第二十六章 悪魔の銀行

第二十六章

「悪魔の銀行」

  私は塾をアパートの一室から始めた。生徒数が多くなり、自転車の置き場もなくなり近所に騒音などで迷惑もかけ、塾を建てる必要に迫られた。それで、銀行に相談した。20代の若造に、土地や建物のための資金があるわけがなかった。

  しかし、銀行によっては

「はっきり言わせてもらいますが、当行は大手塾を勝ち組、個人塾は負け組と思っています(融資などできるわけがないでしょう)」

 と、けんもほろろの対応だった。それも、応接間などに通してくれるわけもないのでお客も従業員もみんなの聞こえる状態で宣告された。私は、あの屈辱は一生忘れない。人間ができていないので、あれ以来知り合いや塾生にその銀行の対応の悪さを言い続けている。

 いつか潰れればいいと思っている。

 

 また、結婚する時も交際していた女性の母親から

「なんで名古屋大学まで出てアパートの一室の塾なんですか?」

 と罵倒された。教師になれば結婚させてやってもいいと言われた。小さなアパートの一室を借りている個人塾を世間ではどう思い、どう扱うかを骨身に染みるほど思い知らされた。資金の一助になるかもしれないと、名古屋の塾や予備校などに昼間だけの非常勤講師の職を求めて履歴書を送っても梨のつぶてだった。日本では、英検や通訳ガイドの国家試験のような公的資格のない講師は信用がなかった。

  塾生である中学生にさえ

「学校の先生は違うこと教えたよ。先生、大丈夫なの?」

  とバカにされる始末だった。

 

 貯金もない、資格もない、仕事は吹けば飛ぶような塾で、結婚もできない状態だった。

「大学に行かせてもらい、アメリカで勉強した結末がこれか・・・・」

 と途方に暮れた27歳だった。人はそういう闇をくぐらないと真剣にはなれないのだろう。結局、親が自分の宅地を担保に入れてくれて銀行の融資を受けられた。そして、猛勉強して英検1級に合格し、結婚もし、昼間の名古屋の仕事も見つかり、順調に塾を始められた。 

  しかし、私は自分に敵対した人を忘れてはいない。味方には10倍のもてなしを。敵には10倍返しを。これが、私のモットーなのだ。織田信長が好きなのだ。

 

  今は通知表は絶対評価で5がいくつ付けられてもいいが、私の頃は相対評価だから上位の7%に入らないと5はもらえなかった。私は北勢中学校を卒業する時、音楽以外は全て5だった。秀才だった。

 しかし、それでも上記のような世間の扱いなのだ。英検1級をとって名古屋の大規模塾で講師をしていても足りない。だから、50代で京大を7回も受けて成績開示をするハメになった。

  こんな片田舎で、絶対評価を使って

「ボクは5科目ともいつも90点を越えている。クラブと勉強を両立している」

  なんてほざく子もいるが、「ふざけんじゃねぇ」と思う。そんなことでは、私以上の屈辱的な扱いを受けるのは目に見えている。私はここまでやっても、ただの無名の田舎の塾講師だ。世間は甘くないぞ。

  そんなキミに融資する銀行などない。アパートの一室の塾さえ維持できない。それは間違いない。だから、私は塾生に365日24時間家庭学習中の質問を受け付けるという破格のサービスを提供している。これが高い合格率を支える理由のひとつだ。

  そうして、

「アイツは近づくとすごい得をする。しかし、敵にまわすと怖いヤツ」

  と思ってもらう。残念だけど、この日本社会はなめられると人間扱いしてもらえない。つまり、生きていけない。私は自己防衛のために、そうしているのであって臆病な銀行員を恨んだりしていない。恨んでいないけれど痛い目は見てもらうしかない。

  こんなヤクザのような姿勢はイヤだなぁ。でも、優しく言うと人扱いしてくれない人が多すぎる。せめて、話合いができる相手には優しくしたい。きつく当たるのは敵だけにしたい。

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