100組の新郎新婦様がレンズを通して私に教えてくれたこと

左手薬指を焦がしたマクドナルドからの卒業

今から3年前、大学に入学したばかりの私は求人サイトと睨めっこしていた。

高校2年生から1年半務めたマクドナルドを辞めたばかりで、新しいバイトを探していたのだ。

どうせなら趣味のビデオをいかせるバイトがしたくて、「大学生 映像」で検索した気がする。

するとたった1件だけ、結婚式の映像撮影の求人がヒットした。

勤務地は横浜近辺で、しかも時給換算ではなく単価制!

土日だけの勤務というのも魅力的だった。

マクドナルドと違って、もう200度の鉄板で左手薬指を焦がすこともない。

求人を見つけてから5分もしないうちに、私は迷うことなく応募メールを送った。


面接は扉の前でバックれようか最後まで悩んだ

週末、私は早速面接に呼ばれた。

場所は横浜が誇るデートスポット、みなとみらいの近辺。

しかし目的地についた瞬間、私は戸惑った。

明らかに普通のマンションだったのだ。

本当に大丈夫なのだろうかと、正直身の危険すら感じた。

バックれるか否か。たぶん扉の前で15分近く悩んだと思う。

しかし結局、私は事務所のドアを叩くことにした。

なんとなく、ここで帰ったら後悔するような気がしたのだ。

今思えば、あの時の決断が全ての始まりだったように思う。


「1円でもお金をもらったら、プロだと思え。」

面接はあっさりOK。当たり前だが、身の危険など微塵もなかった。

1週間後には早速研修もスタートし、初日は結婚式の1日の流れを見学するために全身真っ黒な服を着て結婚式会場に向かった。

しかし結論から言うと、私は現場に立てなかった。

履いていた黒のパンプスに光沢があったからだ。

「え?そんなことで?」と思うかもしれない。しかし、ダメなものはダメ。

「これはバイトじゃない、仕事だ。廣川さんのミスは会社のミスになる。

「1円でもお金をもらったら、プロだと思え。」

社員さんにそう言われ、初めて血の気がひく感覚を味わった。

私は時間を消費してお金を稼ごうとしているのではなく、作品でお金を稼ごうとしているのだ。

単価で働くとはそういうこと。ならば私はプロでなければならない。

それ以来、私はどんなに自分の実力不足が苦しくても「お金をもらっている以上、自分はプロだ」と自分に言い聞かせるようになった。


撮影はいつもひとりぼっち

研修を終え、私は晴れて会社のエンドロールカメラマンになった。

エンドロールとは、披露宴の最後に流れる1日の振り返りビデオのことだ。

あの3~4分程の映像作品のために、カメラマンはより良い映像を撮り、編集者はより素敵な編集ができるよう必死に努力している。

私も3回目に現場に出た頃には先輩のサポートもなくなり、1人で1組の新郎新婦様を撮影するようになた。

普段は緊張しない私も、終始ド緊張ド集中。

予想外の事態が起きても頼れるのは自分だけで、とにかく全力で良い映像を撮りに行くしかなかった。

一度、新婦様入場の際にカメラレンズが壊れた時の心臓の動悸は今でも忘れられない。

震える手とこぼれそうになる涙を抑えて、「自分はプロだ」と何度も言い聞かせながら隅っこで必死に予備のレンズに付け替えた。


新郎新婦様が私の映像を見て泣いてくれた日

1人で撮り始めてしばらく経った頃、私が撮った映像を見て新郎新婦様が泣き出したことがあった。

もちろん編集さんのおかげなのだが、それでも自分の映像が誰かの琴線に触れたことが嬉しくて仕方がなかった。

私がやっていることにはちゃんと意味があると、初めて褒めてもらったような気がしたのだ。

新郎新婦様は10年後もこの映像を見て泣いてくださるだろうか。

そう思った瞬間、なぜだか私まで目頭が熱くなってきた。

じわじわと歪んでいく視界。

いよいよ危険だと思い、私は会場裏の倉庫に引っ込んだ。

壁の向こうから、拍手が聞こえる。

誰かの役に立てることはこんなにも幸せなことなのかと、私は拍手が止んだ後も一人でボロボロと泣き続けた。


10年後の新郎新婦様を幸せにするために…

100組近くの新郎新婦様に出会って気づいたことがある。

それは、1人ひとりが唯一無二のストーリーを持っているということだ。

言葉にすると当たり前だが、考えてみると結構すごい。

全てがオリジナルで魅力的で、つまらない人間なんて一人もいないのだ。

そう気付いてから、私の考え方はがらっと変わった。

「良い映像を撮る」ためではなく、「10年後の新郎新婦様を幸せにする映像を撮る」ために仕事をするようになったのだ。

やがて苦しかった毎週末の仕事が楽しみになり、先輩方とも仲良くなった。

振り返ると、本当に充実した日々だったように思う。


映像カメラマンを辞めた本当の理由

しかし現実は時に残酷だ。

ある日突然、事業規模の縮小により一部エリアのスタッフの解雇が決まった。

残ろうと思えば残ることもできただろう。

しかし私は考えた末に大好きな場所を離れることにした。

他の会社に移ることもしなかった。

恥ずかしくて口が裂けても言えなかったが、先輩方と一緒でないなら仕事を続けてもつまらないと思ったのだ。

それに当時誰にも言わなかったが、「好きだ」と思い続ければきっとまた戻れる日が来るような予感がしていた。

また先輩方と一緒に仕事ができるかもしれない、なんて。

淡い期待を信じてみたくなったのだ。


3年後、再び結婚式の現場へ

運命とは不思議なものだ。

大学4年生になった私は、再び結婚式の現場に戻ることになった。

年末からインターンし始めた会社が、披露宴でのフラッシュモブ事業RIPRISEを始めたのだ。

フラッシュモブとは急に人が踊りだすサプライズのことで、仕掛けるととにかく会場全体が盛り上がる。

一度、230名の列席者が総立ちした時は、かなりびっくりした笑 (ちなみに映像はこちら)

私はというと、3年前を思い出しながらプロの指示の元で映像を撮影している。

懐かしの「自分はプロだ」という念じも蘇ってきた。

愛がつまったサプライズは、レンズを通して私まで幸せな気分にしてくれる。

そう、あの頃と一緒だ。


涙、笑顔、驚き…、様々な感情が溢れる場所

結婚式には、涙や笑顔、驚き…、様々な感情が溢れている。

私はそういう場に立ち会うのが本当に好きらしい。

この先どんな道に進むかまだ決まっていないが、できるならば感情が揺れ動く場所で仕事をして生きていきたいと心から思う。


ああ、本当に。

あの日、怪しいマンションのドアを叩いて本当に良かった(笑)




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