第九十一章 無知の喜び

第九十一章

「無知の喜び」

  赤ん坊やペットの瞳をのぞきこむと、その尋常ではない澄み方に驚嘆することがある。まるで心の中が空っぽというか、純粋そのものであることが分かる。ところが、大人の瞳は濁っていることが多い。自分も含めて、打算や妬みや謀略が渦巻いている。

  私も小さい頃は女子が天使に見えることがあった。金メダリストが偉人に見えることもあった。しかし、中学生の頃になると女子も自分と同じイジメもすれば裏切りもする。金メダリストも、自分の教え子に手を出したりする。つまり、タダの人間だと分かってくる。

  何も知らない無知の頃のように、女子をピカピカに見えた方が楽しかった。メダリストをめざして頑張る人生の方が楽しかった。しかし、もう元に戻れない。それでも、できるだけ純粋な気持ちを維持しないと人生が楽しくない。

  その鍵を私は知っている。ユタでの経験だ。ユタ州は、末日聖徒イエスキリスト教会が作った州だ。敬虔なキリスト教徒が多い。最初、ユタ州に行った時はあまりの親切さやお人好しさに驚き

「こんな人たちが日本に来たら、人を信用しすぎてすぐ騙される」

 と思った。しかし、しばらくすると

「人を信頼できる生活って、こんなに素晴らしいことなんだ」

 と気づいた。良い人たちに囲まれて生活すると人生が変わってみえる。だから、出来るだけ犯罪傾向のある人、素行不良な子、悪意の言葉などから遠ざかること。これが、自分の人生を守ることだと気づいた。

  あれ以来、私は人に何を言われても

「できるだけ素行の悪い人は避ける。運悪く出会ったら、即頭の中から削除」

 と決めている。無知で善意のある人が一番かもしれないが、無知では悪意のある人の犠牲者にさせられる。だから、勉強はするが、基本的なマナーや礼儀を欠いた人には近寄らない。

  たとえば、この地区には八幡祭という行事がある。クリスチャンである私は協力は出来ない。協力するのが当たり前という人は、信教の自由という基本的人権が見えない人だ。私はそういう人が苦手だ。

相手の心の中に土足で踏み込んでくる。

同業者からの妨害も同じことだ。正式に訴えはしないが、違法スレスレのことを平気でやる。泣き寝入りはしないが、無駄に時間とエネルギーを使いたくない。相手の土俵に乗ると自分までバカになる気がする。

自分のやっていることが分かっていない人が多いので困る。

私は、受験に真剣に取り組んでいる生徒を指導することに時間とエネルギーを使いたいのでバカの相手をしている暇はない。数列やベクトルや複素数の問題を解いている方が聖徒のためになる。それが私の仕事であって、誹謗中傷の相手をすることではないから。

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