第百二十三章 安直を求める人たち

第百二十三章

「安直を求める人たち」

  私は特別な才能がないので、1つのことを達成するのに10年くらいかけている。20の頃にアメリカに行ってから

「英検1級に合格したい」

  と思った。合格したのは30歳だった。

  塾生の子たちから

「5科目の指導をお願いしたい」

  と言われて、スラスラ答えられるようになったのは40歳の頃だった。

  高校生になっても継続して塾に来たいと言われて、高校数学を始めたのはそれからだ。50歳になる頃は高校数学が完成に近づき、京都大学を受けて成績開示を始めた。

「どうやったら、英検1級に合格できますか?」

  と尋ねてくる人は、どんな教材を使い、1日何時間くらい勉強したら合格できるのかといったノウハウを知りたがる。しかし、私は特別なことは何もしていない。詳細は別のところで書いた。

  問題は

「あなたは、10年間諦めずに続けることが出来ますか?」

  ということなのだ。ノウハウなどではなくて、継続する意思なのだ。

  私はアメリカに住んでいたし、英語ができるので外国人の友達が多い。その会話には違和感がない。旧帝を受験するような優秀な理系女子と話す時も違和感がない。

 ところが、その他の大多数の日本人を相手に話すと私の言葉に不愉快になる人がいる。時々、その理由を考えるが

「論理的に考えることに反発をされるようだ」

 というのが、私の結論。「ガリレオ」の湯川先生も、「相棒」の杉下右京も論理的に語るが、変人とか嫌われ者扱いの設定になっている。日本では、論理的に語る人を嫌う人が多い。

  私は外国人と言っても、韓国人と中国人は友達になれた人が少ない。すぐに感情的になって喚くからだ。私は冷静沈着で論理的な人としか、友達になれない。

  昔から

「学問に王道なし」と言うではないか。時代も、国も、才能も、置かれた状況も違うのに、英語や数学を身につける一般的な方法などあるはずがない。それが論理的に考えるということだ。

  ところが、私に筆を使って

「支払った分の成績を上げるのがプロというものだろう」

  と長文の手紙を送ってきた保護者がいた。

「そんなヒマがあったら、自分の息子の尻を叩け!」

  と言いたかった(言わなかったけど、トラブルになるから)

  この保護者の方は、勉強には「取扱説明書」のようなものが存在しているはずだ。どうして、それを息子に教えないのだ。そう考えてみえるようだった。

  そのような、取扱説明書などこの世には存在しない。

  でも、日本では苦い現実より、甘いウソを好む人が多い。そこを、受験産業の食い物にされている。ハイジが踊っても、野村萬斎がジャンプしても、あなたの成績は上がらない。そんなことも分からずに、申し込みが殺到する。

  聞き流して英語が身につくなんて、100%ありえないのに大金を支払う人が多い。大規模予備校や塾の授業料は、大半がビルの維持費と広告代。成績アップには関係ない。家にタブレットを置いても、学校の授業を再度聞くだけ。何も変わらない。

  こういう現実を描くと、

「苦い現実など見たくない!」

  と怒るわけだ。

「ウソでもいいから、大丈夫と言って!」

  と期待するわけだ。

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