なぜ介護で倒れる事ができたのか…その4

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ここまで無理できたのか?の謎


私の介護の長い振り返りにお付き合い
頂きありがとうございました。



介護を経験されている方も、未だ未経験な
方も、いろんな面で不思議に思った事が
あったかも知れません。



私としても至らない点が多々あった事を
反省しています。



こうして私自身が身体を壊してから介護を
振り返ったみると、



「どうしてここまで倒れるまで介護ができたのか」
…ということが、とても


不思議でした。



親戚や友人には、「よくやったね」と
褒められる事が多いのですが、そこに
嬉しさは無く、むしろ罪悪感、未達成感を
多く感じていました。



・母の入院の為に年に一度、会社を長期間
休んで実家に戻る



・2週間に一回、小さな赤ちゃんのいる
家族を残し、 身体に負担のかかる
夜間高速バスで実家に帰る



・実家の隣人と、母の様子見の為に理不尽な
借金要請をのむ



・田舎から連れ出し同居する



・家族の要望で施設へ移す



・一緒に住む上での母親の問題に対し
母親や家族と交渉する



・母親の非協力的な態度にストレスを
抱える



・追い出したい病院や介護施設との交渉…



…こうして書いていると、母親を優先
しているようで、実は、母親の意思が
不在であることを感じます。



母は田舎で一人暮らしがしたかったのですが、
家の構造や足の衰え、近所への不信感、
そして私や弟の遠距離介護の負担から


その願いを叶えてあげることはとうとう
出来ませんでした。



むしろ、介護する側の都合で母の意志を
尊重することなく、他県の家だ、施設だと
慣れない環境を転々とさせていたのも
事実です。



そんな不安は恐れを生みます。人は恐れや
悲しみがあれば、どうしても自己防衛
しがちになります。



それは時に相手に対して威嚇、攻撃的な
態度になります。



怖さを感じ、それに抵抗しようという緊張感…


…ストレス反応の蓄積もあり、不満、怒り
として発散されたのだと思います。



しかし、当時は、お互いに怖さや悲しみが
先立ち、攻撃しあっていたのです。



私たちは「誰かを喜ばせたい」という本質が
あるといわれています。しかし、今回の
介護を振り返る限り、「母の喜び」が
全く無かったとは言いませんが、殆ど
無かった…。



私たちの本質に反していたという事に
気づきます。



本質に反すると罪悪感や後悔の念が湧き、
それが自分に対しての悲しさ、恐れとなり、
怒り、悲しみの弊害の悪循環となっていたと
実感しています。



では、私たちの本質を覆い隠すかのように、
本質を封印し、私を倒れるまで行動に
移させたエネルギーは、何だったので
しょうか。



その答えは、自律神経失調症(心身症)の
原因の中に見えてきたのです。





自尊心の低さが及ぼす力


自律神経失調症(心身症)の症状で長期の
休暇に関わらず、最後の最後まで残って
いたのが頭痛でした。



医学的には対処の方法が無く、医療には
見捨てられた状態の中、その頭痛の原因を
探していました。



そんな中、潜在意識の本音を知るという
ワークをしました。



それは、アドラー心理学に沿ったもので
苦痛なり、心配なり、不安なり、気になる
事には、何か、「目的」があるという考え方
に沿ったものです。



原因と似ているようで、大きく違うのは、
原因に対しては、受身、被害者意識を
持ちやすいのにたいし、


目的は、自分が持っている、自分が主体
だということです。



そこで、いくつか気になる事について、
そのメリット、デメリットを書き出して
見た時、複数の「気になること」に共通の
メリットを見つけました。



それは、「自分の存在価値、意義を感じたい」



…というものでした。自分の存在価値や
意義を感じたいということは、



…自分の存在価値や意義を感じれないと
いう事です。



…なので、それを求める。何らかの事情…


多くは幼少時の保護者との関わりで、自分が
肯定されない、大事にされない、尊重されない、
むしろ奪われる、暴力を受けるといった、


誤解なり、事実があったとき、生まれてから
保護者との間で育まれるはずの、



自分は存在価値や意義がある、
大事にされて
いる

…という自己肯定感や、それに伴う
安心感が不足している事…



…愛着問題にある場合に、自分の存在価値や
意義を感じれないといいます。



私の場合、幼少時の記憶が殆ど無いので
愛着問題の内容は不明ですが、自分が
「自分の存在価値や意義を感じたい」…



…自分は役立っている、役目を果たしていると
感じたいがが為に、長男として介護を通して、
母親に認めてもらうために、無理をしていた
のではと感じました。



残念ながら、そこには、私たちの本質で
あるはずの「喜んで欲しい」よりも、



…「自分の存在価値が無い」と恐れへの
防御反応である、「こうすれば、役目を
果たし認められるはずだ」という、



自分本位の気持ちがあったのでした。



それは、自分自身の体への思いやりをも
無視するかのように、無理をする原動力に
なったのではと感じています。



つづく…




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