12年のOL生活から意を決しての起業!よしっ!頑張ろう!!と走り出したら・・母の急逝。沢山の方々の支えを頂き、辛さと苦しさを乗り越え、今、歩き出しました。

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起業を決意したのは、幼少期からの私の性格

「好奇心旺盛」「挑戦するのが好き」から。


幼少期、大学時代の留学、12年のOL生活、母の急逝。

私の人生を通して決意した「今」


その人生をご紹介します。

少し長いですが、お付き合い下さい(^∇^)


私は、千葉県柏市に生まれました。



         





昔から習い事が好きで、好奇心旺盛だった私は、
小学生から母の勧めで英会話教室へ通いました。

英語の先生とはご縁があり、先生に会いたくてレッスンに通っていました。

分からなかった言葉がわかるようになること。
学んだ言葉で、外人さん(当時の私は、こう呼んでいました)と
話せるようになることが、とにかく楽しくて仕方ありませんでした。





高校時代、「大学生になったらアメリカへ行く!」と決意!

大学は、英文科へ入学しました。




大学一年の春、念願のアメリカ・サンフランシス

コへホームステイ!!

暖かいホストファミリーと、ファミリーの家に滞在する沢山の世界の留学仲間に恵まれました。
そして、最高に楽しい一か月を過ごしました。




その後も、度々、ファミリーの家に滞在する学生生活を過ごし、
サンフランシスコと日本を行き来していました。
今でも、そのご縁は続いていて、
「私のもう一つの家族が、サンフランシスコにいる」
と思っているくらいです。




人生で初めてアメリカに行き、ホストファミリーの家に到着した日。
私以外のファミリー、留学生は、とても楽しそうにワイワイと食卓を囲んでいました。
でも、私は、急に、自分の英語力に自信が無くなってしまいました。
まったく言葉が出てこなく、会話に入っていくことが出来ませんでした。




その時、偶然一日だけ重なってステイした日本人の女の子がいました。
とにかく不安そうな顔をしていた私にこんな言葉を残してくれました。



「ここアメリカでは、黙って待っていても何も始まらないよ。
学校でも、自分から積極的に発言して、仲間に交じっていかないと、
皆と仲良く出来ないし、勉強にもならない。
せっかくお金払って来ているんだから、精一杯、自分から楽しんだほうがいいよ!」



その言葉で、私のスイッチが切り替わりました。

家でも学校でも、自分から話しかけるようになりました。
一人でも多く、一分一秒でも多く出会う人との交流をするようになりました。


 

          



家族、スクールメイトは勿論。
道で行きかう人、ショップ店員さん、駅員さん、電車で隣になった人、
友達の仲間などなど、とにかく積極的に交流し続けました。

ファミリーとも、寝る時間、勉強時間以外は
いつも一緒にいて話をしたり、DVDを観たりしていました。




学校でも、積極的に発言しました。
友達も作り、アフタースクールには、皆で出かけるようにもなりました。
イタリア人のスクールメイトが、最終日、
「楽しかったよ」といってHUGしてくれました。

「自分を仲間と思っていてくれたんだ」と感じ、
とても嬉しかったのを今でも鮮明に覚えています。




(ちなみに、私のスイッチを切り替えてくれた日本人の女の子とは
15年以上たった今でも、仲良くしています。)




海外へ出たことのなかった私が、
19歳で、たった一人で初めてアメリカへ行き
こんな大切な経験ができました。

それから、




            「人間、やってできないことはない!
           「自分から声をかけ、自分から行動すること!」




を学んだことで、その後の人生に大きな影響を与えました。




その後、私は大学3年生になり、就職活動を開始しました。

海外と、様々な国の人が行きかう空港という場が好きなことから
「グランドスタッフ」になるという夢がありました。

そこで、様々な会社を受験しましたが、すべて不合格。
自分の夢が断ち切られ、やりたいことも見えず、絶望的な、途方に暮れた就活でした・・・。

当時の私は、グランドスタッフしか見えていませんでした。

しかし、「大学後は就職」という世の中の常識から
「どうしても働かなきゃ!」と自分を奮い立たせていました。




そんな中、グランドスタッフ以外に興味がある世界に気付きました。
それは、父、兄が働いていて、幼いころから身近だった「建築、住宅」関係でした。
そして、「建築、住宅」関係の会社を受験していきました。




        

        



2001年4月建築総合商社へ入社。
仕入部へ配属されました。

主な仕事は、倉庫の商品管理・商品問い合わせ対応・値段交渉。




私は、両親に幼いころから
「一つ、誰にも負けない強味をつくりなさい。」と言われていました。

そこで、何万とある商品の中から一つ、
「これだけは誰にも負けない知識をつけよう!」と決めました。

ある商品について、分厚いカタログを毎日持ち帰り、隅から隅まで読み
理解・暗記する一年目を過ごしました。




私の部署は
お客様・・・営業部・・・仕入部・・・メーカー様
の位置づけでした。



会社としてのお客様と直接お話しさせて頂くことはありませんでした。
だけど、営業部の方々の先にはお客様がいらっしゃることを常に意識していました。

営業部からの問い合わせには、「迅速に・正しく・丁寧に」
をモットーとし、日々、仕事をしていました。
私にとっては、営業部がお客様。

入社当初は、とても忙しく・緊張感ある毎日で「必死!」でした。




その中で、
「相手の立場に立ち、仕事をする」
「聞かれたこと、プラスアルファの回答をする(聞かれたことだけを調べるのは誰でもできる。これも調べてあげた方が、営業さんが、その後の仕事をしやすいな。と思うことも調べて回答をする。)
を心掛け、仕事をしていました。




3年目あたりから、仕事にもなれ、仲間にもなれ
とっても楽しい社会人生活を送りました。
仕事も、プライベートも充実した日々。


 

        




しかし、五年目あたりから「これでいいのかな?」と思うようになりました。

「この仕事だけでいいのかな?」
「私の夢ってなんだっけ?」

と迷う日々が始まりました。

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