ある日、帰宅したら妻がいなかった(2)

ある日、帰宅したら妻がいなかった(2)

 奥さんがいなくなった時に、最初に考えたのは

「奥さん、生き物として壊れちゃった!」

だった。夫婦の関係が悪くなっても、小さな子供がいるのだから母親と父親の役割くらいは演じられると思った。ところが、奥さんは、娘たちを置いて出ていった。自分の感情を優先した。

これは、私には驚きだった。

「生き物って、自分より子孫を優先するから生き残ってきたんだよな」

子供を犠牲にして、自分を優先したら種として生き残れない。本能がそんなことを許さない。

私はその時、塾は黒字でも奥さんが通帳を持ち出したために、借金で個人として破産の危機を迎えていた。幼い子供たちの顔を見たら、奥さんのことを嘆いているヒマなどなかった。とにかく、働きまくって、娘たちを養っていくことが最優先だった。

 奥さんがいる時は、

「賢い子ばかり指導して、勉強できない子を差別している」

 と非難されたが、それどころじゃなかった。奥さんがいなくなったお蔭で、仕事に没頭できるようになった。経営というのは、リングで殴り合いをしているようなもの。

「殴ったらヒドイ」

と言われても、同情したらこっちがやられる。

「それで食っているんだろう!」

と思った。

「二度と結婚などするか!」

 四日市高校で上位の優秀な理系女子は

「先生はいいよ、バツイチでも一回結婚できたから。私はできそうにない」

と、よく言う。受験で戦っている彼女たちは、私と似ている。通じるところがあり指導がうまくいく。どこが通じるかというと、

「この世の中は、さまざまな法則があり従わないと何もできない」

  という事実を受け入れること。

「数学は2000題解かないと合格できない」

「英単語は6000語を覚えないとダメ」

 すると、毎日のノルマができるので感情のままに生きることは出来ない。気ままに生きている同級生は、未熟に見える。落ちる。

「ああはなりたくないなぁ」

 たとえ、結婚して共同生活が始まっても

「譲れないルールというものがある」

 ということが分かっている。

「同居すると、研究生活に支障をきたすぞ」

 と認識しているのだ。

 人生ってドラマや漫画と違って、ロマンスだけでは生きていけない。寂しさが紛れるプラスと、共同生活によるマイナスを考えると、誰でもプラスが大きいわけではない。

 私は研究ではなく、経営だが生き残るためのルールはある。娘たちを養うために格闘していたら

「仕事と私のどちらが大切なの!」

 と、例の言葉で罵られた。こんなことでは、結婚生活はマイナスにしかならない。奥さんがいなくなった方が、経営はうまくいった。子供たちのためにプラスになった。

 私は世の中のドラマ、歌謡曲の多くが恋愛至上主義であることに違和感を感じる。人生は恋愛だけで出来ているわけではない。女子とは、そこが合わない。めんどうくさい。

距離を置かないと生きていけない。

 オフコース

「眠れぬ夜」(作詞・作曲 小田和正)
たとえ君が目の前に ひざまずいて すべてを 忘れてほしいと 涙流しても 僕は君のところへ 二度とは帰らない あれが愛の日々ならもう いらない
愛に縛られて うごけなくなる なにげない言葉は 傷つけてゆく

自分で生きていけない幼い娘たちを支えるには仕事。塾の土地や家の資金を得るために両親の土地や家が担保に入っていた。私がコケたら両親は家を取り上げられる。

そんな状況で

「私と仕事のどちらが大切なの?」

と選択を強要されたら、仕事を捨てるわけにはいかなかった。娘たちには可愛そうなことをして、申し訳なかった。

同情してくれる人もいたが、当時の私は夜逃げか首吊りかという状況で嘆き悲しむことができるほどの、ぜいたくな環境にはなかった。

何もかもが落ち着いて、娘たちが独立したから今は何でも言える。しかし、当時はそんな状況ではなかった。シングルファーザーは楽とは言えない。

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