子持たずの記(3)

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 私の興奮は収まったが、夕飯を作れるような状態ではないと察してか、「寿司でも食いに行こうか」と、夫は言い出した。それも岩国一の高級な寿司やで、会社でも東京からお偉い方でも来たときにしか使わない、夫も行ったことがないという寿司やへ車で出かける。美味しい寿司を食べちょっぴり気持ちも晴れて出てくると、なんと車に駐車違反のステッカーが張ってあるではないか。夫も動転していたのであろうか。駐車禁止のポールの数字を駐車可能の時間と思いこみ、停めてしまったらしい。

 次の日曜日、M氏に罰金をウン万円取られたこの夜のことを話すと、彼は冗談としてではなく、至極真剣に受け止めてくれ、数日後、「そんなに思い詰めているのなら、ひとつ『里親』をやってみないかね」と提案してくれた。

 里親についてはそれまで何一つ知らなかった。M氏は幸いその方面のエキスパートである。彼の行き届いた配慮によって、数々の問題点もクリアされ、私たちは里親登録をすることが出来た。


   バラが咲いた 寂しかった私の庭に バラが咲いた


 私の膝に頭を乗せて、その子は安心しきった寝息を立てていた。時々、ノドをゼロゼロさせるので「この子は気管支が弱いんじゃないか」と心配になった。

 艶のある黒い髪、広いおでこ、一寸上を向いた丸い鼻、引っ張りたくなるポチャポチャのほっぺた、陽に焼けた浅黒い肌、神経質とはおよそ無縁のぽっちゃりした手と指、むっちりしたおしり、半ズボンの裾からはち切れそうになっている腿。

 五月の汗ばむ陽気に、私のスカートを通してこの子の湿り気を帯びた体温が、幸福感と共に体中へ浸透してくる。運転席の夫も気になるのか何度も振り返り「どうしている? 大丈夫?」と問いかける。

 3ヶ月前には想像も出来なかったこの情景。しかしこの三歳五ヶ月の男の子は、今確かに私の膝の上で眠っている。

 大声で叫びたいような喜びと共に、その重みがずしりと私を押さえつける。

 これがこれから我が家の一員となる子。

 M氏から連絡を受けて私たちは二週間ほど前、一度児童相談所へ出向いてこの子に会っていた。

 両親が何らかの事情があって子供を育てられないとき、親に代わって国が施設で養育する。施設へ移る前に一定期間相談所で一時預かりをして、その間に、体に障害があればそれに適した施設へ、精神的に障害があれば、またそういう施設に……。里親が希望している条件に合えば、里親に連絡する。 

 この子は最近まで普通の家庭で、両親と生まれたばかりの妹と四人で幸せに暮らしていた。両親の離婚により父と暮らすことになったが、男手では、子供の面倒を見ることは困難であった。そこで相談所の扱うケースとなったようである。

 所長と話している間、彼は事務机の上に将棋の駒を並べて一人でおとなしく遊んでいた。

「それではよくお考えになって下さい。よいお返事を待ってます」と言われ、退出しようとしたとき彼は「また来るう?」と人なつっこい笑顔で聞いたのである。

 当然のことながら私たちは彼を迎えにもう一度相談所へ行ったのであった。

 三人がしっかり手を握って一歩踏み入れた我が家は、もはやそれまでのⅢDKの社宅ではなく、天使の飛び交う空間となった。

 翌年、マイク・真木の「バラが咲いた」が大ヒットした。フォークソングなんか一つも歌えない夫だが、この歌だけは歌う。


   バラが咲いた バラが咲いた 黒いバラが  

     寂しかった 僕の庭に バラが咲いた


 勿論、黒いバラとは、小麦色に焼けた健康そうなこの子のことである。

 社宅では、池上さんのところに急に男の子が現れたというのに、変な目で見る人もなく、それどころか歓迎パーテイーまで開いてくれた。不要になった食卓椅子、絵本、おもちゃがわんさか集まった。あるお母さんは「池上さんのおばちゃんは、体が弱くて坊やを育てられなかったの。それでずっとおじいちゃんのところで育てて貰って居たのよ。でももう元気になったから坊やはママのところへ帰ってこられるようになったの。よかったねえ」と話してきかせてくださった。

 人間とは、他人のためにこんなにまで優しくできる生き物だったのだと、しみじみと考えさせられた出来事であった。

  両親が共稼ぎで過保護にしなかったのが幸いしたのだろう。小さいのに、豆を一粒一粒、豆腐もちゃんと箸でつまめるのには驚いた。ご用聞きが届けてきた肉などを、冷蔵庫にしまって置いたり、ある時は、ベランダの洗濯物を取り入れてあったりした。 届かないので、食堂の椅子を引っ張り出してそれに乗ってやっとやり遂げたらしい。 が、このときは、思わずギュッと抱きしめて、ベランダから落ちたら大変だからもう絶対しないでねと、よくよく言い聞かせたものである。

 よく「実の子のように」という言葉が使われる。私はこの言葉が大嫌いだ。これだけでなんだか差別を感じる。実の子だろうが里子だろうが、私たちにとってこの子は比べようもない初めての子である。

 二年近く経って、千葉工場へ転勤になった。駅で会社の人、教会の仲間たちの大勢の見送りに混じって、ホームの柱の陰で、じっと我が子を見つめるお母さんの姿を、忘れることは出来ない。

 もともと人なつっこい性格だったのか、どこへ移ってもすぐ友達が出来、幼稚園でもいつもニコニコと、楽しそうであった。

 夫の両親は亀有に住んでいた。行くと義父はすぐ連れ出して近所のおもちゃ屋へ行き、好きな物を買ってくれることにきまっていた。

 私の母は、遠く富山で幼稚園の園長をやっていたが、休みごとに抱えきれないおもちゃを持ってやってきた。

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