乳腺外科で手術を受けた2年後に、ヨット乗りになり、ボートの免許とチェーンソーの資格を取った話

入院:2013年の夏


26歳のころから乳腺症を患っていた私は、2013年4月ごろ、かかりつけの外科の先生の指示で乳腺エコーを受けた。


「なにか腫瘍のようなものが映っている」

と技師さんからの指摘があったのは、全くの意外なできごとだった。

外科の先生の動きは素早く、すぐに乳腺専門医の診察を手配して下さり、入院・手術を行う方向に話が進む。私は20代前半に耳鼻科の手術を受けた経験があるため、身体にメスを入れることに抵抗はなかった。「スパッと切って、サクッと解決」を強く望んだのは私のほうだったかもしれない。


しかし乳腺外科の先生は

「傷はできるだけ小さく、後に影響が残らない方法で」

ということに、こだわっておられた。

私は36歳になっており、素敵な出会いももうないだろうと思っていた。だから乳房の形が崩れようと、傷が残ろうと大したことはないと考えていたのだ。しかし乳腺外科の先生は、

「人生にはどんなことがあるか、分からないんだよ」

と、根気よく言い聞かせてくださった。


入院・手術は2013年7月に決定。

2013年に入ったころから、ライターとしての仕事が忙しく、仕事優先のために、自分の興味を満たすための取材は後回しにしてきた。放送大学学生としての勉強も滞りがちであった私には、入院期間=よい休憩期間という認識だった。


手術室の空きなどを勘案して日程が決まった時点で、

「取材に行っておきたかったイベントが、入院期間中に含まれてしまう」

という引っ掛かりはあった。しかし、その病院では手術室のやりくりが大変なことになっているというお話を先生方から聞いていたので、私の自主取材は来年にまわせばいいと考え、入院をすることに決める。


結果的に、手術によって切除した組織は悪性のものではなかった。入院中に上げ膳据え膳でいただく食事は美味しかった。放送大学のテキストをしっかり読み込み、単位認定試験にも無事合格することができた。


行けなかった取材のことは、「行けなかった」のだから、本来それでおしまいのはず。来年、同じイベントがある時期が来るまでは、取材ノートの話題の1つとして寝かせておくだけのお話だった。


私と闘病の歴史について

私は長い間、色々な病気と共に生きてきた。循環器内科、外科(消化器、乳腺)、皮膚科、婦人科、耳鼻科、精神科で様々な先生にお世話になり、1か月に5日~7日は通院に費やすことが当たり前。薬がなかなか合わず「もう、しんどい。治療をやめて楽になりたい」と先生方に当たり散らしたことも、数知れずある。

しかし、乳腺外科に入院するときには、多くの先生の励ましを受けることができ、退院後には悪性のものでなかったことを共に喜んでくれる先生方の姿を目の当たりにして

「あぁ、治療をしてきて良かった」

と心から思えた。


私がフリーライターという仕事、特に金融・経済関係、あるいは資格試験・生涯学習という分野での執筆を選んだことも、平日に通院しなければならない(ついでに言えば祖母の介護も忙しかった)ので、在宅でできる仕事をしたいという思いがあったからだ。私にとって病院の待合室は格好の勉強場所だった。長い待ち時間が生じると思って分厚いテキストを持って行ったのに、2,3分しか待たされなかったときには、「もうちょっと待ちたい」と思うことすらあった。



2013年秋 行けなかった取材が追いかけてくる

さて、夏に行けなかったイベントの取材。いったんは寝かせたはずの興味が、やはり頭の片隅にくすぶっていたのか、ふと「イベントの結果はどうだったのだろう?」と気になった。

結果をインターネットで検索し、表示する。驚いたことに、そこにはまだ知り合って日が浅い某氏の名前があった。

近いうち、某氏に会う予定があったため、

「イベントに出場されていましたよね?」

と尋ねようと思う。

しかし、某氏の気持ちを考えるとなかなか口に出せない日が続いた。

「知り合ったばかりなのに、なぜそんなプライベート情報をつかまれているのか?」

と気持ち悪く思われるかもしれない。

結局、某氏に直接、お話を伺うことができたのは、2014年4月のことだった。


2014年夏 イベントの取材へ

某氏にイベントのことを尋ねてみようと決めた日、某氏はひどい咳をしていた。

「こんなときに、イベントの話などしている場合じゃない」

と感じ、とりあえずその話題を出さないことに決めた。しかし、某氏は

「咳は出るけど、大丈夫」

と、普段より口数が多く、冗談も飛び出して、ノリが良かった。私もつい気が緩み、

「◎○というヨットレースに、出場されましたよね?」

と、何の前置きもなく、口に出してしまった。

「したよー! □□で▽△で……え?」

「え?」

「なんで、そんなこと知ってるの?」

そう、イベントとは某ヨットレースのことであり、私がヨットレースの情報に触れたのは、ヨットというスポーツではなく、ヨットハーバーの運営に関する取材を自主的に行っていたことが理由だった。私は、ヨットにもディンギーヨットからクルーザーヨットまで、あるいは1人乗りのものから、2人乗り、さらに大人数で乗るものまで様々な種類があるということすら、全く知らなかった。


某氏には、

「もし、せっかくのプライベートの時間を、私にどかどかと近づかれるのがお嫌でしたら、私は取材の方法を考え直すし、ヨットレースも行かないようにします」

と申し出たけれど、某氏は

「そんなこと、心配しなくていいから、おいでよ」

と、快く受け入れて下さった。ヨットレースが開催される場合、事前に「帆走指示書」が配布されるけれど、素人の私が見ても意味が分からず、また「出艇申告」「帰着申告」とは何かすら、まったく理解できなかった。

そんな状態で、ヨットレースを観に行った自分に、レースの厳しさや楽しさが分かるはずはない。

ただはっきりと感じたことは

「見ているだけじゃなくて、ヨットに乗ってみたい」

「ヨットに乗れたら、きっとカッコいいし、気持ちいいに違いない」

ということだった。


しかし後日、某氏からは激烈な反対に遭うことになる。

「あなたの体重では無理です。痩せすぎている」

「沈起こし(転覆したヨットを起こすこと)ができないし、水上で長時間過ごすだけの体力がないだろう」

進歩した医学と、優しい先生方のおかげで、自分でも忘れがちになるけれど、私は身体のあちこちの治療を受けている患者であり、当時は身長167センチに対して、体重は45キロを下回ることもあった。某氏も決して意地悪ではなく、私の身体のことを考えて言ってくれたのだということは、私自身も後々、実感することになっていくのだ。

そして、乳腺外科の先生が「人生には何があるか、分からない」と私を諭してくださったことの意味も、私は実感するようになる。もしも、大胸筋などの筋肉に影響を及ぼす手術法が選ばれていたら、私は体重の問題だけではなく、ヨットのティラー(舵)や、メインシート(セールの張り具合を操作するロープ)の操作に不自由をおぼえたかもしれない。あまり大きく乳房を切除していたら、水着やウェットスーツに着替えるたびに、体のラインが気になって気が気ではなかったかもしれない。改めて、乳腺外科の先生に感謝をしたいと思う。



2014年 やる気を見せる!

いくら「あなたには無理だ」と言われても、ヨットに乗りたい気持ちは変わらない。

「無理だ」を跳ね返すためには、私が努力して太り、体力をつけることしかない。私は食事の内容をノートに書き出し、「どこかに、さらに食べる余地はないか?」「より筋肉や骨が強くなる食べ物を取り入れられるメニューはないか?」をチェックし始めた。某氏は「ノートに書くダイエットか(笑)?」と笑っていたけれど。

ノートを見ているうちに「ここでバナナ一本くらいなら食べられないだろうか?」「このタイミングで、高野豆腐を一品加えるといいのではないか?」ということが徐々に分かり始める。闇雲に「とにかく食べろ、食べろ」と自分を叱咤するよりも、ずっと気持ちが楽になった。

私は3級FP技能士資格を仕事に活かしているけれど(詳細は公式ホームページをご覧ください)、FPがライフプランニングを行う場合には、「いつ、どのくらいお金が必要か」を、ライフイベント表とキャッシュフロー表を用いて「見える化」するという方法がある。私は、「どのくらいの体重が必要か?」「それにはどのくらいの食事をとらなければならないか?」を見える化したのだと、自分で思っている。


やがて「軽い運動をすれば、お腹が空く」「そうすると食事が摂りやすくなって、かえって体重を増やせるのでは?」と感じ、家の周りのウォーキング、ジョギングを始める。時は2015年の真冬、楽天市場で見つけたフィットネス用水着を身に着け、大学生時代、サッカーの公認審判員としてグランドを走り回っていたころのトレーニングウェアを引っ張り出して、私は歩き・走り始めたのだ。


そして、「まだヨットには乗れないなら、ボートの免許を取ってしまおう」と思いつく。ヨットレースを行う場合、海上に線を引くわけにはいかないので、運営スタッフはボートに乗り込み、マーク打ちやレスキューなどを行うことになる。そのことは2014年に見学したヨットレースで知ったことだ。


体重は今日明日に増やせないから、時間をかけて体格を向上させ、「やる気」を見せていくしかない。でも、ボートの免許は、私さえ決断すれば、ボートスクールでいつでもとることができる。そう考えた私は、2014年の秋、ボートスクールでの教習を受けることにした。


補足:私の趣味は資格取得

ところで、私が保有している資格は次の通りだ(2016年1月27日現在)

・一級小型船舶操縦士
・応用情報技術者
・初級システムアドミニストレータ
・ITパスポート
・医療情報技師
・.comMaster★
・労働安全衛生法による特別教育・伐木等の業務
・工事担任者(デジタル第3種)
・危険物取扱者(乙種全類)
・第4級アマチュア無線技士
・日商簿記検定3級
・3級ファイナンシャルプランニング技能士
・メンタルヘルスマネジメント検定Ⅱ種(ラインケアコース)
・普通救命講習


なお、自動車の運転免許は持っていない。


これまで、私が何の資格に挑戦しようと「好きにしろや」と言っていた両親も、小型船舶の免許に関しては

「何、考えてるねん!?」

とあきれ果てた様子だった。

「船になんて、どこで乗るねん?」

「自動車も運転したことないのに、どうするねん?」


「驚かせてごめん。でも頑張りたい。それにお父さんだって、遺品整理士だの事件現場特殊清掃士だの、家電製品修理技術者だの持ってるのに、それに触れないのは卑怯だとおもふ。。。」

父は黙ってしまった。


2014年10月 身体検査証明書はどうする?

小型船舶操縦士試験に挑戦するにあたり、最も心配だったのは

「身体検査証明書をどうすればいいか?」

という点だった。小型船舶操縦士の試験は、身体検査・学科試験・実技試験で構成されており、学科試験と実技試験は自分の努力次第でどうにでもなるが、身体検査はどうにもできない。

そして、私の場合は「視力」「聴力」「疾病」という項目が特に心配だった。たいていのボートスクールでは、身体検査に不安がある場合、相談に応じてくれるのだけれど、相談するにはまず私自身が「自分の抱える疾病」とは何で、どの程度の支障が考えられるのかを把握しておかなければならない。



そこで、私は「小型船舶操縦士身体検査証明書」をプリントアウトし、主治医に用紙を見せながら

「先生に診ていただいている病気の中で、ここに記入しなければいけない事項はあるでしょうか?」

と相談した。私が診察をしていただいている先生方の中には「カヌーに乗っている」「海釣りが大好き」という方もいて、「私が何の免許を取得したく、何を先生に相談しているのか」をスムーズに理解していただき、アドバイスをくださった先生も多く、本当にありがたかった。同時に多くの先生から「また資格マニアの道を一歩進むんやな(笑)」と笑われたけれど。


「あと3日で学科試験」という日、胃カメラの検査を受けることになった。主治医の先生は

「問題なしと分かって、スッキリしてから、試験を受けたらいいやろ」

と言ってくれた。でも、検査当日、内視鏡室前の廊下で問題集をとこうとすると、まったく勉強が進まない。慣れている検査とはいえ緊張していたのか、文字を追いかける目に頭の働きがついていかないという状態になったのだ。

検査を担当してくださった先生は

「大丈夫、大丈夫。頭はいいんやから、明日から勉強したら間に合うって。学科試験で落ちることはないって」

と言ってくれたけれど、やはり試験の直前に検査をお願いするのは金輪際止めようと、私は心に決めた。


(続く)



































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