サッカーのコーチをやってみて気付いた”教育の本質”


サッカーを教える人は”上手さ”よりも”人間力”


少年サッカーのコーチをしていた時に猛烈に感じたことがある。


それはサッカーを教えるスキルなんかよりも人間力の方が圧倒的に大事だ。ということである。

当時の私にはサッカー以外なにもなかった。それじゃダメだと思った。

サッカーが上手いだけじゃ全然ダメだと思った。”上手さ”よりも”人間力”が圧倒的に大事だ。



私が考える魅力的なコーチとは…



上手くなくてもサッカーを心から楽しめること。


喜びや悲しみを表現し、ありのままの自分を表現できること。


物事を俯瞰して見れること。


物事の本質を考えられること。


感性を大切にできること。




本当に大事なのは”美しさとはなにか”を感じさせること


伝えるべきことは、「これは正しい、これは間違っている」ということではなく。「これは面白い、面白くない」とか。「これは美しい、美しくない」ということなのではないだろうか。”正しいこと”、や”間違っていること”というのは世間のマジョリティが思っていること感じていることであり、それは常識と呼ばれる。しかしながら大切なのは常識を疑うことだと指導者は言う。この矛盾に気が付かなければならない。


なにより頭で理解させる”正しさ”よりも、心と身体で感じる”美しさ”の方が圧倒的に大切だと私は思う。



機会を与えること


ブログを通じて様々なメッセージをもらうようになった。先日こんな質問がありました。息子は強いチームにいるんですが、みんなとても上手くて試合にでれないんです。どうすれば良いですか?というものだった。


小学生で試合に出る機会を得られないチームなら今すぐ去ることも考えるべきだと私は思います。とお答えした。強いチームでレギュラーしか試合に出られない仕組みしか作れないチームに入る必要なんて全くない。大事なのは試合に出て自分の表現を磨く機会です。


一軍しか試合にでれない仕組みがあるのはプロサッカーチームだけでいい。



指導者は”機会”を与えることがなにより重要なんだと思う。


失敗の体験を予防することは主体的な学びを奪う


成長のために最も大切なのは機会を与えるということだ。失敗の体験と成功の体験の両方が必ず必要だ。日本の大人は失敗を予防することが子供にとって大切だと過度に思っている。失敗の体験を予防することは主体的な学びを奪うことなのだと思う。もちろん、失敗にはリスクが伴う、時に傷つくこともあるだろう。(命の危険はどうするんだという話はまた別のレイヤーの話とする)


成長の過程に失敗は必要だ。失敗することを過度に恐れてはいけない。


失敗を避ける人間より、失敗を恐れない人間の方が圧倒的にカッコイイじゃないか。




”教えるということは教えないということ”


自分自身の答えを出すことがサッカーでは大事なことである。”教える”ことの本質は”教えない”ことなのではないだろうかと感じることがある。


キックの蹴り方も、ドリブルの仕方も”教える”ものではないはずだ。人によって美醜の感覚は違う。どんなプレーを美しいと感じるか、醜いと感じるかは人それぞれ違う。


それなのにキックはこうやって蹴る。ドリブルはこうやってする。なんて教えることが正しいとは思えない。


じゃあコーチの役目はなにかと言えば、機会を作り、与える。好奇心を刺激すること。見守ること。


ひとりひとりが違う答えを出す。その大前提を壊してはならない。邪魔してはならない。と私は思う。





サッカーの本質を追求する旅はつづく…


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