そのルール、誰が決めたんだっけ?

 

そのルール、誰が決めたんだっけ?

亡き父は戦中派で、中国で戦っていたそうだ。大学受験の頃に戦争になって兵役についたので大学に行けなかったそうだ。父の実家は中庭つきの豪邸だったからお金の問題ではないと思う。

塾を始めた頃に、ライバルだった塾が5つあったが、今、残っている塾は1つもない。いつも利用していたGSがつぶれたので、ここ数年は違うGSに通っていた。そしたら、先日そこもつぶれた。また、新しいGSを探さないといけない。セルフが増えて競争が激烈になってきたらしい。

もと塾生が始めたコンビニがあったので、通っていたら数年後になくなった。地元で、50年前からあったスーパーが昨年つぶれた。近所に、イオンやヨシズヤができたからだ。

教材を購入していた教材販売会社がつぶれたので、別の会社と取引をしている。電話帳広告は、固定電話がなくなりそうなので掲載を中止した。新聞を読む人が減ってきたので、チラシの数を減らして、HPや動画、ブログに切り替えた。

個人情報保護法の影響で、市役所が住民票の閲覧を簡単にさせてくれなくなって、DMの送付をやめた。それにともない、名簿から宛名シールを打ち出すコンピューターも不要になった。

盛者必衰。栄枯盛衰。

全国的に見ても、三代予備校と言われた代ゼミが大幅縮小した。DVDで売っていた東進衛星予備校も、動画の普及でアップアップしている。

こんないなべ市のような田舎に高速道路を建設しているし、車の普及で北勢線は廃線になりそうな気配だ。

塾業界も、少子化の影響と偏差値追放の影響で、昨年は三重県で最大・唯一の模試「三進連」が倒産した。何もかも移り変わっていく。激変と言っていい。変化についていけない企業、スーパー、コンビニ、塾が次々と消えてゆく。

アメリカには塾がなかった。日本も、塾という職種自体が消えてしまう可能性もある。三代予備校と言われていた代ゼミも大量閉鎖だ。大学は統廃合が進み、有名大学以外は消えてゆくかもしれない。母校が消えたら悲しいが、感傷にふけっている余裕はない。

未来だけを見て、計画し、実行できる人だけが生き残る。これは、サバイバルゲームなのだ。受験は、その最前線だ。アイツが合格したら、オレが落ちる。自分の方が性能がよくて、使えることを証明しないと生き残れない。合格できない。

 私も、あわや倒産という危機に何度も陥った。そのたびに、必死で生きのこり策を考えてもがいた。アメリカから帰国して失業したときも、「ダメかも」と思った。土地を買って建物を建てたときも、冷や汗が出た。その後も、病気に入院したり、バツイチになったり、危機の連続だった。

 娘たちの大学の学費を捻出したときは、本当に「今回は乗り切れないかも」と夜逃げを覚悟した。そういう危機に陥ったとき、私はいつもゼロから考え直した。「英語の先生が理科を教えるのはムリ」。そんなこと、誰が決めたのだ。

「50代で京大を受けるなんて変」「7回も受けるなんて、おかしい」

 誰がそんなことを決めたのだ。中年がネットを使うのは無理。個人が通信添削なんて、ムリ。世の中、チャレンジをしようとすると、誰かの作ったルールだらけ。私は、そういうルールは人をダメにするものだと思っている。

  実際、私の指導させてもらってきた成績優秀な子たちも学校の制度を気にしない子が多い。役に立たない宿題は適当に手を抜くし、極端な子は拒否していた。強制的なクラブを拒否していた子もいた。宿題さえ無視している子がいた。

  自分の学力、志望校、ライフスタイルが優先で、誰かの決めたルールが自分に合わないのなら、従う必要はない。私は大学受験の5日前にノイローゼで入院騒ぎを起こして痛感した。非人間的なルールに従ったら身がもたない。

  以来、私は自分のペースで生きてきた。他人の決めたルールに従っていたら、つぶされてしまう。倒産していったスーパー、塾などはイノベーションに失敗した。旧来のやり方から一歩も出られなかった。その結果は、重大だ。

  私の塾生の子たちは、変な子と言われる子が多い。時には、反逆者のレッテルを貼られる。決して、良い子ばかりではないのだ。暴走族のような反逆者ではなく、ニッコリ笑って教師の言うことを無視する。

  「師」と呼ばれるためには、いろいろなことを知っていなければ生徒の質問に答えられない。大学を出て、採用試験を受けて、そのまま親方日の丸の公務員の教師。社会で働いた経験がゼロ。これで、生徒の将来の仕事の相談に乗れるわけがない。

  そんなレールに乗ったら、良い教師になれない。はみ出して社会に出る。仕事をして、経験を積んだ後で教師になる。生徒のことを考えたら、それが正しい。でも、社会に出るのは怖い。レールを外れるのが怖い。生徒のことより、自分が大事なのだ。

  シャープも、三菱自動車も、東芝も消えてしまうのだろうか。大企業といえども、胡坐をかいていたら、アッと言う間に消えてしまうご時勢だ。かつて、この世の春を謳歌していたテレビはネットに押され、新聞を読む人も減り続けている。

  栄枯盛衰。諸行無常。

  いくら、教師や文科省が偏差値追放、業者テスト追放、輪切り指導反対と言っても生徒は偏差値や順位を必要としている。順位を知らずに、受験校を決めたり、本番受験に臨むなんて自殺行為だ。

  塾や模試をどんどん利用しよう。

  日本のルールが正しいとは限らない。日本では、他人と同じことをするように求められる。和を乱すと、村八分。子供の世界なら、イジメ。しかし、私の教えていたアメリカのローガン中学校では、ルールは逆だった。「人と違うことをやろう」。これが、正しいルールだった。

  どちらのルールが正しいのか、決めるのはあなただ。日本の教師の鈴木さんでもなければ、アメリカの教師のアランでもない。あなただ。

  もし、四日市高校に合格するために学校指定の問題集より自分の見つけた問題集がすぐれているなら、先生にそう言えばいい。「私はこれをやるので、宿題は免除して下さい」。私は、実際にそうした。許してもらえた。

  もし、京都大学に合格するためにクラブの時間を勉強にあてたかったら、教師に言えばいい。教師には、あなたの行動を決定する権限はない。法的根拠はない。拘束する権利はない。

  世の中には、そういうルートを通って(登校拒否し、高校卒業資格検定をとる)大学に合格した子もいる。

  あなたが、どういう立場にみえるのか知りません。しかし、このようなはみ出した子に手を貸す機会があれば、手を貸してあげて欲しい。日本の教育現場は、強制だらけで、がんじがらめだ。

 文科省は来年度から、不登校の高校生がフリースクールなど学校外の居場所に通っている場合、在籍校の校長の判断によって、出席日数に加えることができる方針を出した。学割定期の適用についても検討を進めている。

 出席認定、学割定期の適用については、2月25日のフリースクール環境整備推進議員連盟、2月27日の中央教育審議会で報告された。出席認定について、文科省は「自立支援という観点から、フリースクール・民間施設での活動を積極的に評価できるようにしたい」と話している。ただし「高校生」という枠組みのなかに通信制高校が含まれるのかはいまだ不透明。

  腰の一番重い文科省も動き始めている。もう変わり始めている。あとは、勉強を怠けたい生徒が悪用しないためのストッパーをかけるだけだ。

  技術立国の日本は、はみ出した優秀な若者を求めている。必要なのだ。教師たちの妨害は日本を崩壊させる危険がある。

  もちろん、その指導方法が適切なら敢えて逆らう必要はない。ムダなエネルギーは極力避けて全力を「合格」に傾注しなければならない。無駄ならためらわず自分の内職に精を出してもいい。

  たとえば、数学は2000題くらい解くと身につくと言われている。たいていの問題集は300題ほどの場合が多い。つまり、7冊ほど仕上げる必要がある。実際、私もオリジナル、1対1、チェック&リピートをそれぞれ2周した頃に、京大二次を受けたら7割ほどだった。

  すると、「毎日2、3題」というノルマが出る。英単語は6000語ほど必要だ。それぞれ科目ごとのノルマを割り出すと、およその毎日の勉強時間も分かる。それが確保でき、実行できるのならいい。

  しかし、実行できないならクラブ、習い事、生徒会、恋愛など何でも切り捨てる覚悟が必要だ。教師の指示が、合格プランの邪魔になるのなら、ためらう必要はない。信じる道を行くだけだ。

  それしきの覚悟がないのなら、初めから難関合格を考えない方がいい。私の指導させてもらった難関校合格を成し遂げた生徒は、大なり小なりそういう覚悟がある子だった。

  成績を上げる秘訣は、この覚悟。どの問題集がいいか悪いかなんて二の次。それが伝わり、理解できる塾生の子は、私の経験から言うと100人に1人かな。

  英検1級や、通訳ガイドの国家試験を受ける過程で、私は大学の語学センターからリンガフォン、ECCまで既存の学習法をすべて試してみた。しかし、ダメだった。だから、アメリカに渡った。数学も四日市高校のカリキュラムに従ったがダメだった。

  もちろん、責めるつもりはない。私に合わなかっただけだ。

  それ以来、私は自分で勝手に勉強を始めた。30歳で英検1級に合格した。50代で京大を7回受けた。誰からの指示も受けなかった。そして、各高校のトップクラスを指導することになって、彼ら、彼女らがワクにとらわれないことを知った。

  人の決めたマニュアルを順番にやれば合格できると考えている人は、残念ながら難関校の合格はムリだろう。

  この地区で、四日市高校に合格できるのは、上位の3%くらいだ。その中で、京都大学に合格できるのは、上位の3%くらいだ。つまり、三重県のこの地区で京都大学に合格できるのは500人に1人くらいの確率だ。

  私は名古屋の7つの大規模予備校、塾、専門学校で14年間講師をさせてもらったが、旧帝卒の講師や英検1級を持った講師に会ったことがない。そのような人が、京大合格に必要な勉強方法を指導していた。

  それほど人材難なのに、日本全国に塾や予備校があふれている。たいていの教師、講師の言う勉強方法はデタラメだ。しかし、そのデタラメであることを見破れるレベルの生徒も少ないから問題はない。そういう構図だ。

しかし、そんなデタラメは長く続かない。だから、つぶれていく。

諸行無常。盛者必衰。

父は、自分ができなかった大学生活を私にさせてくれた。父親になった今、それが結構誇らしい気持ちがわかる。私はその期待に応えたい気持ちがあったと思う。だから、文字通り真剣にやってきた。

現実にサバイバル競争なのに、「みんなで仲良く助け合いましょう」という左翼教師のスローガンは漫画にしか思えなかった。いや、手塚治さんの「鉄腕アトム」の方が、ずっと真実を教えてくれた。

「地上最大のロボット」のプルートゥは悪役だったけれど、ウランちゃんの願いを聞き、危機に陥ったアトムを救った。この世界は、きれいごとのスローガンで割り切れるような世界でないことは、小学生でも理解できた。

  受験業界では、今もありえないスローガン(キャッチコピー)を有名タレントが叫んでテレビの中でジャンプしている。愚かなことだ。

難関合格に必要なことは、自分で勉強法をギリギリの限界まで考えて、時間とエネルギーの全てを投入できる果敢な実行力なのだが、それが出来る人は極めて少ない。

  ほとんどの人が、惰性と「周囲の人がやっているから」という甘い決め方で進んでゆく。コケるに決まっている。合格者が少ないのは当たり前の結果だ。質の悪いもの、デタラメなものが市場から淘汰されていくのは一般の人にとって望ましいことだ。

  ただ、塾や予備校のような受験産業は事情が少し異なる。食品業界のように、誰にでも「うまい」「まずい」が分かるほどシンプルではないからだ。音楽業界や美術界と似ている。鑑定できる人、質の高いものを判定できる人が限られている。

  そのために、英検2級の先生が準一級の生徒を指導し、四日市高校を落ちた講師が四日市高校志望の生徒を指導していたりする。簡単な見分け方は、「成績優秀な子が通っているか否か」だろう。成績優秀な子は、鑑定眼があるからだ。

  

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