ソーシャルジャスティスウォリアー

私自身もその一端を担ってしまっているかもしれない「ソーシャルジャスティスウォリアー」なる存在。まぁ日本的な言い回しをすれば「ネットで正義感を振りかざす者」ということになるんでしょうか。


SNSの利点とも弊害とも言えることですが、著名人が自ら発信し彼らの行動が逐一流れてくる世の中になりました。ブログ、Twitter、facebook、Instagramなどなど。いい意味では著名人が親近感を持てる存在になったと言えますが、悪い意味では垣根が低くなったと言えるでしょう。



私のような小市民が例えばTwitterで呟いたところで、そうそう世の中に大きな影響を与えることはありません。デマ・グロ、そんな類のものを発信しないかぎりはほとんどが「独り言」で済みます。


しかし、著名人が何気なく発した一言、普通に掲載した一枚の写真。たったそれだけのことでSNS民は大騒ぎします。賞賛されているうちはまだマシですが、一歩間違えば「売名行為」、「現実をわかっていない」との炎上騒ぎ。まぁ最近ではわざと炎上を仕掛ける著名人もいますが、それは例外ということで。


中森明夫氏だったような記憶がありますが、

「著名人というのは一瞬で大きなものを得られる代わりに、一瞬で大きなものを失うんです」

そんなことをおっしゃっていたような気がします。


Twitterひとつ取ってみてもよくわかります。自動フォローツールでも使わないかぎり、一般人がフォロワー1000人を集めるのは大変なことです。しかし、著名人が「Twitterはじめました」と呟けば、瞬く間に10000人のフォロワーが集まります。集まるというより手に入るという方が正しいのかもしれませんが。


その分著名人がちょっとした失態を犯す(犯したと正義民が勝手に判断する)と、この10000人がどう転ぶかわかりません。ネズミ講のようなリツイートの嵐。それが各種ニュースツールに反映され、またTweet地獄になるという悪循環が起こります。


こういった現象が起きてしまうことはもはや避けられないSNSという世界ですが、その理由の一つには「SNS民の大半がその事態に直面していないこと」があると思います。今回の地震のような事態に直面している人は、自らのことを考えるだけで精一杯です。他のSNS民が何を呟いているかなんて気にかけている時間はまずないでしょう。


要するに「テレビやネットの向こう側」で起きていることを傍観できる立場の者が基本騒いでいるのです。そしてもはや誰のために振りかざしている正義感なのかもわからないままに、自らが信じた正義を通そうとします。的はずれな標的に向かって…


正義感を振りかざしているかどうかは抜きにして、今このような書き物をしている私自身も同類だと考えています。本来なら書かなくてもいいことをわざわざ書いているのではないか。ややもすれば自己満足のためだけに書いているのではないか。そんな思いも抱えています。


海外ではもっと顕著で勢いの止まらない「ソーシャルジャスティスウォリアー」。個人が思い思いに表現できる場所が急激に広がった反面、表現や言論の自由にともない発した一言や写真が、いとも簡単に「正義」に潰されるという矛盾。この流れはさらに加速していく一方なのでしょうか…

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