中度難聴だと知って変わったこと

1 / 2 ページ

難聴というものを伝えてみようと思った

難聴者というのは、理解され難いモノのようです。
なんども説明しては理解された風に接せられ、それに期待して裏切られ、酷い言葉を浴びせられる事で、
理解してもらう方法を自分なりに試行錯誤しては酷い扱いをうけて心が折れるの繰り返し。
みんな、そのうち考える事をやめた。

でも、伝えなければお互いに理解しあえないのではないだろうか。
私は今、聞こえの説明として「聴こえの可視化」という方法を試しています。

その前に、まず私の耳の事を少々お話しします。
お急ぎの方は飛ばしてもらっても結構です。
とりとめもない文章で申し訳ありません。
長く冗長なのは御容赦ください。

最初の自覚

私の耳が少し悪い事は、幼稚園の年長組さんの頃から自覚があって
小学校の頃は身体測定のたびに聴覚は再検査が帰ってきていました。
それでも人より少しというレベルのまま成人する頃までは
多少不便だなと感じるくらいで、それが当たり前だとおもっていたのです。

以前の日常での心がけ

さすがに授業とかでは聞こえませんでしたでは済ますわけに行かないので、
席順では前の方を希望したりしていました。
「物好きなヤツ」という印象を持たれていたうちは良かったのですが、
「先生に媚を売るやつ」と考える人も居たようで、そうした方々から色々ありました。
セミナーや講習会なんかでもアリーナ席はいつも空いてるので
席取りで困らないという点では有り難かったのかも知れません(笑)

中度難聴を知る

そんな私ですから中度難聴者のご多分に漏れず、
「自分は障害者ではない。ちょっと人とは違うだけなんだ」と思っていたし考えてました。
もちろん障害者を差別する意識も区別する意識もありませんでした。
ただ、障害者手帳とかそういうのとは完全に無縁の世界だと思っていたのです。
ところが三十路を半ばも越えようとする4年前の事。
たまたま難聴についての説明を探している時に、見慣れない言葉として中度難聴というものを知りました。

軽度難聴者は文字通り日常生活にはほとんど影響がない人ですし、自分もこれだと思っていました。
重度難聴者は、これも文字通り重度の難聴で、完全に聞こえないか、補聴器ナシでは日常生活を送る事が困難な人の事だと認識していました。

そこへ、「中度」です。
文字通りなのでしょうけど、じゃあどこが違うの?という疑問からコレについて調べていくと、
軽度と違って日常生活には支障があるけれど、
重度とも違って補聴器がなくても生活が出来なくも無い人だという感じです。

数字的には、軽度難聴が10db~30db位のハンデなら、重度難聴は100db~という感じで、
中度難聴というのはこの間にあって30db~90db位のハンデを持っている人という事になる。
中度難聴の特徴は、一番重くても障害者手帳が貰えないというレベルの難聴という事です。
どんだけ日常生活に支障が出ていても、補聴器が必要であっても全額自費で調達しなければなりません。
手帳もないので口頭で説明しなければなりませんが、そんな専門知識もなければ、
中度難聴という概念自体が世の中に浸透していない為、説明も難しいと来ました。
ただ、今よりもっと重度に悪化した時には、「最初に診察を受けた時」が障害認定の基準日になってくるので、診断書やら検査データやらを確保して自分で保存しておかなければならないという話しもありました。

私の最初の診断って、小学生の頃にまで遡りますが、
普通にカルテ保存期間は5年とかそんなんですからね・・・。
あればラッキーということで、病院に電話して調べてもらいました。
カルテはなかったけれど検査データはあったというので、送って戴きました。
そして現在のデータと比べると30年かけて20db位は悪化している事は見て取れました。

単純に見れば、もう30年たった67歳の頃には60~90dbの難聴という事になる。
そんなデータを見ると、
やっぱり障害者手帳とかそういうのとは無縁な世界で、
公的援助も、また日常生活での社会の無理解とも付き合い続けなければならないのだなという思いを強く持たされました。

これはもう、公金に頼らない生き方をしていくしかないな!と(笑)
そして、もっと上手に説明できるようにならないとな!と。
同時に、中度難聴という社会からも、社会制度からも見放された層が、私以外にも少なくない数存在するという事。
中度難聴というものを、もっと知ってもらいたい!
そう思うようになりました。

我、難聴を知り、難聴を伝えるの道

難聴って一言で言っても色々あるのが厄介。
一般的な認識での難聴って、
・耳元で大声で叫ばないと聞こえないとか、
・手話が必要なんでしょう?
そんな認識だと思います

でも私が現在知る難聴には
聞こえの程度による差別化(軽度・重度)と、
「感音性難聴」と「伝音性難聴」という機能性のモノという感じで、
判断基準が2系統有ることを知っています。
これらを上手に伝える為に試行錯誤を始めた次第です。
「私のは感音性難聴で、中度難聴なんですと。」
それでは伝わらないので、どんな風に聞こえているのかを色々例に出してました。
個人的に一番気に入っているのが
「字幕なしで韓国ドラマを見た時に似てます」という説明ですね。
韓国語は日本語とアクセントの位置や感情表現が似ています。
でも異言語なので字幕なしでは理解できないですよね?
でもたまたまTVの前を通りかかって、いつもどおり何言ってるか聞き取れないけど見ていたら、それが字幕なしの韓国ドラマだったことがあって、
ああ、日本のドラマでも同じじゃん(笑)って気付いた時には、
これは健聴者に理解してもらうのにはうってつけだと思ったのです。

「なんとなく感情表現は理解できる、音も聞こえている。
でも何言ってるか理解出来ない、聞き取れてないのかな?と自分を疑う。」
「ああ、コレ韓国語か~」(理解できなくて当然だわな)
みたいなね。

日本人なのに日本語が理解出来ていない、聞き取れていないから。
聞こえているけど聞き分けられない。
これが感音性難聴。加えて音量的にも聞こえ難い中度難聴付き。
耳栓か、イヤホンして会話聴いてくださいって感じです。

口頭ではあまり難しい説明はできません
でもインターネットなら長い文章でも興味を持ってくれている人は読んでくれる。
と期待して、詳しく書いてみています。
今年試している手法は「聴こえの可視化」というものです。

聴こえの【可視化】と、聴こえの種類

伝音性難聴

伝音性難聴というのは、一般的な認識に有るとおりの難聴で、
物理的に音が聞こえない性質の難聴です。
具体的には、何らかの理由で耳穴がふさがってしまっているとか、
内耳などの内部器官が奇形もしくは病気などによって機能を失ってしまっているケースなどが考えられています。
この難聴の場合は、どの音域(低音・中音・高音)でも等しく聞こえないか聞こえ難くなるのが特徴です。

絵にするとこんな感じです。

感音性難聴

感音性難聴というのは、音として聴こえてはいるけれど
言語として聞き取れていない性質の難聴を言います。
内耳だかの器官に到達した音を、電気信号に変換して神経に伝達するのですが、
この信号への変換が正常に機能出来ないから起きる障害です。

著者の清田さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。