく返事をくれて、どこにでもついてきてくれる彼女。

もちろん僕が、

「仕事辞めてイタリアにジュエリー学びに行こうと思うんだけど。」

と聞いたら、

「うん、いいよ。少しさみしいけど頑張ってきてね」

といつも応援してくれる彼女。

僕にとっては頼りがいがあるわけではないけど、いつも応援をしてくれる最強のパートナーだと思う。

留学も終わり日本に帰ってきてすぐ僕は

地元岐阜に小さいながらも、ジュエリーアトリエをオープンさせた。

向こうで習ってきた技法も使い、たくさんのジュエリーを作り続けた。

彼女が28才になる時、

彼女のお盆休みを使ってタイのバンコクに一緒に遊びに行く事になった。

料金は日本の普通のホテルくらいの価格で、全室スイートルームの5つ星ホテルを予約した。

彼女は仕事が多忙の為なかなか休みがとれないけど、お盆休みの4日間を使いハードだが

海外旅行にいこうと2人で計画した。

何気ない旅行だと彼女は思っていたかも知れない。

しかし、僕はこのバンコクの旅行に行くのに、人生で最大の覚悟を決めていた。


「プロポーズをしよう」


30歳までに子供が欲しいなと、昔彼女が言っていた事を僕はずっと頭の奥底の記憶として焼きついていた。

彼女は現在、28才である。

逆算すると今プロポーズして、29才の歳に結婚して30歳までには子供が欲しいという

僕なりの安直な計算方式だった。

バンコク旅行までにエンゲージリングを自分で製作した。

8角形のフランダースブリリアントカットのダイヤモンドを使った華奢なK18ピンクゴールドの指輪。

普段使いも出来て重ねて着けれる指輪にした。

バンコクでプロポーズを実行する場所は

もうネットでリサーチ済み。

地上247メートルの高さある世界一高いスカイBarだ

指輪は日本からウエストポーチに隠し持っていった。

4日間のバンコク旅行だか

2日目の夜にフォーマルな格好にウエストポーチという少し不釣合いを感じるポーチつけた格好で、

彼女とスカイBarに向かった

やたらスピードの速いエレベーターに乗り、あっという間に地上247メートルの世界についた


そこにはバンコクの街中が見渡せるとても綺麗な夜景と、世界中から集まる観光客で人がたくさんワイワイと楽しんでいる光景が目に入ってきた。夜風がとても涼しい。

さらに運良くJAZZのLiveをやっていて、とっても雰囲気が良い。

僕が思っていた以上に

プロポーズには持ってこいのシチュエーションではないか。

彼女とBarで軽く1.2杯飲んで、

みんながたくさんいる場所から少し離れ夜景の見える席に移動した

普段緊張しない僕もアルコールを入れないとやってられないくらい、話し出す度胸がなかった

まずバンコク旅行であった出来事などたわいもない話をしてから、今後の将来の話をした

宝飾業界なんて景気にとても左右される業界でバブル弾けた日本では右肩に下がる一方。

明るい未来なんてあるのか。しかしそんな世界で僕は勝負したい。と言ったら彼女は

「うん、いいよ。ジュエリーの仕事でイキイキ働いてる姿をこれからも見ていたい」

と言ってくれた。

一見イケイケで自信家の僕も本当は不安だらけだ。

そんな仕事で家族を養っていけるのか、まだまだ長い人生働きつづけることが出来るのか不安だったがその一言で全てが解消された

やりたいことをやらせてくれる彼女に感謝して自分の信じる道で勝負しようと決めた。

未来は自分で明るくするものだと。

それから、コッソリとウエストポーチから

僕はダイヤモンドの指輪を出して彼女に渡した

将来の事も話したし、いつも通りすぐに

「うん、いいよ」の返事がすぐもらえると僕は思ってた


しかし、彼女は指輪を見た瞬間に下を見て向きうつむいてしまった

しばらく沈黙があり、そして彼女が泣き出してまった

「ありがとう。これからもずっと宜しくね。」

その言葉に世界中の風が、うねりをあげカラフルな色をつけ空高く舞い上がった気分だった

周りの人たちのしゃべり声、料理を食べてるナイフの音、強く吹く風の音など

全てが音がなくなった。

その彼女の言葉が心に響いた

世界にこれほど心に響く言葉を受けたのは初めてだった。

いつも「うん、いいよ。」と連れ添ってくれる彼女から、

逆に「ありがとう」という感謝の気持ちを頂いたのだ

無事にプロポーズも成功してトラブルもなく楽しいバンコク旅行が終えたのだ。


その後の僕たちの結婚準備はすべて順調に進んだ

彼女の親への挨拶、両家顔合わせ、

さらに同棲までもスタートさせた

結婚式まで1年くらいは日にちがあった。

僕は結婚式よりもハネムーンの事で頭がいっぱい。

「ハネムーンはイタリアでいい??」

「うん、いいよ」

いつも通りの答えが返ってきてイタリアに行くことはすぐ決まった。

「美味しいパスタや、ピザ、ドルチェまでたくさん食べ歩きツアーしよーう!」

やっと2人でイタリアの街並みを歩く事が出来る。

留学時代に感動した僕の気持ちを共感してもらえる事自体が、僕は嬉しかった。


しかし、、、


問題が発生した。

そう、 僕らにはお金がなかった。

勢いでプロポーズしたが、僕は自分の仕事やスキルアップばかりにお金を投資しており、

ハネムーンにあてる資金なんて全く考えてもいなかったのだ。

一方、彼女は給料も安く、でも美容師という職業もあり、

お洋服やお化粧などオシャレもかかせない仕事。

「ま、ハネムーンまで1年くらいあるし一緒に貯金しよう!」

そんなところからスタートした2人だった。

まず、僕が彼女といったところはいつも会社の給料が振り込まれる銀行だった。

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