4 日本の高校体験入学

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モイケル娘(彼女の日本名をポルトガル語式に発音すると、そのように聞こえるので、
これが彼女の呼び名になっていました。今回からこの呼び名を使おうと思います)の
日本のミュージックスクールへの夢は、取寄せたガイドブックのそのあまりにも高額
な受講料を目の前に、ただ笑うしかなかったのでした。

受講料が東京の私立大学どころではございません。
才能云々以前に、ピラミッドの如く立ちはだかる親の財布の中身という現実の壁。
 諭すまでもなく、これで一発、本人は目が覚めたのでしょう。

ショックで案内書はゴミ箱になったようで、娘の見た夢の亡骸のごときを目にした
母のわたしも「^^;」な面持ちでそれを
見て見ぬ振りしたのでした。 可哀想では
あったが、本当にその道に進みたかったら、
チャンスはいつか来るぞ! 夢の実現は
見続ける事が第一歩なのだ、と心密かに思っ
て激励した母でした。


2002
年夏、2年ぶりに今回は娘と二人で帰国です。
子供たちには、帰国する時は小学生時代から、できるだけ「体験入学」という日本の
教育制度を 利用させてもらうようにしてきました。日本人として、ちゃんとした日本語を
身につける方法は、これであろうと、判断したからです。ちなみにこの当時、わが子たち
は日本国籍、父親のポルトガル国籍の二重国籍を保持することができました。

さて、「体験入学」言うのは、海外に住む日本国籍を所有する義務教育学齢にある子供
たちを夏休みなどの一定期間受け入れ、日本の学校体験をさせてくれる制度です。 帰国
する前に滞在区域が所轄になる学校へ連絡を取りお願いします。 住民票が要りますから、
一旦転入届を市役所に届出ます。学校では、万が一、 事故が起こった場合の責任問題が
残りますから、個人で保険に入るか、もしくは 「責任所在は親にある」と一筆書くか致します。

ポルトガルの学校は6、7月が学年末になり、その一週間ほどを欠席して体験入学をする
ことになります。 少し煩わしい体験入学申請手続き、こちらの学校の欠席など考慮しても、
日本での体験入学は大いに価値があると判断したり。

小中学校の体験入学は義務教育にあたりますから、どこでもたいがい受け入れてもらえ
ます。 が、高校となると公立は無理です。もいける娘の場合は、帰国子女の受け皿校で
あった 「東京学芸大学付属高校・大泉学園」に思い切って連絡をとってみたのでした。
日本の普通の高校とは雰囲気もカリキュラムも少し違っていましたが、ここに、 もいける娘は
一夏通学することになりました。 生まれて初めて、一人でラッシュ時の混雑した電車通学が、
かなり刺激的ではあったようです。

こんな具合で、彼女の日本の大学受験の夢は大きく膨らむばかり。 膨らまないのは、その
手助けをしなければならない親の懐具合でありました。

受験のための帰国費用、受験費用、間違って合格してしまったら、その後の 一切合財の入学
費用、それに毎月の生活費。 毎月の授業料がなんとかなったら生活はどうするのだ? 生活
費がなんとかできたら、授業料はどこから出るのだ? と、こんな具合です。

娘よ、こりゃ、無理だ・・・

いよいよと彼女は「新聞専売店に住み込んで」の方法に傾いて 行きつつ参ります。「新聞専売店住み込み」と言うのは、読売、朝日などの新聞社が、苦学生に入学費用等を貸してくれ、その替わり、東京の専売店に住み込んで朝夕の新聞配達、拡張、集金などの仕事をすることです。

実は、わたしは高校時代にそれを体験しているのであります。

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