高木教育センターのありふれた日々(4)
高木教育センターのありふれた日々(4)
第三十一章「知らないと損をする」
第三十二章「あっち側と、こっち側」
第三十三章「打倒!四日市高校」
第三十四章「ナシ婚、ナシ校、2015年」
第三十五章「日本一の受験マニア」
第三十六章「下町ロケット」
第三十七章「胆管結石と通風の痛み」
第三十八章「私の指導力じゃない」
第三十九章「クールヘッド、ウォームハート」
第四十章 「Bくんのこと」
第三十一章
「知らないと損をする」
英語に「受験英語」「資格英語」「ネイティブ英語」がある日本の現状を憂えています。詳細はブログに書きましたし、Youtube にも投稿させてもらい反応はかなり大きかったです。硬い話にしてはね。
なんで、こんなおかしなことになっているのでしょう。これを読んで下さっている方は whose って関係代名詞をご存知ですか?今の中学校の教科書からは消えています。ご存知でしたか? whom も教えない。
文科省や教科書会社の言い分は明快で
「現実に余り使われていない」
ってこと。現場の教師はそのように教えている。
しかし、本当にそうなのかな。もちろん、大学入試では出まくり。だから、高校に入学した途端に関係代名詞が増える。問題集や参考書も扱う。それどころか、ほとんど使われない(ネイティブの感想です) take it for granted that - や no less than と not less than の違いとか文法学者顔負けの暗記をさせられる。
皆さんは山を「-座」と数えることは知ってみえますか?タンスは「-棹」。でも、多くの日本人は
「あそこに山がひとつある」
と言います。タンスは一個でしょうか。文法学者が、
「それは正しくない」
と言っても、誰も文法学者の言葉などに耳を貸さない。
中学校の英語は、この耳を貸さない日本人のような方針で教える。高校では、文法学者が正しいと教える。ここに齟齬がある。生徒が混乱するのが当たり前なのです。中学校までは現実主義で教えられ、高校になったら文法主義。
文科省、教科書会社、教育委員会!
「責任者は誰だ!いいかげんにしろ!!」
と言いたい。
これは、文科省がブレまくっているからだ。文法中心主義でいくのが、現実主義でいくのか。もちろん、現実主義でいくべきだと思う。京大を7回受けて得点開示して、
「京大の英語は現在使われている英語を評価する」
と推測された(かなり確かです)。
日本の教育界の「権威」が老害である可能性が高い。文科系の教授は、実験などで実証するのではなくて肩書きや権力で支えられている。だから、シェークスピアの時代のような英語を扱う参考書や問題集ができあがる。
私の立場は「下町ロケット」の社長より弱い零細塾の講師でしかない。文科省の大臣や役人が耳を貸すわけがない。いくら英検1級、通訳ガイドの国家試験、国連英検A級、ビジネス英検A級、京大二次試験8割でトップクラスと言っても、まったく負け犬の遠吠えほどの効果も及ぼせない。
そして、中学生や高校生は混乱のまま置かれる。おかしな話だ。
馳浩文科大臣は専修大学文学部国文学科卒のもとプロレスラー。私はこの方より英語に詳しい自信がある。しかし、今の日本は、四日市高校に落ちた先生が四日市高校受験生を指導し、英検2級の先生が1級や準1級の生徒を指導し、京大を落ちた先生が京大受験生を指導している。
格下のものが、格上のものを指導できるのでしょうか。全くおかしな社会が出来上がっている。
だから、私の優秀な塾生の子たちが
「あの先生は頭がおかしい」
と判断して、授業など聞いていないのは当たり前なのだ。内職をしている。道徳的に正しい行為と信じて、教師の指導どおりに宿題ばかりやっている子に未来はない。善良なのに気の毒だ。
放置できないと思うけれど、私には権力も発言力もない。
私の塾には、地元中学のトップクラスの子、四高や桑高のトップクラスの子が多く通ってもらっている。彼ら、彼女らは家業が医者とか保護者がプッシュして(犠牲も払って)息子さんや娘さんを旧帝や国立大の医学部に入れるため頑張ってみえる。
真剣なのだ。この自分の将来を賭けた戦いの舞台は「公平」で「ハイレベル」であって欲しい。
先の whose や whom は北勢中学校では習わなくても、隣の藤原中学校では教えている。北勢中学校の生徒は
「教科書にないから覚えなくていい!」
と本気で考えている。気の毒だ。私立高校では出題される可能性も高いのに。そんな頼りない教師たちの言うことに振り回されている。北勢中学校では去年も今年も、四日市高校に合格者は1名。規模の小さい藤原中学校は去年も今年も6名も合格している。
受験はシンプルに考えられる子が勝つ。どれだけ能率的に勉強できるか否か。その一点に全ての知恵と時間とエネルギーを注げた子が合格する。
第三十二章
「あっち側と、こっち側」
大学を卒業して、刈谷のある塾に勤務することになった。昨日まで教壇のこっち側に座っていたのに、今日からはあっち側に立つことになった。研修など一切なく、いきなり授業をしろとのことだった。後で分かったが、教師や講師の仕事は自動車運転と違う。手取り足取りしても無駄。道路とちがって生徒の反応はまちまちなので、全てが臨機応変なのだ。
もっと面食らったのは、自分の塾に四日市高校や暁6年制の特待生が来てくれた時のことだ。私は四日市高校から京大「医学部」に合格した同級生がいた。彼とは、同じ北勢船で通っていたので親しかった。でも、彼はあっち側の子で、私はこっち側の人間だと思っていた。上位の1ケタ順位に入る子は別格の子たちで、自分がどんなに頑張っても手が届かない遥かなあっち側だった。
私は何がなんでも追いつこうとジタバタしたあげくに、身体に変調をきたし入院騒ぎを起こしてしまうほどだった。英語が多少得意というだけで、運動も、芸術も、なにも取り立てて優れた長所がないので
「これでは生きてゆけないなぁ・・・」
と途方に暮れた。でも、生きてゆかなければならない。塾で指導しながら帰宅後は英語の勉強に明け暮れた。それで、30歳の時に英検1級に合格した時は驚いてしまった。三重県で1人か2人しか合格しないことを知っていたからだ。私は、そんなあっち側の人間ではないと信じていたからだ。
そして、気づいた。あっち側とこっち側なんて存在しないってこと。英検1級に合格はしたけれど何も変わらなかった。私はバカのままで何も悟れない。経済的に裕福になったわけでもない。賢い塾生の子たちからの信頼感が多少は改善された程度のこと。
ところが、この権威の否定というか心理的な壁の崩壊は後の人生に大きな影響を与えることになった。壁がないのだから、とにかく進めば何とかなる。そんな楽観的な人生観が生まれた。
自分が文系人間だと信じていたが、塾生の方から
「高校数学の指導もお願いできませんか?」
と依頼された時も
「何とかなるだろう」
と引き受けた。結局、10年ほどジタバタした末に京大二次試験で7割のレベルまで到達したことを成績開示で確認した。今では小さな頃に記号の羅列にしか見えなかった英語が日本語と同じように読めるし、中学時代に無意味な記号の羅列にしか見えなかった微積分の数式を自由に操れるようになった。
あっち側と思っていた世界が、いつの間にかこっち側になっていた。いや、そんな壁などもともとなかったのだ。
日本では高校で文系と理系に分けて指導する。社会では勝ち組と負け組みに分けられる。それは、仕方ないのだ。みなさんも
「あのラーメン屋はうまい。こっちは不味い」
と分けるはずだし、病気になったらやぶ医者より名医にかかりたい。平気で分類する。
私の亡くなった父は町の靴屋さんだった。私は生まれた時から商売人の息子だったから繁盛する店や人気のない店に敏感だった。だから、学校や塾でも上位層や底辺層に分けたりランキング付けをすることが当たり前だと思った。
それが、北勢中学校に行ったら
「順位は教えない。それは差別につながるから」
と言われてビックリした。なんという綺麗ごと。あまりに社会の実情とズレた説明。だから、私は教師の言うことなど耳を貸さなかった。中学三年生の夏休みには、学年主任に電話して宿題はやらないで自分の選んだテキストで勉強すると宣言した。
差別と騒ぐのは、徹底的にやらない中途半端なことをするからだ。私は文系人間に分類されたけれど、今は数学Ⅲを指導する数学講師でもある。塾生には毎年「京大医学部」を受験する子がいる。
こっち側だと思っていたけど、あっち側に入って指導している。そもそも、そんな分類など意味がない。不味いラーメン店も、研究を続ける意欲があれば旨いラーメン店に返信することも可能なのだ。
本当の平等とは、徹底的にやる競争のもとで生まれる。それなのに、競争そのものを否定するのは現実に無知だから。
あっち側とこっち側、文系と理系、勝ち組と負け組み。それは、固定したものではない。その壁はみんなが思っているほど高くない。高いと思ったり、壁が絶対と思うのは自分の心の問題であって、誰かのせいではない。誰かの分類を受け入れる必要もない。
第三十三章
「打倒!四日市高校」
近年の四日市高校の京都大学の合格者数は以下のようになっている。
京都大学合格者数(四日市高校、定員360名)
H27 H26 H25 H24
京都大学 12 8 16 10
年度による変動はあるが、10名前後を行ったり来たり。私が塾のHPで「京大英語」を載せ始めたのが4年前。以来、3年間連続して京大に2名の合格者が出た。そして、今年初めて10名の京大受験生を抱えている。
4年前は「打倒!四日市高校」など夢物語だった。四日市高校は私がいた頃からずっと、三重県の県立高校の不動のナンバーワンであり続けている。しかし、私は四高に愛校心がないので躊躇なく打倒できる。
ここ「いなべ市」では北勢中学校が去年も今年も四高合格者が1名という異常事態が続いている。京大合格者はその四高の上位3%くらいしか合格できないのだから難しいに決まっている。
ここは日本一教育熱が低い地区と言っていいと思う。お隣の桑名市では20名ほども四高合格者が出ているのに、1名というのがいかに異常なのか分かってもらえるだろう。
私が英検1級に合格しても
「それって、難しいの?」
だし、京都大学の二次試験「数学」で7割をとってみせても
「ダメじゃん、先生が70点では!」
と言う始末。これでは、何を指導しても全く意味がない。親がいるので今はここを離れられないが、私は必要とされていないと思った。それで、通信生のページを作りプロブやYoutubeを投稿し始めたら北海道から鹿児島まで申し込みが来てビックリした。
さらに驚いたことは、成績優秀な高校生の子が桑名や四日市という都市部から逆流して田舎のいなべ市に来てくれるようになったこと。やはり、都市部では受け入れられるようだ。
私の塾生の優秀な子たちは、
「絶対にいなべなんか出て行く!」
という子が多い。日沖靖市長は、優秀な人材が毎年ここから流出していることをご存じなのだろうか?どんどん過疎が進むではないか。いくら工場を誘致しても、優秀な人が都会に流れては地方は廃るばかり。
主格 所有格 目的格
人 who whose whom
モノ which whose which
なんで、隣の藤原中学校では whose を教えるのに北勢中学校では教えないのか。そんなことだから
「学校で聞いてないよぉ」
となり、
「覚えなくていい。出題されない」
となる。あと半年で同じ高校に通うのに、気の毒だ。
そんなことだから、当塾の理系女子は
「あの先生はダメ」
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