虐待のことを語らずに私の失聴経験は終われない

このエントリーをはてなブックマークに追加
61

06年と09年 私と同じ境遇=児童虐待を受けた子供時代を生き延びた子達が自らの命を断ちました。まだ19歳と20歳と言う若さで…


今まで失聴経験を読んで下さった皆様・これからこの文章と出会って下さる皆様へ「私の経験に出会ってくれて誠にありがとうございます。」


連載してきた文章は全編通して重苦しかった為、最後は近年の自分の写真メインにお伝えして軽いテイストで〆ようと思いつつ下書きをしていました。「いつか余力があったら虐待についても深く掘り下げて書くのも悪くない。」と思っていましたが、最後の記事を書いていても何かがしっくりと来ませんでした。その理由を自分なりに考えていた時に

「明日死ぬとしたらどうする?」と言う問いかけが浮かびました。

「もし明日死ぬとしても私は亡くなった彼女たちの存在を書き記すまでは死ぬに死にきれない。絶対に死ねない!」と思いました。


もしあなたが児童虐待と無縁に生きてきたとしたら、上記の見出しの意味が分からないかも知れません。否、分からないことこそがご両親に愛情をかけて育てて頂いた証しではないでしょうか?それでもよろしければ「こんな世界もあるのだ。」と今、この時だけでも関心を持って読んで頂ければ幸いです。


もしあなたが児童虐待を受けて生きてきたとしたら、上記のことは我が身のことのように身近に感じるのではないでしょうか?自らの命を断とうとしないまでも、普通の社会に当たり前の存在として生きることがどれ程大変かを、ご自身の身を持って感じているのではないでしょうか。



彼女たちとの出会いは私がPTSDの時です。当時見ていたある方の無料HPが私にとって心の支えとなっていました。そして私も同じサーバーで無料HPを作り、そこで交流していた方の中に彼女たちがいました。二人とも人格と精神に障害を持っていましたが、外見からはとてもそのように感じられませんでした。ビジュアルもとても可愛くそして美人でアイドルにも余裕でなれそうな容姿でした。

またとても聡明で、一人の子の書く文章は文学的で美しく、もう一人の子は自己分析に長けており…そこら辺の精神医学の本を読むよりはずっと専門的な自己分析をしていました。

私達は同じ境遇を経験してきた者同士。環境的には私にも彼女たちのように人格や精神に障害を持つこともあり得たはずです。そう考えると年の離れた可愛い妹が二人も出来たようでとても嬉しかったのを覚えています。


彼女たちは何度も繰り返していました。自分がこの世に生きていることの確認を。自分の中に温かい血が流れていることを。自分の生命の存在を確認する為に何度も死の淵に立ち、そこで自らの命の尊さを再認識する…。

気がつくと「自分で自分をコントロールできない状態でした。」それがどれ程辛いことなのか?想像を絶するものが手に取るように伝わって来ました。

「生きたい望みを切実に抱く自分」と同じだけの強さあるいはそれ以上で「死にたいと思う自分が存在」し、その自分に支配されていることに生きたい自分が気がつくことができない。

生きたい自分が我を取り戻した時、死にたい自分がしたことを知り愕然とする。自分の心と命についた傷跡の大きさに驚き虐待の爪痕の残虐さを知る。


そしてその内に「生きることの目的が死の世界へ旅立つこと」になり、幾度となく失敗を繰り返した後、その旅立ちへの挑戦が実現してしまいました。


彼女たちの死から学んだことは多くありますが、ここで2つのことを挙げておきます。


1つは精神科医療における投薬の難しさです。本人に合う薬を見つけるのは難しいようですし、その時々で症状が変化すれば服用する薬の種類も変わってくるのでしょう。合わない・きちんと飲み切れていない・要らなくなった薬を処分することなく溜めて何かの拍子に処方量以上の薬を大量に飲んで自殺を図るOD(オーバードーズ)が簡単にできてしまう投薬システムにとても疑問を感じていました。

それと薬の強さがどの程度際限がないのは分かりませんが、一人の子が最後の方に処方されていた薬の副作用が「希死念慮」簡単に言うと「死にたくなる」でした。精神を安定させる為に処方される薬の副作用が「死にたくなる」これ程の矛盾はないと思いました。その他の手段・手立て・その薬を処方しなくても良い為の対策は本当になかったのでしょうか? 


そしてもう一つは広義で言えば亡くなった子も含めた虐待を受けた人についてです。大人になってからも生きにくさを抱えた人への何らかのサポートが必要だと言うことです。児童虐待とは、仮に幼児期に保護してもらい施設で生活できたとしても、そこで「良かったね。」では済まない・終わらないことなのです。なぜなら人格を形成する時期に受けた計り知れない歪みは、本人が成長した後もその人の人生に暗い影を落とすからです。


ここで一つの仮説を皆さんにお伝えします。

私の父親の場合、彼は虐待の連鎖を繰り返したと推測出来ます。(PTSD時のセラピストと立てたものです。)

父親は当時としては裕福な家庭の次男として生まれました。父親(私からみたら祖父)の仕事の羽振りが良かった時は家にお手伝いさんや馬がいたそうです。何らかの理由で事業が失敗し極貧生活になった為に、高校に通うお金がなく中卒で家を出ています。

子供時代のことを父親はあまり話そうとしませんでした。しかし時々断片的に話した内容で祖父は酒癖が悪く家に帰る途中の路上や橋の上で寝たりすることがあったそうです。そんな祖父を迎えに行くのに長男や三男が行っても帰って来ずなぜか次男の父親が行くとしぶしぶながらでも帰宅するので、いつの頃からか酔った祖父を自宅まで連れ帰るのは父親の役目になったそうです。そのことが「とても嫌で嫌で仕方がなかった。」と言って来ました。

また「いつだったか山に無理矢理連れて行かれてキツネがついていると殺されそうになった。」と言っていました。何度も「キツネなんかついていない。」と言ったのに本当にもう少しで殺されるところだったと言っていました。

そんな父親は祝いの席でもお酒を一滴も飲めない人でした。結婚式の場でもビールを飲むふりすら出来ず親戚に怒られてもコップに口をつけることが出来ませんでした。本人にとってお酒を飲むことは暴力を振るう自分の父親と同じになってしまうと言う恐怖=トラウマでしかなかったのでしょう。しかし悲しいことに自分の父親から受け継ぎ身体に刻まれた負の記憶には抗えなかったのです。


PTSD当時のクリニックの図書館には専門書が沢山ありました。

アルコール依存症の父親に虐待を受けた幼少期を経験した男性が精神科医に

「先生、私は自分の父親と同じようになりたくなくてアルコールは1滴も飲みません。それなのに自分の子供に父親にされたことと同じことをしてしまいます。」と訴えている記述がありました。まさに私の父親と同じケースです。

これが虐待の連鎖の仕組みの一例です。

この本の男性も私の父親も虐待の加害者であると同時に被害者でもあるのです。


別の事例では「幼いお子さんを自らの手で殺めた後でご自分が親に虐待を受けた記憶を思い出した」例がありました。 

幼いお子さんがいる方は、ご自分のお子さんの顔を思い浮かべてみて下さい。

もうお子さんが大きく成長されている方はお子さんの小さい時の顔を思い出して考えてみて下さい。

そしてお子さんのいない方も独身の方も自分に幼い子供がいると想像してみて下さい。

自らの手で幼い子供を殺めた後で気がつく衝撃。自分も虐待の被害者だったと知った時にはもう、自分の子供は亡くなっているのです。 

彼女を鬼母だと簡単に言えますか?極悪非道の犯罪者だと一言で片づけて本当に良いのでしょうか?


児童虐待をこの世から・この社会から完全に無くすにはどうしたら良いのか?

両親から虐待を受けた身であり、自分の父親が虐待の連鎖に抗えなかった様子を見たにも関わらず私には「これこそが万全の策である。」と言い切れる対策が思い浮かびません。


現時点の自分に考えられることはもちろん幼いお子さんに対しては命を守ることを最優先とした対策が必要であり、児童期の虐待を乗り越えても社会の中で生きにくさを感じている大人にも何らかのサポートが必要だと感じております。

そして虐待の加害者とされる親(広義で言えばもっと広い範囲の大人もあてはまりますが)に対しても罪に問うばかりではなく適切なケアをすることが本当の意味で社会から虐待を無くす為の取り組みに繋がって行くと思います。とても時間がかかることですし矛盾した対策で諸刃の剣のように感じるかも知れません。

しかし例えば終身刑などに処すことでは、社会構造としての大きな枠組みで考えると加害者を排除するのは一時凌ぎでしかないように思えます。

これは別に虐待を受けた側に対して我慢を強いると言う意味ではありません。


再びPTSDの時に通ったクリニックの例です。プログラムの中に「法律相談」があり弁護士を立てて虐待被害の訴訟を起こすことが1つの対策として設けられていました。

虐待は犯罪です。仮に自分が大人になってからでもその被害は法的に訴訟を起こすことが認められております。

性的虐待の勝訴事例を紹介しておきます。ご参考になさって下さい。

http://diamond.jp/articles/-/59647

私自身は訴訟は起こしませんでした。理由は自分の家がとても貧乏でした。周りの家と比べる必要もない程に貧乏でそれがコンプレックスでした。そんな貧乏な両親に仮に損害賠償を請求しても支払能力がないと思いました。それなら責めて今後の人生は邪魔をされたくないと思いました。損害賠償を取らない代わりにその後一切関わらない法律…例えば接近禁止法などがあったら、その法に守ってもらいたいと思いました。それと訴訟を起こす為には虐待された当時のことを事細かに説明する必要があるだろうし、そこに費やされる時間や精神的苦痛そして弁護士費用などをトータルに考えると、訴訟を起こすことが精神的にとても負担だと感じました。

また仮に訴訟をしたことでお金を得たとしても虐待をした汚い犯罪者から取り立てた汚いお金を使うのは嫌だとも思いました。お金を取り立てないから責めて自分たちの命の始末は自分たちでして欲しいと思いました。

仮に裕福または経済的に支払い能力のある家の子供だったら、私も訴訟を起こしていたかも知れません。

ですからもしこの記事を読んでいる方でご自分が虐待を受けたことを許せないと感じているあなたが、訴訟を起こすことで今後の人生を前向きに生きられると感じるのであれば

訴訟は1つの人生の選択肢ですので堂々と活用されて良いと思います。


「許すとは何か?」とてもとても長い間、迷い悩みました。恐らくですがその人それぞれによって答えが違うでしょうし、その人の中でも時間を経てその時々で答えが変わって行くものなのではないでしょうか?




「私の両親は犯罪者だ。私はどちらに似ても犯罪者の汚い血が流れている。いつ両親のように精神が病み自分も犯罪者となるか分からない。私みたいな犯罪者の血を引く汚い人間は早くこの世から去った方が良い。早くあの世の迎えが来て欲しい。誰にもこの苦しみは分からない。理解してもらえない。誰とも心の底から関われないし人を本当に好きになってはいけない。まして結婚してはいけない。私は天涯孤独で死ぬことしかできない。犯罪者の汚い血を受け継ぐ子供なんか産んではいけない。」

長い間ずっとこう考え続けて来ました。

中1で生理になってから「絶対子供を産めない身体になりたい。」と自分の身体と女性であることも呪って来ました。母親が自殺未遂のパフォーマンスをするおかげで「自殺だけはしてはいけない」と思っていましたが、その代わりに「早く自然死」とずっと思っていました。19歳で遺書を書いて二十歳で迎えが来ず30歳までには死にたいと思っていましたが30歳を過ぎても誰も迎えに来てくれなくてもう40歳になります。

もし母親が自殺の真似ごとをする人でなければ、私も何度も自殺を試みていたかも知れません。偶然精神にも人格にも障害を持たなかっただけで、ほんの少しの差でそのようになっていたかも知れないのです。

ですから亡くなった彼女たちのことは、とても他人事には思えませんでした。


大きく捕えた社会構造の流れの中で何かの歪みのしわ寄せの一つとして児童虐待があったとすれば、今この現代においてそれを見直す流れは出来ていると思います。多くの方がこのことに対し関心を持って下さることが歪みを見直すきっかけとなることでしょう。

その上で日々目につくニュースの報道で幼い命が奪われている現状に対し何も行動できず手を差し伸べることができないのは、元当事者としての無力感とやり場のない憤りを感じます。


最後に若くして亡くなったMちゃんとAちゃん そして幼くして命を奪われた多くの子供たちのご冥福を祈り…祈ることしかできない自分が情けないのですが虐待に関するこの記事を閉じたいと思います。


「今度生まれてくる時は、幸せな家族と幸せな生活ができると良いね。」





読んでよかった
このエントリーをはてなブックマークに追加
このストーリーをブログ等で紹介する

小川 詩織

1976年岩手県生まれ ・3歳~18歳まで両親に虐待を受ける ・2000年 虐待の記憶を取り戻す ・01年 虐待の後遺症で失聴 ・03年 挙式がきっかけでPTSDになる 品川手話サークルに連載した失聴経験が注目され「耳のことで悩まないで」~中途失聴・難聴者のガイドブック~に寄稿

|

小川 詩織

1976年岩手県生まれ ・3歳~18歳まで両親に虐待を受ける ・2000年 虐待の記憶を取り戻す ・01年 虐待の後遺症で失聴 ・03年 挙式がきっかけでPTSDになる 品川手話サークルに連載した失聴経験が注目され「耳のことで悩まないで」~中途失聴・難聴者のガイドブック~に寄稿

小川 詩織

1976年岩手県生まれ ・3歳~18歳まで両親に虐待を受ける ・2000年 虐待の記憶を取り戻す ・01年 虐待の後遺症で失聴 ・03年 挙式がきっかけでPTSDになる 品川手話サークルに連載した失聴経験が注目され「耳のことで悩まないで」~中途失聴・難聴者のガイドブック~に寄稿

小川 詩織さんの他のストーリー

  • 失聴経験 4耳の状態 ②耳の症状

  • 小川 詩織さんの読んでよかったストーリー

  • 失聴経験 5補聴器 ③購入について言いたい!