離婚は必ずしも子供にとってマイナスではない。離婚を考えている人へ、大人になった私が伝えられる「親の離婚を経験した子供の気持ち」

「子供のために離婚はしない」なんて大きなお世話だ

私の両親は、私が11歳の頃に離婚している。

正確には、10歳の頃に母親が家を出て行き、11歳の頃に離婚が成立した。

特に裁判や離婚調停などを行っていたわけではなく、何度も話し合いを持った(多分)結果、離婚する時期が1年後になったという流れだったと思う。


最初に「離婚するんだな」と気付いたのは、母親が「おばあちゃんの看病がある」といって実家に帰ったときだった。

朝起きたら、母親はいなかった。

それまで、私は母親にも父親にもベタベタと懐くことはなく、どちらかといえば同居の伯母(祖母が死去しているので。私には祖母のような感覚だった)に懐いていた。だから母親が実家に帰ったことで、悲しいだとか寂しいだとかいう感情を特に持つことはなかったが、

“夜のうちに母親が実家に帰った”ということだけで、「・・・離婚かな?」と感じたのを覚えている。


母親が実家に帰って1週間後、伯母が夜、になると頻繁にに出入りし、コソコソ話をするようになった。

兄弟とはいえ、伯母がわざわざ何十年も一緒くらいしている弟(父)とコソコソ話をする異常な様子に、当時小学4年生の私はすぐに違和感を感じた。


そしてその数週間後、父親に部屋に呼ばれ

「お母さんと離婚する」

と聞かされた。

一つ下の弟はバカだったので、伯母と父親のコソコソ話の内容まで聞こえるくらいの距離にある部屋にいたくせに、「離婚する」と聞いて言葉を失い涙ぐんでいた。

弟のことを「こいつ、ほんまにバカやな」と確信したのもその時だった。



うちの父親は、ものすごく昔堅気の人間だ。

口より先に手が出るタイプで、私たちも幼い頃からちょっとしたことですぐボコボコに殴られていた。

ものを壊した、弟を泣かせた、言うことを聞かない・・・、あらゆる理由で、女であろうと御構い無しでボカスカ殴られた。

でも、虐待だとは思っていない。典型的な昔のお父さんなのだと、今考えても思う。

だから多分、母親も言い争いになった時は、ものを投げられたりビンタされたりしていたのではないだろうか。アザがあったり怪我をしたりというDV的なものではないのだが、やっぱり喧嘩の時は皿やコップが割れる音がしていたから。


父は学歴もないし、学校を出てすぐ家業を継いだため、一般的な会社での上限関係などにあまりもまれずに生きてきた。発展的な話し合いなんて絶対にできないタイプで、そもそも感情だけで生きているので自分でもコントロールできない。

今でいえば典型的な暴君かもしれないが、昔のお父さんといえば大なり小なりこんな人も多かったと思う。

それでも面倒見が良く、よそのお父さんと比べても学校行事や少年野球などの子供の行事には積極的だったし、仕事で何処かに出かける時は色々なところに連れて行ってくれた。

テレビや冷蔵庫も調子が悪くなったら直せるし、夏休みの木工作品は誰よりもかっこいいものを作るために手伝ってくれた。

私にとってはとてもいい父親像もたくさん見えた。

今の世の中ではちょっと時代遅れかもしれないが。



だから、父親に「話があるから部屋に来い」といわれた時はまさに青天の霹靂!といった印象だった。

「部屋に来い」の時点で、離婚の話、なんだったら「もう離婚したから。お前ら、この家にいろよ!」くらいのことを言われるんじゃないかと瞬時に悟ったので、

逆に私は「おいおい父よ、私たちを呼び出してまともに話なんかできるのか・・・?」と心配すらした。


父の話は、まとめるとこうだった。


・おばあちゃんの看病というのは嘘だった

・お前ら(子供)がいるからお母さんに帰ってきてほしいとお願いしているが、嫌だと言っている

・お母さんさえよければ、別に家を借りて家族4人だけで住む(同居の祖父や伯母と離れて暮らす)ことも考えている


このような諸々の話を踏まえて、来週お母さんと4人で会おう、ということだった。

正直私は、原因は夫婦仲にあり、家を出ることで解決することも思えないし、お母さんが離婚を譲らない気持ちもわかるし、そもそも看病なんて嘘なの最初っからわかってたし、

それよりもなによりも、この未だかつてない重い張り詰めた空気が嫌で仕方がなかったので


「離婚するなら、私はこの家に残るから。テレビ見たいから、もういってもいいかな?」


と言って立ち上がった。


耳のすぐ横に、ガラスの灰皿が飛んできた。



不仲の両親を見るより、さっさと別れてくれた方がよっぽどいい

灰皿をすんでのところで交わした私は、言葉にならない言葉で怒り狂っている父親を見て、

「こりゃ話を聞かないと、次はビンタだな・・・」

と悟って、再び席に座った。


そして、落ち着いた父が次に言ったのが

「お前らのために、離婚は避けたいと思ってる」

という言葉だった。



小さい頃はまだ両親の会話があった。しかし、小学校に入ってからはその記憶が乏しい。

父親がこんなんだから、父の機嫌が悪い時は家じゅうがピリピリしていて、腫れ物に触るような扱いをした。

学校から帰ると「ただいま!」というのが普通の家だ。

しかし、「ただいま!」と大声で扉をあけると

「うるさい!もう少し静かに扉を開けんか!」

と怒られる場合だってある。

いつも、家に入る時は中の様子を伺ってからだ。


だから、見るからに機嫌が悪い時なんかは、子供であっても父親にはけして話しかけない。

こういう環境にいると、子供は親の顔色や空気を非常に読めるようになってくる。(弟はバカだから読めなかったが)

母親が父親に話す機会が減っているのも、話す時は必要以上な言葉は発さないのも、気付いていた。

そんな環境にいると、そこそこバカではない子供ならこの空気が重くて仕方ない。

黙ってくれている方がまだいい。

下手に会話しようもんなら、両方とも刺々しい言葉が飛び交うこともあるので

喧嘩に発展しないかと、張り詰めた空気に耐えることで気を使ってしかたない。

喧嘩が始まったらそそくさと別の部屋に移動しようとするが、そんな行動をとらざるを得ない自分も嫌だったし、別の部屋に行っても小さく喧嘩の声が聞こえるのが嫌だった。


子供にとって、大人が本気の顔をしている時ほど苦痛な時はないと思う。

大人が大人に怒っている時、大人が泣いている時、大人が落ち込んでいる時・・・

子供に見せる顔ではない大人のリアルな顔を見た時、子供は非常に困惑する。

物事の良し悪しの区別がつかないもっと小さな子供だったり、弟のように良くも悪くも空気の読めない幼稚な子だったらいいかもしれないが

小学4年生の私ならそれなりに分別もつくし、空気感も読める、感じる。

いっそのこと

「早く離婚したらいいのに」

と思ったことも、過去に何度もあった。

いつものことだから、この環境が苦痛だとかいうつもりはないが

けして楽しくもないし喜ばしい環境ではない。

こんな気まずい空気がこの先ずっと続くなんてうんざりだなぁ・・・なんて思うこともしょっちゅうあった。



だから、父親が「子供のために」と言った時は

「此の期に及んでそれかよ!」

と、心の中で思わず突っ込んでしまった。

同時に、

「離婚してくれて全然結構ですけど!」

とも思った。

今思うと、「いよいよきたか・・・」というよりは「やっときたか!」という、“待ってました”感の方が強かった気がする。

世間の人は“薄情な子供だな”と思うかもしれない。でも、小学4年生の女の子、しかも長女という役割を担っている私からすると、この考えには今でもしっくりくる。



「子供のために離婚はしない」なんて大きなお世話だ


大人になった今、どう考えてもやっぱりこの考えは譲れないのだが

子供のために離婚をしないということは、本当に子供のためになっているのだろうか?

これは大人のエゴや自分を正当化したいための防御策ではないか。

離婚をすることによって子供に迷惑をかける、子供を悲しませることになる、それをなんとか避けたいために”子供のために”離婚を避けたいと、自分を守っているだけではないだろうか。

両親の喧嘩や不仲、張り詰めた空気のなかで気まずい思いをさせてまで一緒にいる理由がどこにあるのだろうか?

離婚しては生きていけない(男は家事や育児、女は経済的な理由)などで一致しているのなら、離婚をしない選択もあるだろう。

離婚秒読み状態まで行っていても、お互いなんとか修復したい気持ちがあるのであれば、それもまたいいだろう。


しかし、離婚以外待った無し状態の両親と一緒に暮らすことが、どれだけ子供には負担がかかるか。

それは、もしかしたら親が離婚をすること以上に苦痛に感じるかもしれないと、離婚を考えている人にはぜひ知ってほしい。


子供には親が必要だ。

だから、子供を捨てたり虐待して親という責任を放棄したり、子供の前で親らしからぬ行動をとることはいけない。

しかし、子供にとって必要なのは

保護者や責任者ではなく、”親”という存在そのものだ。

“親”の概念はいろいろあるが、やはり楽しい時も辛い時もその楽しみや苦しみを分かち合ったり、和気藹々と話したり、いろんなところに遊びに行ったり、そんな楽しい思い出を共有するのが親ではないだろうか。

幼少期に親の悲しい顔ばっかり見て育つことと、離婚して生活は少し苦しくなっても、家庭のなかは楽しかった・・・というような環境の方がよっぽどいいのではないか、と

親の離婚を経験した私はそう思うのだ。

そして、この考えは、両親の離婚話が湧き上がった時から全く変わっていない。



子供にとって「今」が人生そのもの

両親の離婚にあたって、私はもれなく父親のもとに残ることを決めた。

母親と暮らすことは全く考えられなかった。


父親といれば、学校も友達も環境も変わらない。スイミングスクールにもピアノ教室にも通えるし、飼ってるペットとも離れることもない。多分今まで通り、好きなおもちゃも買ってもらえるし、父の仕事について色々なところに連れて行ってもらえる。

でも、母親と暮らしたらそうはいかない。母親の実家は、今の家より部屋数も少ない。一人部屋をもらえるかどうかもわからないし、おばあちゃんはきっと犬が嫌いだと思う。

母は今から職探しだろうし、母も学歴があるとは言えないのできっと収入がたくさんある仕事にはつけないだろうと思っていた。

生きていくことはできても、今までのような生活はできないかもしれない。スイミングスクールもピアノ教室も通うことはできないかもしれない。

そう考えると、母親についていくなんてことはどう考えても自殺行為としか思えなかった。


弟はお母さん子だったので母親との同居を希望していたかもしれないが、父と母の前で「私はお父さんと暮らす」と堂々と宣言した私を前に「僕はお母さんと・・・」とは言えなかったのかもしれない。

それは、今考えてもちょっと悪いことをしたと思う。

でも、少し時が経ったころ両親の離婚について弟と話した時に「少年野球辞めないといけないのが嫌だった」と言っていた。


子供って、やっぱりそんなもんだ。

大人は、今の状況やこれからの先の人生など考えることがたくさんある。しかし、子供にとっては、今の現状こそが人生なのだ。

親が離婚して、住む場所が変わったり環境が変わることは、大人が思っている以上に大きなことなのかもしれない。


離婚したからといってのびのび羽を伸ばしたり新しい恋にチャレンジする人も多い。

自分の人生の再出発と考えるのも間違いではない。「母親だって女だ」なんていう言葉もよく耳にする。しかし、子供がいる以上もう男でも女でもなく父親と母親だ。離婚しても子供と離れてもそれは変わらない。

一度失敗したぶん、今度は失敗をしないようにしたいと思うのもいい。だけど、離婚時に「こどものために!」なんて強く思っていた気持ちが、離婚後の開放感や新たな出会いに気をとられて、いつのまにか薄れてしまう人も少なくないと思う。

というか、実際多い。


人それぞれだから文句は言えないし、これは子供の許容範囲もあるので一概には言えないが、

もし「子供のために離婚をしない」と考えるのであれば、そのぶん「離婚後は子供のために生きよう」と思ってほしい。


私の父は、再婚をしなかった。

口では何も言わないが、多分父なりの「子供のため」の思いだったのだろう。

今でも私はそう思っている。


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