13年間続けたバイオリンを辞めた理由

バイオリンを初めて触ったのは6歳の時だった。

どうして習い始めたのかは正直覚えていない。
でも母が言うには、どうやら私は隣に済んでいた3つ上のお姉ちゃんに憧れてバイオリンを始めたらしい。
「お姉ちゃんみたいなの弾きたい!」と母に向かって言ったそうだ。

母がピアノの講師だったということもあり、私は「ピアノもしっかりと練習する」という条件付きでバイオリンを習い始めた。
レッスンは週に1回。隣のお姉ちゃんと同じ先生に習った。
「もーちゃん天才だね」
そんなことを普通に言ってくるような、優しい先生だった。
恥ずかしがりやな私は、そう言われるたびにいつも黙りこくっていたのを今でも覚えている。
(天才じゃない…)
と、いつもしかめっ面をしていた私はきっとあまり可愛くない子供だったと思う。
それでも先生はいつも笑いながら「もーちゃん音綺麗だね」と褒めてくれた。

正直、13年間私は熱心な生徒ではなかった。

練習は週に1〜2回、レッスンの直前にやるぐらいだったし、クラシック音楽よりもずっとJ-POPの方が好きだった。
変な話だが、小さい頃からの母の音楽の影響で瞬間的な譜読み能力と絶対音感は無駄にあったため、練習不足はそこまで大きな問題ではなかったのだ。
いつもいつもある程度それっぽく弾けていた。
もちろん先生もそれには当たり前のように気づいていた訳だが、中学生になっても高校生になっても、「もーちゃんはやっぱり天才だね」と笑っていた。
そしてそんな先生につられるように家族も「やっぱりともちゃんは天才だね」と私のことを褒めちぎっていた。
結局、私は最後まで素直に「ありがとう」と言わなかったと思う。

高3の夏、私はバイオリンを辞めることを決意した。

高校生になった時から漠然と考えていた「辞める」という選択肢。
理由は3つ程あったが、家族や先生、友達には「来年から大学生になって忙しくなるから」という理由しか伝えなかった。
いわゆる対外的な理由というやつだ。
そんな理由、本当は後付けでしかなかった。

13年間言われ続けたことば。

私がバイオリンを辞めた本当の理由。
それはある2人に13年間言われ続けてきた言葉がきっかけだった。

1人は先生…  「もーちゃんは天才だね」

小さい頃からこのことばがひどく嫌いだった。
なぜって、私は天才じゃないから。
週1〜2回の練習で大した努力もせずに、いかにもそれっぽく弾いてしまう私のどこが天才なのか。
しかももっとたちが悪かったのが、先生がからかいではなくわりと本気でこのことばを言っていたということだ。
高校生になる頃には「ともちゃんプロ目指しなよ」とまで言い出していた。
なるわけがないし、なれるわけがない。
言われるたびに、自分の「努力が出来ない性格」を突きつけられているようで、すごく嫌だった。
なんとなく出来てしまうような子は一見多彩に見えるかもしれないが、よく見れば抜きに出て誇れるものを持っていなかったりするのだ。
少なくとも私はそういう子だったから、そう、つまり私はバイオリンを辞めることでこのことばから逃げたのだ。

もう1人はおばあちゃん… 「辞めないよね、もったいないもの」

このことばに最初に違和感を抱き始めたのは高校に入学した頃のことだったと思う。
「”もったいない”って…何が??」
という疑問が頭にこびりついて離れなくなってしまったのだ。
バイオリンに限らず、ピアノでも公文でも弓でも、会う大人たちは皆私に「もったいないから続けなさい」と言ってきた。
正直意味が分からなかった。
自分が心から好きでいないものを続けることに意義などあるのだろうか。
積み重ねてきた年月はそんなに「もったいない」のだろうか。
辞めた瞬間、その年月はどこかへ消え去ってしまうものなのだろうか。
私には全く分からなかったし、家族にもその問いを執拗に投げかけることをしなかった。
なぜなら問いかけたところでいつも決まって「だってもう10年以上やってるんだよ?」としか返ってこなかったからだ。
私が聞きたいのはそんなことばじゃなかった。

自分がやりたいことを続けられる人になりたい…!

私は結局、高校を卒業すると同時にバイオリンを辞めた。
先生は少しだけ寂しそうな顔をしながら「またいつでもおいでね」と言ってくれた。
あれからちょうど1年程経ったが、あのとき下した「バイオリンを辞める」という決断を後悔したことはない。
バイオリンの練習、レッスンに当てていた時間分、今の私は少しだけ自由になった。
そして幸運なことに、この1年たらずで「映像」や「手紙」という本当に好きなものに出逢うことができた。
これが私にとっての本当に好きなものか確証はないし、もしかしたら5年やそこらで違うものを好きになってしまうかもしれない。
それでも、今の私は自分の好きなことを好きなだけやっているし、自分の力不足を痛感して「悔しさ」だって確かに感じてる。
バイオリンをやっていた13年間でほとんど感じることのできなかったものをこの経った1年で少しばかりでも得ることができたのだ。

これからどうなっていくのかなんて分からないし、まだ自分が一生かけて好きでいられるものはこれだという自信も根拠もない。
でも、なんとなく、なんとなくだが、このまま進んでいけば、私が小さい頃からずっと憧れていた「本当に好きなものを本気で続けていける人」になれる気がしているのだ。
さて、それは10年後なのか、はたまた50年後なのか。
なんだかちょっとだけ楽しみだ。

著者の廣川 ともよさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。