九十一歳初観戦

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鈴木家一行が帰っていった。この家ができたら、一番最初に呼びたかったのが福島の仮設住宅で一人暮らしをしているばあちゃんだった。サッカーのナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」の近所で酒屋を営んでいたばあちゃん、原発事故でお店は廃業してしまった。四畳半の小さな部屋で、Jヴィレッジを思いながらよくサッカーの試合を見ている。


鹿島アントラーズが好きで茨城県鹿嶋市に家を建てた。私が鹿嶋に引っ越したら、ばあちゃんをカシマスタジアムに連れていきたいと思っていた。91歳だから、体力的にもこれが最初で最後になるかもしれないと思って、万全の準備をした。


車椅子は鹿嶋市社会福祉協議会が無料で貸してくれて、とてもありがたかった。駐車場からカシマスタジアムの車椅子席へは、どうやって入ればいいのか。クラブに問い合わせたら、スタジアム併設の車椅子専用駐車場を手配してくれて、事前に駐車券を送ってくださった。


ただひとつ、残念だったのは、「家族4人でサッカーを見たい」という願いが叶えられなかったことだ。車椅子席の同伴者は1名のみ、ばあちゃんともう一人だけであとは一般席で見て下さいという。「どうしても家族バラバラで見ないといけませんか?」と何度もお願いしたけれど、鹿島アントラーズの回答は「バラバラで見てください」というものだった。粘りに粘って、同伴者を2名にしてくれたけど、結局のところ「4人で一緒に観戦する」ということは、鹿島アントラーズ的には受け入れてもらえないということで、私は電話を切って心の底から思った。


なにがアントラーズファミリーだ!!!!!


この日、会津若松の復興住宅で暮らす母親も鹿嶋にやってきた。震災前から絶縁状態にあった人だ。私はこの人に捨てられているし、世界で一番嫌いな人だと言えるかもしれない。その人を、ばあちゃんが鹿嶋に来る機会に一度だけ呼ぶことにした。


さらに、東京にいる弟もこの日呼んだ。ばあちゃんが来るから手伝ってと言って呼んだけれど、実のところ母親と弟を引き合わせることも大きな目的だった。私同様、弟も親子関係が完全に崩壊していたし、震災前から2人は随分と長い間会っていなかった。今のところ集まれる私の家族はこれで全員だった。会えるときに、全員で会って、ごはんを食べたかった。普通の家族のように。


だから、スタジアムで弟だけが別の席で観戦することになったのは、本当に残念だった。サッカーに興味のない弟が私のユニフォームを着せられて、ばあちゃんの車椅子を押してくれるのが私はうれしかった。そして、試合中に弟がたった一人で観戦しているのを思うと、かわいそうなことをしたなと思った。たぶん二度とこの家族がこうしてスタジアムに集まることはないと思う。一生に一度だけ、4人で観戦したかった。


2014年のお正月、小笠原満男選手が発起人となって発足した「東北人魂」の被災地訪問をお手伝いさせていただいた。若い選手たちが原発事故の被災地を巡るにあたって、地元出身の私がガイドをすることになった。当時、東京に住んでいた私は当日を迎えるまでに、何度か福島に下見に出かけた。何かあってはいけないからと、線量計片手に念入りに安全なバスのルートを調べ尽くした。そして、選手たちが地元でサッカー教室を開催してくれたときに、小笠原選手にばあちゃんを紹介させていただいた。ばあちゃんはそのときの感激を、趣味の川柳にして毎日新聞に投書した。小笠原選手とのツーショット写真は今も大事に、仮設の小さな部屋に飾ってある。そのこともあって、小笠原選手が活躍する姿をぜひ一度鹿島スタジアムで見せたいという思いもあったのだった。



他のクラブでは、ファミリーシートというのがあって、車椅子でも家族で観戦できるところもあると聞いた。でも、付き添い1人というのは鹿島のルールだから仕方がない。これは単なる私のわがままなのだ。サポーター仲間が、あちこちに問い合わせて4人で観戦できるように奔走してくれたけど、あの席はピッチに最も近い特等席なので、過去にズルをして、健常者が障害者を偽って入場したという問題もあったらしい。実際、車椅子席からの観戦は、かなり特別なものだった。ピッチレベルの席に着くと、偽って車椅子席に入場したい気持ちも正直わからないでもないなと思えるほど、スペシャルな席だった。


試合前に、選手がスタンド目がけてサイン入りグッズを投げ入れる。それを車椅子席の観客に手渡すことも多々あるから、それを目当てに偽る人もいるようで、このエリアの入場は厳重になってしまったようだった。実際、試合前に金崎夢生選手が、ばあちゃんの元に走ってきてサイン入りTシャツをそっと投げ入れてくれた。33番の金崎選手が、33番のカードを首から提げたばあちゃんの元に走ってきたのは、完全に偶然だった。喜んだのはばあちゃんよりも、私の方だったのは言うまでもない。



カシマスタジアム名物のスタジアムグルメ、モツ煮としらす丼を家族4人で食べた。あまりの人の多さにばあちゃんは言葉を失っていたけれど、ご飯をペロリと食べて試合に備えた。問題の多い家族だったから「みんなでごはんを食べる」という時間は、極めて珍しいことだった。私はこの鹿嶋で、こういうなんでもない時間を作りたかったのだ。


91歳のばあちゃんは目の前で繰り広げられるサッカーというものが、よく理解できていないようだった。そして、Jヴィレッジの何面もある練習場を見慣れていたばあちゃんは、カシマスタジアムを見て「小せえなあ!」と言う。これから練習か?練習やるのか?というので、「本番だよ!ばあちゃん、サッカーの試合、本番だよ!」と何十回も繰り返した。同じことを何度も、何十回も繰り返す老人との会話は、忍耐だ。苛立ってはいけない。40番の赤いユニフォームを着たばあちゃんが、サッカーを見る光景はあれからずっと夢見てきたことだった。


後半から日が沈んで体が冷えてきた。ばあちゃんをブランケットでグルグル巻きにした。試合終了の笛が鳴るまでばあちゃんの体力が持って、ホッとした。スタジアムに行く前から「テレビでいい」「ばあちゃんは一人で留守番してる」「億劫だ、行きたくない」と言っていたけど、試合が終わると「一生に一回くらい、本物のサッカーもいいもんだな」と言ってくれた。



ばあちゃんはいわきへ、母親は会津へ、弟は東京へと帰っていった。サッカーでみんなひとつになれて、私はもう胸がいっぱいだった。原発事故がなければ、ばあちゃんは今も変わらずご近所のJヴィレッジに通い、サッカー日本代表シェフ西さんのランチを日々の楽しみに過ごしていたはずだ。だけど、原発事故があったから、こんな貴重な経験ができた、ありがたいとばあちゃんは言った。私は「そうだね、よかったね」とは絶対に言いたくない。



追伸

家族で観戦できないなら、テレビでみんなで見ればいいのではと最後まで悩んだ。鹿島アントラーズには、ぜひ車椅子の家族と観戦できるファミリーシートをつくって欲しい。スタジアムで観戦する価値がそこにはあるのだから。

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