「どうしてみんなと同じでないといけないの?」ー私とアドラー心理学ー

今にして出会ったアドラー先生


遅ればせながら、昨年末に「嫌われる勇気」読ませていただきました。


昔、ユングにはそれなりの興味があって、いくらか齧ったことがあったんですが、フロイトにはなぜか関心が持てず、同時代の人であったアドラーさんに至っては、名前はもしかしたら聞いたことくらいはあったかもしれませんが、先日、ブログを読んでくださっている方々から、その内容が私が書く記事とよく共通点がある、というご指摘をいただくまで、本当に未知の方だったんです。ごめんなさい。




寝る前に読んだおかげで、もう、なんだか動悸が鎮まらなくて眠れなくなってしまいました (ーー;) 既視感みたいなものばっかり…。この人本当に何者??…っていうか、私っていったい何者?と、いう感じ。


だって、ここに書かれていることって、大体8割くらい、私が常日ごろから、感じたり考えたり行動したりしていることそのままだったんですよね。びっくり Σ(゚Д゚;)! アドラーさんって何者??私の前世?とか思うくらいに。


プロの哲学者とライターさんがきちんとまとめるとこういう解説になるんだなあ。もう、これは全編が腑に落ちるレベルです。自分が考えていることが7〜8割(私独自の思考もあるから10割とは言いません)も初読の本に書いてあるなんて、気持ち悪いというか、ものすごい不可思議な心境ですよ。動悸が止まらないわけだ。


しかもこれって現在ベストセラーっぽいの?ますます複雑な心境に… (ーー;) おかげであまり眠れませんでしたよ。こういう不可思議な気持ちになったのは初めてです。脳が明らかに衝撃を受けている。不快じゃないけど、どういうふうに処理すればいいのか迷ってる感じ。




私の場合、気がついたらこういう思考をしていて、自分の人生は自分が選択するのが当たり前になっていたし、人間関係も横のつながりばかりだし、自己受容はとっくに当たり前のことになってるし、初めて出会った人とでも「私はこの人に何をしてあげることが出来るだろう?」と思うのが普通になってるし…。「やらずに後悔するよりはやってから後悔しよう」というのも実行するには勇気が必要ですが、もういまさらここに来てみると、そんなにたいした勇気でもないんだよね。


ただ、不思議なのは哲学の「て」の字も知らない子供の頃の私が、この考え方には気付いていて、それを選択し、実行しながら生きてきたっていうことなのです。子供にもわかること、っていうのは案外ずっと古代からの真理であったかもしれませんよね (^_^;)


うちの両親は理想的な親でしたが、子供の自主性を信じて自由にさせてくれたというのも奇跡的な環境ではありました。もっともどういう環境に生まれ育っても、今の気質を私なりに獲得していたかもしれませんが… (^_^;)



ふと素朴な疑問を抱いた


先日、こういうことがありましたよね。


FacebookやTwitterで取り上げられて、非難の声が多かった、「廃棄される恵方巻きの売れ残り」問題。


「恵方巻き大量廃棄処分に」食べ物を無駄にするぐらいならこの習慣はなくしたほうがいい」という声」


…そう思う人は少なくないようです。なくそうよ。どうしてもやりたいなら完全予約分しか作って売らないとかすればいいです。チョコレートなら日持ちするけど、こういう生ものは駄目です。廃棄するくらいなら割引して売り尽くすか、もしくはお腹を空かせている人に差し入れサービスすればいいと思う。


コンビニのお弁当などはそもそも賞味期限の2時間前くらいには、もうレジを通らなくなってるんですよ。ご存知でしたか?まだまだ食べられるけど、売ってもらえないんです。スーパーだったら「今日中にお召し上がりください」と値引きして売られていますし、すぐに食べるならそれで充分なんですが、コンビニではそれが出来ないみたい。

それで無駄を出さないなら予約販売で充分です。


農業アイドル(?)のTOKIOはもっと怒っていいよ (^_^;)


バレンタインやホワイトデーが過ぎて安くなったチョコレートは時々私も買うよ (^_^) クリスマスケーキだっておおかたは予約制ですよね。少し残ったら翌日に販売されてるけど、あれでいいと思う。食べものを無駄にしてはいけません。私も具合が悪くてご飯が作れなくて、食材を無駄にしてしまう時ってやっぱり罪悪感を感じます。卵などは把って中身が乱れてなければ火を通して使いますが。(昔からの判断方ですね)


どの程度信頼出来るかわからないので、ソースは載せませんが、恵方巻きはもとは花街でのセクハラなお遊びがルーツだった、という話も聞きます。それが本当だとすると「行儀が悪くて下品」だと感じる食べ方にも納得出来ます。昔はああいうのはなかったです。行事として広まったのはそんなに昔ではありません。昔はもっと食べ物を大切にしていたからさ。


我が家では買ったこともないな。たとえ買ったとしてもちゃんと切って食べるなあ…。



どうしてみんなと同じでないといけないの?


ああいうものがわりと早い速度で広まるのは、やっぱり商売と一緒に盛り上げようとするマスコミ戦略でしょ。面白そう、だっていうから、みんながやってるから、だから自分も…となるのが日本人のパターンなんですよね。


「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的な思考と行動がなんだか当たり前になっていて、それに疑問を持たなければすごく怖いです。「みんなと同じようにそういう行事を楽しむ」というのは子供が高校生くらいまでで充分だと思います。本当に昔からある伝統行事をきちんと伝えるのは大事なことですしね。


でも、結構ルーツがいい加減な最近の行事はあえて乗っからない方が無難ではないかと思いますが…。どうも「みんなと同じにやらないと不安」という意識が染みついている感じで、どこか、会社なりの集団の中にいると、無言の同調圧力があるのは事実ですが(会社に限らず社会全体で)同調を求めてくる側がいつも正しいとはいえないのが問題なんですよね。でもその中に入ってしまうと、それに対して疑問を持ちづらくなって、そこで思考停止してしまうのが一番問題かもしれません。




「みんなと同じ」には行動しないとなりますと、どうなるかといえば、別にどうにもなりません。それこそアドラー先生が言う「嫌われる勇気」を持てばいいだけの話です。


自分が知る範囲の外で、もっと広い視野で自分と近い考え方をする人がいるかもしれないし、そもそも自分はあくまでも自分であって、他の誰とも同じではない存在です。だから無理に自分を殺してまわりと同調しようとすると、いろいろと精神や魂が悲鳴をあげるから、ストレスにもなるし、いろいろと生きづらい状況に追い込まれていくんですね。




まあ、そういう時代で、「個」としての「自分の生き方」を貫きづらい日本だから、アドラー心理学が注目されるのは悪くないことだと思います。知るのは容易いけど、パニック障害の対処法と同じで、頭での理解じゃなくて、身体での理解と実践で初めて生きてくるものですし、「本当の勇気」が必要なのはいうまでもありません。


でも覚悟を決めて踏み出してしまえば、180度違う世界も見えてきます。そこからは「人として何が正しいか」「なにが本当に必要なことか」おのずとわかってくるものもあります。まずは「自分自身」として立って、そこから改めて世界全体を見直す必要に迫られています。


心のどこかでみんなそれに気付いてる。だからアドラー心理学がこれほど注目されるのですね。是非とも勇気を持って実践してくださる人が増えて欲しいと願います。そうすることで、大切な食料も必要な人にきちんと行き渡るように、社会のシステムも見直されていくんだと思っています。


「なにか変だ」と思ったら、まず自分自身を振り返るチャンスです (^_^)






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