ずっと優等生だった私が挫折した話(1)

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自分で言うのも何ですが、優等生だったんです。

「優等生」と一口に言っても色々なタイプがあると思うのですが、私は「教師に評価される」タイプの優等生でした。

小学校の頃は本当に嫌な奴で・・・

小学校の通知表は全てAでしかも各行も全て「大変よくできました」。学年に一人。

授業で「意見がある人?」というと真っ先に手を挙げるし、学級委員だって毎年立候補して満場一致で決定。

テストもほとんどいつも満点で、小学校3年生から中学2年生まで「連続記録」といって、毎日漢字練習と計算問題を1日1ページやり続けた(つまり、1500日は余裕で超えた)。

その態度の良さから推薦書が良かったのか、上記エピソードが良かったのかで中学受験も楽々通過し、倍率8倍をくぐり抜け、中高一貫校に進学。

もうね、当時は無双状態。親もそりゃあ文句言いませんよ。

私は塾に行ったことがないのですが(まぁ、塾に行く必要性もなかったのだけど)

小6の時、隣の教育ママに「塾にも行かせてもらえずに不憫」と言われて

「ご褒美がないと勉強できないほど、バカじゃないんです」と言い返したエピソードは

今思ってもその時の私の自信の表れだなと思います笑バーカ。

中高一貫校に行ってからも、そこそこの優等生ぶり

さすがにそれは8倍の倍率を抜けたメンバーが集まっただけあって、勉強では1番は結局1度も取れませんでした。

ただそこで、普通に終わらないのが私の小賢しいところ。なんと、全国区の部活に入ったのです・・・。

かろうじて一番レベルの高い特進クラスにいたので、クラスの中で部活動をしている人間が少ない。それに加えて、勉強に支障の出るレベルの部活動に進む人なんてのはほとんどいない。

そうなると「部活動と学業を両立していて偉い」という、新たなカテゴリの優等生が誕生したわけです。オギャー。

そして学級委員もやり続け、真面目に先生の言うことを聞き続け、無事に卒業しましたとさ。めでたしめでたし・・・とは行かないものですね。

この後、私は進学先の「中央大学法学部」にて、「格の違い」ってもんを見せつけられます。

自分の進路と、小さい頃からの夢を諦めることになった、大きな挫折。

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飯田 裕子

たったひとりの人事部奮闘中。商業登記ウーマン。 人生に今より若い時はない!!

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