君の哀しみが癒せたなら...2


過去の記憶、言えなかった言葉、ほんとうの気持ち。。日々の暮らしの中に人生が

織り込まれていきます。そのときはそうと気づかなくても。。




三日月

「麗ちゃん、今日は6時に韮沢さんが来るからね。」

マスターに言われて振り向いた麗子は慌てて返事をした。

「は〜い」

(6時だなんてあと30分しかないじゃない。)と麗子は心の中で文句を言う。

「なんだかね、電話の声も元気なさそうだからさ。。」

念を押すように重ねて言われ、麗子は苦笑しつつ冷蔵庫をチェックした。

中を見て足りないものを確認し、麗子はマスターに言った。

「買い物行ってきま〜す」

電話中のマスターが振り向いてうなづくのを確認すると、麗子は店の裏口から

外に出た。後ろからマスターの声が追いかけてきた。

「ついでにティッシュもお願いねー!」「は〜い!」返事をして麗子は近くの

スーパーまで急ぐ。

手早く買い物をすませて店へ戻ると既に一組客が来ていた。

いつも早い時間に来るカップルだ。

二人ともたいてい2杯ずつカクテルを飲んでいく。

この日の一杯目。男性はウォッカマティーニ。

女性はマンハッタンだった。彼女のはチェリーの代わりにパセリを使う

ので正しくはセントラルパークと言うカクテルだ。

この店ではマティーニのオリーブは別に添えて出すので、

いつもどちらがオリーブを食べるか見てしまう。

今日はどうやらマスターがオリーブをサービスしたみたいで、

二人とも仲良くオリーブをつついていた。

これから二人で行く店の話を楽しげにしている。

麗子は買ってきたものを手早くしまった。

やがてサラリーマンらしい2人連れが新たに店に入ってきて、マスターに

ビールを注文した。

「おかわりを。何かおすすめをお願いします」先ほどの女性の方が麗子に言った。

「じゃあ、俺も。。」隣の男性もうなづいた。

麗子は二マスターと交代してシェイカーを振った。

女性には桃とオレンジ風味のリキュールにフレッシュなパイナップルと

グレープフルーツのジュースを加えたもの。

飲みやすく、食前酒としてもおすすめの一杯だ。

男性にはドライ・ジンとシャルトリューズ・ヴェールにレモンジュースを効かせて。

それぞれグラスに注いでカップルに供すると二人はにっこりと笑った。

「麗ちゃん、カクテル作るの上手くなったよね」一口口をつけて男性が言う。

「ほんと。美味しいわ」女性も嬉しそうに相づちをうっている。

「ありがとうございます。」麗子もにっこりと微笑んだ。

麗子がこの店で働くようになってから2年が経つ。

カウンターだけの小さな店だが、この街では結構人気の店だった。

マスターの田宮ともう一人川口くんというバーテンダー、それに麗子の

3人でやっている。

今日は木曜日なので麗子は本来休みのはずだが、川口くんと休みを交代

しての出勤だった。

「韮沢さんが来る。。」麗子は心の中で思う。

韮沢さんというのは最近店に来るようになった客で年の頃は20代半ばらしい。

お酒を飲むのが楽しいらしく、よく店にも顔を出すようになっていた。

特にバーテンダーの川口くんがメインで店に立つ木曜と金曜はほとんど開店と

同時に来て真夜中までいる。

他の客から聞いた話では、店を閉めた後、韮沢さんが川口君を追いかけていった

こともあるらしい。「ああ、またか。。」と正直思った。

川口くんは一人で店に来る女性客の人気者だったからだ。

本人はこれといってイケメンでもなくいたって平凡なのだが、何故だか女の客には

モテていつの間にか女性が本気になってしまうということがよくあった。

女性をその気にさせないように振る舞うことができない川口くんは

マスターの田宮の悩みの種でもある。

と、言っても麗子は彼女たちの淋しさがそうさせているので仕方がないことだと思っている。

そしてそういう女は熱が上がってしまうとそれを上手に冷ますのがヘタなのだ。

かつての麗子がそうだったように。。。

カウンター越しに外をみると、韮沢さんが青い顔をしてやってくるのが見えた。

マスターが麗子に声をかける。

「なだめてやってよね。」

ガラスの重いドアを開けると、韮沢さんは今にも泣き出しそうな顔で麗子を見た。

「川口くん、今日は来ないの?」

「ええ。今日はお休みなんですよ」麗子は自然な笑顔で答えた。

「私、嫌われちゃったかな。。」ほとんどつぶやくように韮沢さんが言う。

麗子は彼女の言葉が聞こえなかったかのように、グラスを磨きながら韮沢さんを見た。

「何をお作りしましょうか?」

「適当に作ってください」韮沢さんは小さな声でつぶやくように言った。

麗子は冷蔵庫から氷を取り出すと、ミキサーで氷を細かくし、水玉模様の入った

江戸切子の美しいグラスに上品に盛った。

その上に砂糖とバルサミコビネガーとアプリコットブランデーでマリネした苺をたっぷりのせて

上からDITAとをまわしかけ、ミントの葉を添える。

苺は一晩置いて、寝かせてあるので表面がとろっとしていて甘みも増している。

韮沢さんの前にサーヴすると、「スペシャルです」と言って麗子はにっこり笑った。

「これ何ですか?」韮沢さんは怪訝そうな顔だ。

「心を溶かすかき氷です」麗子はスプーンを差し出す。

「苺をつぶしながら食べると美味しいですよ」

「心を溶かす?」韮沢さんはエクステの睫毛をぱちぱちさせて、

黙って苺を一粒口に運んだ。

冷たい氷と苺が喉をつたっていく。

ブランデーやリキュールの香りも華やかに香った。

「美味しい。。」びっくりしたように目をあげる。

3口ほど食べると、韮沢さんはゆっくりと語り始めた。

アルコールが効いてきたのかこわばっていた体から緊張がとけているようだった。

「私ね、彼のことしか考えてなかったの。

川口君のこと。知ってるでしょ?私が彼に夢中になってたこと。

ずっと追いかけてた。彼も私のことを想ってくれてるはずだって信じて。

彼が私を幸せにしてくれるんだって思い込んでた。

でも追いかければ追いかけるほど彼はどんどん遠ざかっていくの。

。私の独りよがりだったんですよね。

なんだか今はちっとも楽しくないの。これじゃだめですよね。

自分を大事にするってこと、初めて考えました。

これがわかってなかった。

自分を大事にするっていうことは

相手のことも大事にできるっていうことですよね?

私にはそれができていなかったから。。

あ、これすごく美味しいです。

こんな美味しいかき氷は初めて。

ほんとに心を溶かしてくれるかも」韮沢さんはまじめな顔で言う。

「ありがとうございます。」

麗子は微笑んで答えながら省吾のことを思い出していた。

平沢省吾は女たらしだった。

そうと知っていて付き合ったのは省吾のことが好きだったからにはちがいない。

麗子と一緒のときの省吾は、すごく優しくてまるでその目には麗子しか

映っていないかのように振る舞う。

当時、麗子は省吾の優しさを本物だと信じたくて、悪い噂を聞いても信じようとは

しなかった。そして、心の中ではいつも自分には省吾しかいないのだと言い聞かせていた。

彼しかいないのだから。。その想いが麗子を縛り、自由な感じ方を麻痺させていた。

本当はもっと自分にふさわしい相手がいるのかもしれないという思いを遠ざけておくのは

やはり一人になってしまうのはいやだという気持ちが強いからだった。

自分の価値をとても低く捉えていたのだろう。

その頃の麗子は一人を楽しむことができなかった。

どこへ行くのにも省吾が一緒でないと尻込みし、カフェですら一人で入ることができない。

いつも省吾の予定を優先し、電話で呼び出されれば、どんなに眠たくても忙しくても

駆けつけた。スケジュールはいつも省吾のために空けてある。

電話がかかってこないと不安で5分おきに自分から電話したこともあった。

「な〜に?」少し不機嫌な省吾の声を聞いて、側に誰か別の女がいるのでは?と

余計に不安になって落ち込んだ。

ひとり部屋で泣いていると次第に腹が立ってきて、そんな時、麗子は省吾とよく行くBarへ

一人で飲みにいった。荒い飲み方をして最後には泣き出すという最悪な客だったと麗子は

昔の自分の姿を思いながら苦笑した。

だけど_。それでも麗子はその頃の自分を懐かしく思っている。

いちずだった自分をどこかまぶしく思う。

あれからいくつかの恋をして、今、麗子はひとりでいることを怖いとか不安だとかあまり

感じなくなった。現在の恋人とは3年越しの付き合いだが、たぶん結婚はしないだろう。

決してそのほうが気楽だから、ではなく。

人生を楽しんでいるかどうかは自分の心に聞いてみればいいのだ。

素直になって。。

「ごちそうさまでした」

気づくと韮沢さんはかき氷を食べ終えてにっこりと笑った。

まだ淋しげな笑顔だけれど、目に少しだけ力が蘇っている。

麗子も笑顔を返す。

外はすっかり暗くなった。

この街にいつもの夜が訪れる。

今夜はきっと三日月が綺麗に見えるに違いない。

三日月のことを思える幸せ。。。と、麗子は思った。

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