第四十三章 なんで数学者なのに、神様を信じる人がいるのか

第四十三章

「なんで数学者なのに、神様を信じる人がいるのか

  ボールを打つと

「すごい!あれならホームランだ!」

  と思う子もいる。その打球を目で追いながら

「あれは放物線だ」

 と思う子もいる。あるいは、カテナリーと似ていると思うかもしれない。

カテナリー曲線(カテナリーきょくせん、: catenary)または懸垂曲線(けんすいきょくせん)または懸垂線(けんすいせん)とは、ロープ電線などの両端を持って垂らしたときにできる曲線である。カテナリーの名はホイヘンスによるもので、"catena" (カテーナ、ラテン語で「鎖、絆」の意) に由来する。カテナリー曲線をあらわす式を最初に得たのはヨハン・ベルヌーイライプニッツらで、1691のことである。

 カテナリーが三角関数で表現できると知っている子もいるだろう。つまり、同じモノを見ても学力の度合いによって違ってみえるわけだ。中学レベルの放物線を習えば人工衛星の仕組みも分かる。

 私は字幕スーパーがなくても英語の映画が楽しめるし、英語の歌は歌詞を見なくても大抵は理解できる。高校生の頃まではチンプンカンプンだったが、今では英語が自由に読める。同じ音声を聞いても違って聞こえる。知識があれば記号も意味を持つ。

 私は、この素晴らしさを生徒の子たちに少しでもいいから伝えたい。そういう思いが無ければ、英検1級など受けなかった。京大を7回も受けなかった。こんなブログを書いていない。

 頑張っていたら、神様は私に才能豊かな生徒の子たちを預けてくれた。意図してやったわけではない。この世は全てが見通せるほどシンプルではない。どの参考書、どの問題集が良いのか。そういう些細なことではなく、数学や英語が自分の目を大きく開けてくれる喜びがなければ環境を整えても意味がない。

 夜空を見上げたら、

「あぁ、自分は過去の世界を見ているのだなぁ」 

 とか、

「あそこで核融合が起こっているのか。ところで、核融合ってなんだ?」

 勉強の種など、どこにでもある。しかし、無知だと

「見ているのに、見えていない」

 ことになる。私は数学の問題にヒントを出しながら、よく思うのだ。

「あぁ、この子にはヒントには聞こえていない」

 自分の手足が動いていることさえ、私には不思議なのだ。優秀な理系の生徒とは、この不思議な思いが共有できる。勉強嫌いの子は

「何を食べると成績が上がりますか?」

 と言った質問しか出てこない。そんなことではなくて、

「三角関数の媒介変数表示が、なんでこんなに綺麗な曲線を表すんだ?」

 という疑問が大切。そこから数学の問題を解く強い動機づけが引き起こされる。そして、追求すればするほど

「いったい、この世はどうなってんの?」

 と疑問が膨らむ。

「この世は、なんでこんなに精密で美しい数式で表現できる構造なんだ?」

 と、何となく創造主の存在が感じられてくる。

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