「東京仕事を在宅で、ママ事情に配慮しつつ働ける」テレワーク制作チームを立上げた物語


(※2016年10月 所属団体などについて内容を一部追記・修正)

全国フリーランスママのクリエイターエージェント「Mom's Lab」コミュニティマネージャーの佐藤にのと申します。


今日は、フリーランスママコミュニティ立上げのきっかけについて、お話したいと思います。とはいえ、自分が一人の働くママとして抱いた想いが原点であり、自己紹介のような内容になりますが、ご興味がおありの方はどうぞお付き合いくださいませ。


第1のきっかけは、第一子妊娠中に抱いた”求められていない感”


私はワーカホリックです。独身時代は特にその傾向があり、仕事が恋人でした。若いころに一度離婚経験があるため改めての結婚願望もなく、愛する業界で、尊敬できる人に囲まれ、微力な己の何かで役立てるならと昼夜問わず働いていました。

思い返せば、自己承認欲求を仕事にぶつけていたのでしょう。頑張れる自分のことも好きでした。


このまま仕事一筋に生きたい、と爆走していたときに、妊娠しました。青天の霹靂。


まず思ったことは「なんで私が?」でした。女性として、赤ちゃんができたことへの喜びはほのかに感じていましたが、これまでのキャリアや人生の目標を突然奪われたかのような想いが圧倒的でした。社会人として働けなくなる恐怖や、先行きの見えない不安感にも押しつぶされそうになりました。


今振り返れば、業界風土として人間関係は主に男性ばかりであったため、妊娠中・産後に子どもを抱えながら働くイメージが持てないことが何よりの原因でした。

家事と育児を両立したロールモデルであり、女性特有のライフステージの変化について相談できる先輩女性が身近に不在だったことが、大きかったのです。

また妊娠・育児・仕事のトリプル両立や、夫婦の共働きに関する心構えも予備知識もないままの妊娠だったことも、混乱を生んだ要因だと思います。


それでも産もうと決めたのは、パートナーが支えてくれたことと、同僚から「その子には今しか向き合えない。でも仕事は一生できる」という言葉に力をもらったことからでした。

よし、道がないなら恐れを乗り越えて開拓しよう、頑張ろう、と、前を向くことができたのです。


けれど、妊娠月齢が進むにつれ、様々な事情によって、自分だけではできないことが増えました。

”やりたい、したい”気持ちだけではどうにもならない理想と現実のギャップに、社会人になって初めて直面したのです。


<自分の事情>

・つわり、体調不良、眠気など妊娠症状により長時間勤務やラッシュアワーの通勤が不可能

・戦力外通告されたかのような焦燥感

・妊娠症状として精神面が安定しないことへの不安

・産休、育休、各種保険や福利厚生など、職場の制度未整備による将来の不安


<職場に関するもの>

・仲間に業務のしわ寄せがいくこと

・会社への罪悪感

・男性の多い業界特有の、妊婦や妊娠症状への理解のなさを実感


<社会から感じたもの>

・”妊婦がなにやってるの”という目線(主に通勤時の電車内)

・”妊婦様=ハッピー!”という風潮(自分のマタニティ・テンションと大きな差)


仕事を頑張りたい気持ちと、思うようにいかない現実が大きく乖離し、その落差自体が大きなストレスとなりました。


そして一番の苦しみは「これまで全力を尽くしてきた仕事や職場だけど、妊娠したことで役立てなくなった」と感じられてしまうことでした。当時の上司や仲間たちはできる範囲で、純粋に配慮してくれていたことと思います。けれど戦力になることが全てだった自分にとっては、存在意義消滅の危機とも言える日々でした。


仕事面では、インターネット環境を活用した在宅勤務にシフト。出産ギリギリまで、携帯電話などを使用して就労していましたが、パーソナリティの揺らぎを感じながらの妊婦生活は、日々、非常に不安定でした。

体質に心的ストレスが加わり、切迫流早産での出血も度重なりました。妊娠後期に入り始めたころ、羊水が少なく胎児が育たない羊水過少症の気があるとの診断で検査入院となり、36週・約2000g前半で長男出産となりました。


第2のきっかけは、産後に感じた喪失感と、社会への渇望感



初めての育児は、戸惑いと喜びの連続でした。今となっては笑い話ばかりですが、当時は、”ママじゃないとダメ傾向が非常に高い”長男の子育てと時間管理に四苦八苦したものです。自分の育児知識のなさにも愕然としつつ、それでも、新たに生まれた「ママになった自分を表現したい!」欲求に振り回され、迷走を続けていました。


仕事は、産後1か月過ぎから在宅勤務を行いました。


<産後の就労条件>

・月、水、金曜日にフルタイムでパソコン業務

・連絡はメール、ショートメール、電話がメイン

・就労時間に応じて給料削減

・業務に必要なPC本体や外付けハードディスクなどは会社支給


現在でいう雇用型テレワーカーとして半年ほど在宅ワークを続け、翌年4月には週3フルタイム職場勤務+週2日在宅勤務で復帰。最終的には週5フルタイムでの職場勤務に戻りました。とにかく、仕事がしたかったのです。個としての私を必要とする社会との接点に飢えていました。


第3のきっかけは、東日本大震災と、時間の大切さに気づいたこと


職場で勤務中に、東日本大震災が起こりました。息子の保育園は電話回線がパンクしていて連絡が不通。徒歩で約7時間かけて帰宅し無事に再会できたものの、続く物資不足や放射能問題に直面しながら「母親が働くということは、子どもと離れることである。すなわち自分の力では子どもを守れない時間帯を作ることである」というデメリットの一つを痛感しました。


また仕事面でも業界風土的な問題を実感し始めました。


また仕事面でも業界風土的な問題を実感し始めました。一度は、自分で開拓しようとした家事育児・正社員のトリプル両立ですが、家庭へ割く時間や、”ママじゃなくちゃいけないこと”の量の多さは想定以上。勤務時間の長さと睡眠時間の短さこそ美徳とされるような空気感と、深夜にまで及ぶ業務量に心身ともに疲弊しました。

業界における”働く人の価値”基準が、子どもを持つ自分のそれとは相容れなくなってきていることに、気づきました。、子どもを持つ自分のそれとは相容れなくなってきていることに、気づきました。


ライフステージの変化に伴い、退職→フリーランスへ


その頃抱いていたのは、”子を持つ自分だからこそ、情熱を注ぎ込むような仕事を選びたい。それも、人生を生ききる、生き抜く形で”との想いでした。

やりがいを得るには、今までの経験が生き、母親の知見が生き、時間や勤務地、家庭の事情に制約されず、将来に子どもが手離れした後でも続けられるものがベスト。


そして、副業という形で続けていたフリーランスの身分だけに一本化することを決断し退職しました。自分の人生を支える礎に、ライフステージに応じて自ら”はたらく”と”くらす”の調整をおこなう働き方を選びたかったからです。職種はこれまでの経験を活かし、ライター/ディレクターに。業界は、母親としての試験を活かせるママ/ファミリー業界を選択しました。


ちょうどこのころ、2人目妊娠が発覚。産後に安定して仕事を得るための種まき活動を開始しました。


具体的には、クラウドソーシングサービスに利用登録して”はたらく”感度を上げ続けたり、ライター/ディレクターとして名刺を準備したうえでの営業活動やポートフォリオの作成ほか、ロールモデルや職業的な先輩に師事し、働きたい業種のスキルや経験を積むなどを、臨月に入るまでに行いました。


マタニティ期であり、前職とは異なる業界でのフリーランススタート。人脈もつながりもほとんどなく、不安に揺れたこともあります。また誰でも、内面には、一度決めたモノゴトに対して違う意見や視点を持つ瞬間があるもので、将来について不安を感じなかったかといえば嘘になります。けれど”求められていない”と感じる焦燥感や、社会と断絶されたかに感じる孤独感に思い悩むことはなくなりました。


思い悩むことが少なくなったからでしょう、第2子は順調にお腹の中で育ち、妊娠予定日前日に生まれました。

初めてのきょうだい育児はこれまで以上に時間も手間もかかるものでしたが、予想以上に楽しく充足を感じられたのも、仕事への不安が解消されたことが大きかったと思います。


そして、一介のフリーランスでは、一人ではできないことが多いと知る



2人目産後は周囲の人々や素晴らしい縁に助けられながら、仕事を再開することできました。けれど、順調に働ける環境に身を置きながら感じたことは、会社員時代よりも忙しいということでした。


また、いちフリーランスとして任される仕事は一人でできる領域の仕事量と責任しか負わされないために、決して、やりがいとイコールではなかったのです(発注サイドの視点でいえば、リスクヘッジのために当然の選択ではあると理解していたのですが)。


自分が手を動かせば動かすほど、時給や納品数に頼った働き方に傾きます。つまり、収入を増やしたいと頑張るほどに、家庭に避ける時間がなくなる。子どもの体調不良など突発的な事情にも対応しづらく、家庭内に不和が生まれ始めていました。


育児・家庭・仕事のトリプル両立をすべく選んだ働き方のはずが、最も大切なはずの”時間”を浪費する働き方に傾いていたのです。


このままではフリーランスとして継続できない、と危機感を覚えた時に浮かんだのが、<案件領域の上流から仕事を獲得できるチームを作ること>で、発注元視点のリスクヘッジに対応しながら、やりがいを実感できる規模の仕事を獲得すること。


加えて<東京の仕事を、自宅で行える仕組みづくり>を行うことで、誰もが大切な時間を無駄なく使える環境を構築できるのではないか、ということでした。


「東京の仕事を在宅で、ママ事情に配慮しながら働ける」制作チームの立上げ


2013年12月に、周囲でフリーランスとして活躍するママ仲間に声をかけ、活動を開始しました。仲間の属性としては、私自身に編集ライティングや事業ディレクション経験があったため、ディレクター、デザイナー、ライター、エディターなどのクリエイタースキルを持ち、在宅勤務経験があり、インターネット(ICT)環境が整っているママたちが集合。まずは制作ディレクション+各種クリエイターを1チームとし、同時多発的に案件ベースで仕事を受託できる体制を整えました。


事業形態は”フリーランサーの集まり”。それぞれが責任を持ち、専門職の強みを生かしながら、女性のライフステージに応じて柔軟に働き方を選択できる就労形態はフリーランスが最適であるとの思いからきています。


そしてママは”はたらく”支援だけでは就労継続とモチベーション確保が難しいため、”くらす”を支えあえる仲間との絆づくりや思いやり合う空気感構築も大切にしました。

例えば子どもの急な体調不良にはサブ人材をアサインし、納期や進行に影響がないように人材調整を行いますが、メイン人材にもサブ人材にも”罪悪感”を抱かせずに引継ぎを行えるかどうかで、ママフリーランサーのその後の定着率が大きく異なります。家事育児事情に際して「心配しないで、行っておいで!」と言い合える空気感は、目に見えないものだけに非常に重要です。


またその際に、一人に負担や責任のしわ寄せがいきすぎないよう、案件と人材のマネジメントを行う”お世話役”や、案件全体の進捗把握を行う”全体統括”も設置。本業に加えそれぞれがチーム内で役割を担うことで、案件だけではなく絆でつながるネットワークが出来上がりした。


このようにして「女性のライフステージの変化に対応しながら、東京の仕事を自宅で行う」自営型テレワーク・モバイルワークの実証形を構築。およそ半年間のプレ操業を経て2014年4月に、東京の仕事を在宅で、ママ事情に配慮しながら働ける「クリエイティブマムズリンク」を立ち上げました。


同団体は2016年3月に脱退し、2016年4月からは全国フリーランスママのクリエイターエージェント「Mom's Lab」にいちフリーランスとして所属し、コミュニティマネージャーを務めています。


Mom's Lab」では、妊娠や自宅保育の都合などによりコアメンバーの入れ替えを行いながら、恒常的に、事業マネジメントや制作を受託納品できるスキームを運用しています。


また実業だけではなく”ママの社会的議題を改善する”ことをテーマに、ママに多様なはたらき方を紹介するコンソーシアム「ママのはたらくインフォメーション」などのソーシャルプロジェクトに参画し、自主活動を行っています。


これからの、いちフリーランスママとしてのビジョン


Mom's Lab」では、メンバー個々がスキルを研鑽し強みを持ち、家庭も仕事も妥協せずに選択できるママ・女性の事例を輩出することと、実業をよりよくスケールさせていくことが目標です。


もちろん、フリーランスを目指したいプレ人材のサポートや、出会いの場なども企画していきます。なぜなら、女性の一生は、妊娠・出産を機に大きく変動します。そこで最も影響を受けるものが、仕事の価値観と自己実現の方法だからです。

「自分はこうだ」と思っていた人も、「どうしたらいいのか」と悩み、やり方だけが分らずに迷います。けれど大切なのは、したいことを未来につなげる努力ではないでしょうか。そうすれば、今までの生きてきた自分の全てが糧になるでしょうし、私は、フリーランスという就業形態がそれを実現すると思っているからです。


自分の道を自分で決めつけず、想像もしていなかった未来すら将来に見据え実行できる。マムズリンクは、そういった”生き抜きたい”ママ・女性たちのサポートを行う「ヒト・モノ・コト」の共有地でありたいと思っています。


text by クリエイティブマムズリンク/代表 佐藤にの(※追記)(2016年1月当時)

※2016年4月以降は、全国フリーランスママのクリエイターエージェント「Mom's Lab」にいちフリーランスとして所属し、コミュニティマネージャーを務めています。

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