第七十四章 26歳、無職、貯金なし、彼女なし、資格なし、何にもなしのボクだった

第七十四章

「26歳、無職、貯金なし、彼女なし、資格なし、何にもなしのボクだった」

  人生、相当頑張っても危機は避けられないようだ。仕事をやめてアメリカに行ったのはいいが、帰国する時に名古屋の7つの予備校、塾に履歴書を送っても返事はゼロだった。つまり、失業した。アメリカでお金を使い果たしていたし、これといった資格を持っているでもなかったから、いきなり生活に困った。

  それで、近所の小さなアパートの一室を借りて「学習塾」を始めた。他にやれることがなかったのだ。クーラーを買うお金もないので、中古のクーラーを買ったら効きが悪いだけでなく、すぐ壊れた。生徒が勝手に自転車をとめるから近所から苦情が来るし、親からは

「娘が帰り道でスカートめくられた!そんなこと教えとんのか!」

 と怒鳴られた。銀行に行ったら

「大手が勝ち組、個人塾は負け組み」

 と相手にされず、つきあっていた彼女の親からは

「なんで、国立大学を出てまで塾なんかやってんの?先生なら嫁にやる」

 と言われた。田舎の小さな塾講師など、人間扱いされないのだ。結婚もできないのだ。要するに、社会のゴミのような存在らしい。

「これではならぬ!」

  と思い、本当に朝から晩まで英語の勉強をした。大学出てまで猛勉強になるとは思っていなかった。そして、3年後に英検1級や通訳ガイドの国家試験に合格し、名古屋の大規模塾の非常勤講師をし、貯金をためて確定申告を青色に変えて、別の信用金庫に相談し、親や親戚に連帯保証人になってくれと頼み込み、やっと塾を建てた。

  塾生数が100名を越えて、カッコがついたところで結婚できた。駆け落ち同然だったけど。また、地元の名士の子や北勢中学校や東員第二中学校のトップクラスの子たちが来てくれて、塾の知名度が上がり評価も上がっていった。

  その頃に雑誌に紹介されたり、新聞に紹介されたりした。また、ネットが普及しだしたので、Youtube に投稿し、ブログを書き始めた。すると、3万回再生されたり、受験生ジャンルでランキング1位になったりした。たぶん、京大を7回受けて成績開示したことがインパクトを与えたのだと思う。

  しかし、頑張ったらもと奥さんから

「仕事と私とどっちが大切なの!」

 とダメ出しを受けてバツイチ。50歳にして、貯金なし、奥さんなしになってしまった。世の中うまくいかない。こどもたちが成人して独立したので、チョンガーでも構わない。もう女性は懲り懲りだ。

  社会の扱いは、いまだに改善されない。卒業生が京大医学部、阪大医学部、名大医学部に合格し、通信生は北海道から九州まで広がっている。それでも

「たかが田舎の塾講師」

 と非常に軽く扱われる。日本人は肩書きと知名度とお金がすべてらしい。どんな資格をとっても、指導した生徒が難関校に合格しても、生徒たちから信頼されても

「田舎の塾講師」

 という名前だけで、何にもなしの扱いになる。なんでだろう?肩書きを外した、1対1の勝負なら地元の教師などに負ける気がしないのに。こっちは、身を削って30年間戦ってきた。社会に出たことのない温室公務員教師になど実力で負けるわけがないのに。

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