好きな人と一緒に暮らした、小さなアパートの小さなワンルーム。初めての2人暮らしで気付いた「○○が1番幸せ」ということ。

通っていた大学の裏側に位置する、少しだけ急な坂道の上にある学生アパート。


今年で27歳になる私がこれまでに住んできた家の中で、1番居心地の良かったその家は、別に立地が良いわけでも、きれいな新築マンションというわけでもありませんでした。近いのは大学だけで、駅はもちろん、コンビニも少し遠い。

お風呂とトイレは別だけど、独立洗面台なんてなかったし、コンロは一口しかなかったし、備え付けの冷蔵庫は小さいし、おまけに冷凍室も無い。

それでも,、私はその部屋が好きでした。

「おかえり」や「ただいま」を言ってくれる人が居る、2人暮らしの部屋がとても好きでした。


■最寄り駅まで車で20分のド田舎実家暮らしから、ちょっぴり都会の一人暮らしに

3歳から18歳まで過ごした私の地元は、周りを山と田畑に囲まれた、絵に描いたような田舎。コンビニへ行くのにも自転車で40分近くかかるので、「どこがコンビニエンスやねん」と文句を言いながら自転車を漕いで、高校には30分(平日昼間は1時間)に1本しか通らない電車に乗って片道1時間半かけて通っていました。


そんな私が親元を離れ1人暮らしをするようになったのは、進学で関西地方へ出ることが決まった18歳の春。無理を言って進学させてもらったので、家探しにおいてのは条件は「とにかくお金がかからない」ことでした。

結果、水道光熱費込みで4万いかない破格の女子専用下宿に住むことになるのですが、やはり値段は内容に比例しているわけで、水回りは基本的に共同、もちろんお隣さんのアラームや電話の話声は筒抜けという、自由とプライバシーはどこにいったのか、という暮らしに。


それでも初めての1人暮らしに心が躍るわけです。
近くにコンビニもあるし、駅にだって歩いて行ける。テレビで見たことのある街にも電車で1本。JR以外の私鉄や地下鉄も初めてでした。


■19歳の冬、初めての2人暮らし

春には知り合いが誰も居なかった大学にも、夏が来る頃には信頼できる友人もできて、秋から冬に移り変わる少し前には19歳になって、冬が深まって少し冷える夜が続くようになった頃、恋人と呼べる人ができました。

お互いの家に行くのに、徒歩で10分ちょっとくらいの距離があって、その距離でメールや電話をするのもなんだか変で、なにより行き来するのが面倒くさくて、泊まりがだらだらと長引いて、徐々に荷物が増えて、気が付いたら2人暮らしが始まっていました。

この部屋が、今までで1番居心地の良かった部屋です。


■2人暮らしの色々

決して条件の良い家ではなく、ワンルームのよくある学生アパートでした。それでも、好きな時にシャワーが使えるし、わざわざフライパンなどの調理道具や食材を部屋から持ち出さなくてもご飯がつくれるし、私にとってはとても住みよい場所でした。


最初は抵抗があった洗濯も、別々にするのは手間もかかるし水道代も勿体ない。そもそも、毎日着ましができるほど服もセンスも持っていない!ということで、いつの間にか一緒に。



干すのも畳むのも率先してやっていましたが、授業やバイトの都合とか、気分屋な空模様とか、彼の優しさとか、私の怠慢さとか、そういう色々な理由で、お互い「気が付いたらやる」ようになりました。
何も考えずに洗濯物を干していて、「せめて下着とかは内側に干すようにして、外側にTシャツとか干したらそない見えへんから。」と彼に言われたのは恥ずかしかったのだけど、今ではいい思い出。


同じ大学ではあったけれど、学年も学部もサークルも違ったから、家以外での彼のことを、実はあまり知りませんでした。それを寂しく思ったこともあるけれど、今ではそれくらいの距離感が良かったのかもしれないな、と思います。

知らない顔を持つ彼のことをもっと知りたいと思っていたし、他の誰も知らないであろう彼の色々を知っている特別感は、私を有頂天にさせるには十分なほど幸せなことでした。


彼と同じ匂いのシャンプーやボディーソープ。
すぐに無くなるトイレットペーパーに、1人分より多めの材料を買うスーパー。

どんなデートよりも日常生活を一緒に過ごすことが、何よりも幸せでした。


■1人に戻って思い知る「ただいま」と「おかえり」の偉大さ

でも、そんな日常が幸せだと気付いたのは、1人の生活に戻ってからの事。


彼の喜んだ顔やありがとうの一言が嬉しかったから、ご飯をつくったり、掃除をしたりすることも楽しかった。

疲れた帰り道に、ふと顔を上げて見えたアパートの部屋に電気がついている。あの部屋には大切な人が居る。それだけで体が軽くなった。


誰も「ありがとう」や「おいしい」を言ってくれない家事。

疲れて帰っても暗い部屋。暑かったり寒かったりする部屋。


そんな1人の部屋に帰るのが嫌で、やっと「誰かと生活することの幸せ」に気づくことができた。2人だった生活を1人に戻すのは、生活の大きな一部を無くすということなのだと、初めてきちんと別れを悲しんだ。「失くさないと分からない」ということを学んだのはハタチを過ぎた頃でした。


■25歳、新たな土地での1人暮らしで思うこと

卒業や就職があって、いつの間にやら25歳。
転職を機に、今度は東京に越すことになりました。

全く知らない土地で家を探すのはなかなかに難儀。土地勘もなにもなく、内見のためだけに往復4万近くかけるわけにもいかなかい。ひたすら不動産屋さんとメールでやり取りして、物件を絞っていざ内覧へ。

決まっていたのは職場だけだったので、そこを軸に電車で30分程度、初期費用が安くて家賃も高くないというのが必須条件。結局、駅から10分ほど歩くけど「家から5分歩けばスーパーと100均と薬局とTSUTAYAがある」ことを理由に家を決定。


住んでみて初めて分かることもたくさんありました。


宅配ボックスがほしいな、とか
2口コンロと広めのシンクが無いと自炊面倒くさいな、とか
やっぱり誰かと暮らす生活の温かさには、炬燵も暖房も敵わないな、とか。


初めて2人暮らしをした頃から、もう8年近く経ちます。2人暮らしをしているときよりも、2人暮らしを終えてからのほうが、誰かと過ごすことの温かさが分かるようになりました。

もちろん良い面ばかりではなくて、1人になりたいときだってあるし、食卓の準備を店屋物で済ませたい日だってある。喧嘩だってするし、お互いにはお互いの生活リズムがある。


それでも、


好きな人と同じものを食べて、同じ香りのする髪の毛を揺らす生活は、とても穏やかで、自分のことも、住んでいる街のことさえも、好きになれたりするもの。


どうしてそのときは、そんな当たり前のことが幸せだと気が付けないんだろうなあ。


4年後にせまった東京オリンピックが始まる頃には、この街で、誰かと同じ香りを身にまとって、同じ家から出かけて、同じ家に帰る、サヨナラのいらない生活ができていたらいいな、なんて思いながら、


寝て起きて食べて働いて、そうやってこれからも、私の暮らしは続いていきます。



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