生まれてきただけで親孝行していた話

概要

26歳の春に、ふと母がしてくれた話です。
人とコミュニケーションを取るのが苦手で、孤立していた母。
そして、いつもフラフラとして唐突に留学したり関東に就職したりする親不孝な私。
しかし、そんな私が運んでいた思わぬ「プレゼント」があったのです。

単身嫁いで出産した母の孤独

母は元々、どちらかというと悲観的で心配性な人です。
そんな母はお見合いを機に父と結婚しましたが、時代も時代。実家に連絡をとれば「嫁いだ身なんだから」とあまり取り合ってもらえず、また父方の祖母にも厳しくされたともあって、一人頑張って嫁としての生活をしていたそうです。
また、母は人よりもよく考える人で、違うと思ったときは「違うんじゃない?」という人。
私には兄や姉がいますが、保護者会でもそのような調子なので「野瀬さんは変わった人」とママ仲間もできない状態だったと。
そんな母のもとで育った兄や姉も個性的でありまして、特に姉は中学生の頃はいじめにあったらしく、母もその事で悩んでいたそうです。

6年ぶりの次女が持ってきた新しい世界

そんな中で、私は姉と6つ離れて生まれました。
母にとっても6年ぶりの幼稚園、小学校・・・となる訳です。
3兄弟の中でも一際自由で個性的な性格に育った私ですが、時代が少し変わったのかラッキーだったのか、そんな性格ウェルカム!なお友達がたくさんできました。
それに伴って、母にも同じように個性的なママ友ができました。
変な気遣いもしなくて良い、集まりたい時にざくっと集まって、各々が自由に意見を言い合うような仲間。
そう、私が運んできたのは、そんな「縁」だったんです。
このママ友たちは、最初に出会ってから実に20年以上は経とうとしているというのに、未だに続く母の大事な「お友達」となったのです。

生まれてきただけで、本当によかったんだ

「ひろちゃんが生まれてこなかったら、もっと寂しかったと思うのよね。それはね、本当にありがたいと思ってるのよ」
その言葉を聞きながら、自分の「存在」が思わぬところに影響を与えていたことを知りました。
直接的にしてきた親孝行は兄弟の中でも恐らく最も少ないでしょう。
大学院にも行かせてもらったし、留学の援助もしてもらったし、関東への就職もさせてくれた。
いつも色んなことを突然決めるから、たくさん心配をかけてます。
あまりにも親不孝なので本当に申し訳ないと思っていた中での思わぬ小話でした。

「私が持っているもの」は思ったよりも多い

私が持っているもの、と言うと物的なものや自分が直接関わっているものを思い描きがちですが、こうして自分が媒介となってもたらすものもあることを知りました。
昨今は生まれてきた意味で悩む人も多いですが、こんな形の意味もあるんだよ、とそっと教えてあげたくなるような体験でした。

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