文系女子がドイツでリケジョになってみる -ドイツの理系はハンター試験のごとし

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ドイツの理系は生存競争

ここまで読むと、ドイツの理系大学は就職も簡単で、学費もただ、給料もいいと3拍子そろった天国のように聞こえるが、その実情は身の毛もよだつサバイバルゲームである。

1学期(約半年間)に6科目がある。運が良いと論文提出で済むが、そういう科目は少なく、学期末のテストが一発勝負である。

最初の選別は二学期の終わりに来る。それまで履修した計12科目のうち4科目で落第点を取ると、進級ができないので、留年することになる。

実は、我が学年には私のほかにあと4人女性がいたのだが、そのうち3人は1年生が終わった時に留年になってしまった。実は、その3人の女子が仲良しさんだったので、生き残った私も涙である。

男子生徒でも、50人くらいの学年で十数名以上が留年になった。


無事に第二学年に進級してもまだ一息できない。

実は、落第点を取った科目の再試験は2回までしかないので、それに不合格すると、即刻退場である。

一年半を共に戦い抜いてきた同士が、追試で落ちていなくなるなんてことは日常茶飯事。さらには、恐怖から先延ばしにしていた科目を卒論書くころになって落とし、4年弱の苦労が水の泡になるという、恐ろしいサバイバル・ゲームである。

中退者にはまったく何の権利もないのもドイツの特徴。東大中退といえば日本ではかっこいいが、ドイツでは○○大中退というと、ただの馬鹿である。恐ろしいものである。

入試がない分、最初の1年半をかけて段階的な選抜試験を行っている感じである。まさに、ハンター試験か、こんちくしょうという感じである。

さらに、ある教授の一言がこれを決定付ける。「無料で勉強できるからって結構な人数が入学するのだが、大学側もできない生徒を卒業生にするわけにわいかない。だから、最初の1年は特に、篩い分けをするのだ」

この点についての教授達の意見は色々で、なかには、そこそこのがんばりで合格できるようにした方がいいと思っている教授もいるのだが、教授の善悪(?)の割合は半々である。

私のいる学部はまだ良い方で、最初100人以上の入学者がいて、3学期には10人くらいになっているという理系学部もあるそうだ。

一部の給料もらって行くシステム(duales Studium)などでは、高校卒業試験の成績と面接による生徒の選考があるので、そういうところではさすがに脱落率はもうちょっとましだが、基本的に理系は生半可な気持ちで入ると、痛い目にあう。

勿論、州や大学によっては差があるので一概には言えないが、どこでもドイツ国内なら似たような感じだろう。


お受験テクニックの賜物

とはいっても、特に理系の才能がなく、高校時代の数学の成績は「10点」なんてこともけっこうあった私が、奨学金をもらえるほどの成績をもらっているのは、ひとえに日本のお受験テクの賜物である。

中学、高校と、受験前の1年間は塾や予備校に通わせてもらい、ずっと進研ゼミをやってた私からすると、ドイツ人の勉強の仕方の効率の悪さときたらない。

できない問題を繰り返し練習して、できたらチェックをするとか、そういう日本人には一般的なテクを使う学生などみたことないし、練習プリントを整理している学生もいない。

裏を返せば、それでも合格している生徒は、やっぱりモトアタマの良い学生か、教科を趣味として愛している学生だと、3学期を越えるとわかる。

河合塾か駿台予備校かなんかの講師が指導し、進研ゼミが教材を作れば、もうちょっとよくなるのではと思う。

さらにいえば、ドイツの教材は最悪である。市販の問題集などでも、よく問題だけ載っていて、模範解答のない問題集が公然と売られている。日本ではまず見かけない不良品。日本の教本は分かりやすいし、かわいいイラスト、親しみやすい図説、褒めたら限りが無い。ドイツ人学生たちもなぜドイツの教材に解答が抜けてるのかはあまり知らないようだ。なかには、「自分で答えを見つけないといけないから」という意見を言う人もいる。

この点については次の節に。


ドイツ流「答えは自分で見つけなさい」の闇

ドイツの授業では練習問題は出すが、答えは出さないというケースがとても多い。一度、喧嘩直前になるまで教員とこれに関してやりあったことがあった。

私「練習問題の答えを先生は作って持っているのをしってます。なぜ公開してくれないのですか?」

教授「答えを出したら、自分で考えなくなる。そうしたら皆練習しなくなるだろ」

私「考える以前に、私達はまだ1学期の学生で分からないことばかりです。答えがなければわからないままです。それに、自分で解けたとしても、自分の答えを向上させるため、そして、うっかりミスを確認するためにも答えは必要です」

教授「ほかの学生にみせてもらいなさい」

私「・・・・」

もう何をいっても無駄だと思い、それからというもの、クラス一の秀才に毎度答えをもらっている。そして、それをしなかった生徒達は落第しているのだから、この教授は結局なにがしたかったのかなぞのままである。

上記で問題集に答えがないというのも書いたが、これがドイツ流なのだろうか。

もしかしたら、答えを知人友人に聞くためのコミュニケーションスキルを身につけるための所業なのだろうか。たしかに、答えをもらっているその秀才には、度々貢物をしたり、お世辞をいったりする習慣が必要だ。しかし、まさかそんなことが目的ではないだろう。私の出す有力な仮説は「めんどいから」というものである。ドイツならありえるだろう。


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文系女子がドイツでリケジョになってみる ―未知との遭遇編

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