「Dragon Night」とクリスマス休戦の話

SEKAI NO OWARIの「Dragon Night」の歌詞のイメージとなったのは、欧州では有名なエピソードである、第一次世界大戦時の西部戦線で起こった「クリスマス休戦」だったらしい。

1914年冬、時のローマ法王の休戦の呼びかけに呼応してか、クリスマス・イブの夜にドイツ側陣地に立てられたクリスマスツリーを見たイギリス側兵士が"Silent night"(きよしこの夜)"を歌い始める。ドイツ側も"Stille nacht"で応える。それぞれの塹壕から恐る恐る敵側の塹壕に向かって歩き出す兵士たち。

このようにして、独英両軍が対峙する戦線の約3分の一の部分で自然休戦が発生した。兵士たちはお互いにプレゼントを交換し、従軍司祭による合同ミサに参加したあと、サッカーに興じた。(しかし、国土を蹂躙されたフランス・ベルギー軍の塹壕では自然休戦は発生することはなかった。)

これに対し、両軍の司令部は前線の兵士の自主判断による休戦を厳禁し、このような休戦は最初で最後となった。

この出来事は、イギリスのスーパーによって製作された下の動画によってかなり正確に再現されている(最後のオチ以外)。イギリスでは、一次大戦にまつわる行事や祝日などもいまだに多く、この戦争が人々にとっていかに過酷であったかが伺われる。

https://www.youtube.com/watch?v=NWF2JBb1bvM

兵士は自らの意志で始めたものではない戦争に送り込まれ命を落とす。上級参謀や将軍は敵の銃砲弾によって命を落とすことのない安全な司令部で休戦を厳禁する。その100年後、先進各国の空軍司令部では空爆が決定され、爆弾を落とす側も落とされる側も我が身を危険にさらす。

きっと今年のクリスマスの日にも、世界のどこかでは決して自らが傷つくことのない者が下した命令によって戦い、命を落とす人々がいることだろう。

二度の大戦の経験を経て、(少なくともヨーロッパ人同士では)決して戦争を起こさないという決意のもとに設立された欧州評議会は、2001年にヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR)を公開した。

これは、通貨統合が達成された欧州で、次の一手として言語による「ヨーロッパ・アイデンティティ」の構築をめざしたものではあるが、もちろん、ヨーロッパの共通語を英語やフランス語、ドイツ語に統一したり、あるいは人工的な「ヨーロッパ語」を生み出そうとする試みではない。

方向性としては全く逆で、英語や、フランス語、ドイツ語などの大言語はもちろんのこと、バスク語などの小言語にも大言語と同じ価値づけを与え、全ての言語は等価で平等であり、「ヨーロッパ人」は少なくとも3つの言語を「知る(精通していなくてよい)」ことで、異言語、異文化に対する寛容な態度を育てていこうとする試みである。

このような複数の言語、文化を自らの身体の内部に取り込むことによって、多様性に基づいた社会統合をめざすことがCEFRの目的であり、これを複言語・複文化主義と言う。

約200年前、「自由・平等・博愛」という理念のもとに、国民国家アイデンティティを難産の末に生み出したヨーロッパは、21世紀、この自らが生み出した国民国家アイデンティティを乗り越える試みを始めた。

この壮大な社会実験は、今まさに進行中で、その成否は歴史が判断することになるだろう。

このCEFRに関連する仕事に多少なりとも関わる自分としては、この仕事によって、どのように世界と関わっていけるのだろうかと考える。

実はこの休戦を引き起こした直接の要因は、ドイツ軍兵士の中に戦前イギリスで働いていた者が多数おり、それらの人々が英語によるコミュニケーション能力を持っていたことだと言われている。

自分の仕事にひきつけて考えてしまっているのだけれど、「ことば」にはこのように国家や政治、組織による力学を一時的にでも融解し、共時的なコミュニティを出現させる力があるのではないだろうか、と信じたくなる。

そう信じたい。

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