今もRX-7とともにいる           

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ー序章ー

MAZDA RX-7 (FD3sⅥ型)との付き合いは はやいもので16年目を迎える

現在の走行距離は約50,000㎞
自分でいうのもなんだが ここまで無事故で 車両コンディションは上々

2年前 息子が免許を取り クローズドコースで 

そして去年 公道で RX-7をドライブさせた


 息子にはRX-7入手に至る過程はざっとは説明してある

しかし まじまじと話したことはないので 

"いつか この記を息子が目にする機会があったら”

という想いもこめ

この RX-7(以下 FD )に乗ることになるまでの経緯について

ここに記憶をとどめるため文字に残すことにした


ー希望と現実ー 

26年前 就職して初めて買った車はEunos Roadster(NA6CE)


乗れば乗るほど愉しいクルマ

オープンで乗る爽快さとRoadsterのどこかノスタルジックでキュートなルックスも相まって 

 ワインディングを走ることが愉しくて仕方なかった

ここで得られる愉しさは 速さ ではなかった

 もっと愉しく 気持ちよく 走らせたくて 

あれこれ情報を集めながら 財布と相談しながら 自分なりのモディファイを施した

工賃浮かすためにいろんなことも覚えた

自分で触ると車の構造も良くわかってくる 

当時の仕事にはまったく役に立たない車の知識

仕事半分だったことも今となっては否めない が それが当時の自分だった

 何処走っても愉しくて サーキットにいったり 

ジムカーナをやったりもして 休日にしか乗らなくても 

1年で軽く15000kmをこえた

23歳当時 筑波サーキットに出没していた頃 

driver という雑誌の取材を受けたときの一コマ


Roadsterを買う前  当時 本当に欲しかったのはFDだった

まずは性能云々ではなく そのデザインに やられた のだが

量産国産車唯一のロータリーエンジンをパワートレインとする

マツダRXシリーズの系譜にも興味をそそられていた  


そして あの項は 速さ がアイデンティティであり

ステータスになりえた


ここでいう 速さ には

クルマが有するスペック によるもの と 

それを使うことのできるドライバーのスキル 

 の2つがある

前者はクルマに注ぐことのできる財力に相関するが 

後者はそこに依存する幅は少なく 

ドライビングに費やした時間が向上をもたらせてくれるものである

そして そのスキル獲得には天性も重要な要素であろう

ドライビングスキルを高めるセンス が乏しいと感じていた自分だったが

 クルマを自由に操り 颯爽とワインディングを駆ける姿に憧れがあった


そこで妄想するFDを駆る自分

FDのカタログを眺めたり実車を見ては

「いつか!」 

という 想いで 溜息がもれたのが思い出される

しかし 就職したばかりの経済力では その車体は高嶺の花

    車両そのものの価格帯

    高額な自動車保険料

    4km/ℓといわれた燃費   

     これらの点は 経済力のない当時に 購入を躊躇わさせるには十分すぎた


そこで 現実的に考えた結果が

オープンボディに使いきれるであろうパワーの後輪駆動 

マツダ(当時はEunos)のうたう

人車一体というキャッチコピーをかかげたRoadsterだった


Roadsterの乗り初めには クルマを愉しむことに没頭し

時間があれば ステアリングを握っている時間を過ごしていた


当時 Roadsterを手放すつもりは毛頭なかったが

なんとなく 「次に乗るなら」と考えたりすると

憧れるクルマは それまでの FDから 

  Caterham Super SEVENに変わっていたりした


Roadster生活2年目の終わり頃 結婚した

その後  子供ができて しだいに妻のお腹が目立ってきて

そんなある日 妻からの言葉に衝撃うける

この車だと乗り降りたいへんだし この乗り心地じゃ流産するかもよ

たしかに コーナリングの気持ちよさのために固めた足まわりに 

バキバキに効くL.S.D 助手席にまで奢っていた体を包むフルバケットでは...

それまで我慢して乗っていたのだろう

自分
もう 自分の楽しみだけでは生きていけないんだ

そして妻が妊娠7ヶ月になるころのある夜 

Roadsterはうちから消えた

今でも遠ざかるあのエキゾーストノートの残響が思い出される

自分
いつか また 乗れるときがくる

その夜は そう言い聞かせ 胎動を感じる妻のお腹をさすりながら眠りについた


臨月になったころ

子供が生まれておちついたら Super SEVEN買えるように貯金しよう

これから子育てに金がかかる時期だというのに 

自分の戯言を覚えていたのだろう

そんな 妻の言葉に励まされ 

しばらく ファミリーカーで落ち着くことに決めた あの頃だった



ーFDへの布石となった出来事のひとつー

子育て生活は 車の存在を 趣味から生活家電製品同様のものにしていった

そこにドライビングプレジャーといわれる類のものはないに等しい

それでも 便利 という基準が車の所有理由であり それでいいとも思っていた


二人目の子供を授かり その子が小学生になったころ

「マニュアルミッションのクルマを運転したい」

という想いがどこからともなくふつふつとしていた

この思いは日ごとたかまってゆく


数年前に転職し 先の思いは ストレスとも直結していた

そのストレスをいなすため 

以前愉しんでいたドライブというストレスマネジメントを求めていたのだろう


しかし 現実がもつ諸々の制約やしがらみがそれを 簡単にはゆるさない 

  それでも 想いは募る

 自分の中で見失っている自分らしさのピースを探すかのように

  もう一度Roadsterを と 物色をはじめていた

だが そんな物色は 気づけばいろいろな想いが交錯し

・マニュアルミッション

・運転ソノモノを愉しめる車

・クーペかハッチバックのボディ

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