発達障害の息子と育児ノイローゼの嫁から家族の本当の幸せを教えてもらった話 第6回

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前話: 発達障害の息子と育児ノイローゼの嫁から家族の本当の幸せを教えてもらった話 第5回


このお話(全5回)を書いてからおよそ1年

長男が入退院して1年が経ちました。


入院してからおよそ半年後

無事長男は退院をすることができました

今回はその1年、2016年とそして今のことを書いていこうと思います。


そもそも書くことを再開するきっかけとなったのは

妻の一言でした

あのSTORYの続き書いてくれないの?
書いていたこと知っていたんだ。。。
うん、よく書けてたと思うよ
だからこそ続きが読みたい

っていうか近所のママ友にこの話読んで感動した!とか言われたしさ〜

自分の備忘録として書き始めたこのSTORYも

気がつけばたくさんの方々に読んでいただきました

妻がSNSを始めたこともあって一読者となってくれていたのです


今でこそ長男の発達障害のことを客観的に

書くことができますが、それは去年一昨年と家庭環境がドン底

の時には考えられないこと

まさに


喉元過ぎれば熱さ忘れる


とはよく言うもので辛かった現実はこうやって書き記しておかないと

あっさりと忘れてしまうものなのです

今だって育児が辛くて一家心中してしまう悲しいニュースは

後を絶たないですし、その家族が我が家であってもおかしくない

それくらい我が家は壊れかけていました。


2016年2月某日

長男の入院の日がやってきました。


2月は長男の誕生月、9歳を目前にして

長男は入院することになったのです

発達障害によって昼夜が逆転してしまった長男

体力もついてきたことから家で暴れたり

時には暴力を振るうようになっていました

育児の自信も完全に失ってしまった妻も限界

入院は我が家の最終手段でもあったのです。


私たちを苦しめた長男の言動

しかし入院当日、長男との別れは私たちにとって

相当辛いものでした

その時に我が子への愛情を再確認できたのです


憎いのは長男自身ではなく

彼の発達障害の症状だということ


本来、家族とは同じ屋根の下で暮らすもの

それをある意味放棄せざるを得なかったことは

親失格なのではないか


私以上に妻は自分自身を責めていたのではないか

と思います




長男の9歳誕生日当日

平日だったその日は仕事を終わらせ

病院に向かいました

誕生日おめでとう!
でも誕生日が病院でごめんな
長男
うん、寂しいけど がんばるよ
だからパパ泣かないで、、、
一緒にお祝いできなくてごめんな
ごめんな
ごめんな、、、
長男
パパが泣いたらボクも悲しくなっちゃうよ
長男

涙を堪えていたつもりが長男にはバレていました

お互い泣きながら過ごした9歳の誕生日は

忘れることのできない日となりました。


この時すでに入院から2週間近く経っていましたが

入院当初は長男も泣きながら暮らしていたそうです


入院以来、私と妻の心もポッカリ穴が空いたような

状態でした。

しかし今となっては


長男への愛情の証を知る機会として

子どもと距離を置く時間


が私たちには必要なことだったのだと思います



入院期間中、私は長男へ手紙を書くようにしました


家族皆が長男の退院を待っていること

パパの仕事のこと

ペットのこと


手紙を書くことで伝えたかった大切な想いが

言葉にできた、そんな気がします。



入院から約3ヶ月

長男は1泊2日ないしは2泊3日で

自宅への外泊が許されるようになりました。


病院へのお見舞いは親及び祖父母のみ可能で

兄弟のお見舞いは許可されませんでした


「お兄ちゃんに会いたい」


口々にそう言う兄弟にとっても

兄の存在は大きいものでした


こうして入院という


家族別々に暮らす時間


を通じて家族の絆が修復され

いい方向に深まっていったのです。



「時間」を通じてママの育児への自信も戻ってきました

長男の入院と同時進行で病院からは


ペアレント・トレーニング


の受講が始まった妻。


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