【第7話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

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【第7話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。
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母の余命の期限である半年は過ぎ、季節は夏になろうとしていた。

これ以上病状が良くなることはなかったので、終末期の患者が入院できる病院へと転院し、これからどうするべきなのか兄弟で考えた結果、もう長くはない母を1度は家に戻してあげられないか、ということになった。

兄は東京で、腹違いの2人の兄姉はすでに家を建てて暮らしていた。

実家は父と母が病気に倒れてからの長い間空き家となっていたため、庭は荒れ放題、部屋の中もとても人が暮らせる状態ではない。それでも母を家に戻すためには、誰かが実家に越してきて、家や庭を整理し母を迎えなければいけない。

そこで白羽の矢が立ったのが、当然のように僕だったというわけだ。

家賃を払い隣町の水戸でアパートを借り、貧困のどん底にあった父子家庭。それは兄の思いやりだったのか、それとも、自分たちができないことを都合の良い弟に押し付けたのかは定かではないが、上の子の小学校が夏休みになるタイミングで、実家に転居することになったのだった。

転居費用は捻出できず、自前の車で運べるものは暇を見つけては運び、運べないものは捨てた。

母の病状を思うと、なるべく早いタイミングで実家を掃除し転居しなければいけなかったが、僕には自分や兄弟や母の都合より、子供たちの人生を最優先させなければ先に進むことができなかった。

小学3年生になっていた上の子は、隣町に引っ越すために転校せねばならなかったし、下の子は幼稚園を辞めることになった。

とても、隣町から幼稚園に毎日送り迎えをすることはできなかったし、上の子の転校の手続きや母の介護、実家の片づけ、子育てに日常の雑務、転居にあたり今住んでいる借家も片付けて荷物をまとめなければいけない。

小さい子供2人を連れ、真夏にはかどらない仕事をせねばならず、毎日が手いっぱいだった。

転居先から下の子を隣町の幼稚園に通わすことはもはや不可能で、かといって半年足らず通う新たな幼稚園を探すだけの余裕も無かった。

正しい決断だったかどうかは今もわからないが、転居に伴い下の子は幼稚園を退園した。

上の子は義務教育だったから、面倒な手続きも、すべての事情を話すことのできない僕たちの境遇の説明も、どうにかこうにか済ませたのだった。

母子家庭の母親が、子供を預けるところがないから働きに出られないという、待機児童の問題が世間をにぎわせているけど、幼稚園に行かせることが出来ないほどの僕の事情は、どうすれば良かったのだろうか。

今もよくわからない。

たった一人ですべてをやらなければならない父子家庭生活、やらなければならないことが多すぎたし、父親だからできないこともある。

子供が小さいころはなおさらだ。

子供が小さいときの社会の仕組みは、母親中心の考え方で世の中が成り立っていて、父親だからこそ入り込めない入り組んだ迷路のようだった。

小さい子供2人を連れ、毎日猛暑の中荒れ果てた庭の草を刈り取り、物で埋め尽くされた部屋を一つ一つ整理して、まだまだ目の離せない子供たちに注意しながら、30分に1回は手を休め、子供達と一緒に遊んだ。そんな生活を夏休み中繰り返し、どうにかこうにか部屋としての体をなしたのは、夏休みも残り数日となったころだった。

子供たちは数日たらずの新学期を今までの小学校と幼稚園で過ごし、もろもろの手続きを済ませ仲の良かった友達や近所の人たちに一通り別れの挨拶をし、引越しにあたりお別れ会なども催してもらった9月の初旬、借家を引き払い無事転居したのだった。

下の子は幼稚園を辞めるという、突如訪れた状況を理解できるはずもなく、今日限りで幼稚園には行けなくなって、仲の良かったお友達とも会えなくなるということが実感できない様子だった。

上の子はといえば、小学校3年生ですっかり物心もつき、自分が今置かれている状況を理解していたので、転校はしたくないとそれはそれは見事なまでの抵抗を見せていたが、やがて、これは受け入れるしかないとわかったのか、本当に渋々ではあるけれど、僕たちの転居を彼なりに理解したようだった。

「新しい学校に行っても、絶対友達なんかできないよ・・・」

ふてくされながら、自分が否応なしに立ち向かわなければいけない未来を、必死に受け入れようとしていた。

親の都合で、一体この子達はどこまで受け入れなければいけないのだろうか。何に対して申し訳ないのかもすでに分からぬほどに、子供たちにとっての不都合は休む間もない。

精一杯の愛情と子供達に対しての贖罪の気持ちを目一杯込め、そして、これから幼い子供2人を連れてどうなってしまうのかもわからず一番不安だった自分に対しても、こう言った。

「世の中には自分の思い通りにならないことがたくさんある。もうだめだ、もうできない、やりたくないって思うことがたくさんあるんだ。でもね、どんな時でも自分に与えられた環境で、精一杯努力しなさい。どんなことがあっても、今日より明日はもっと素晴らしいんだから。転校したり、引っ越したりして不安がいっぱいなんだよね、でもね、大丈夫、絶対に大丈夫だから。明日はきっといいことあるって・・・なぁ、だから、3人で力合わせて、頑張ろうよ」

子供たちに与えられた様々な試練を、我慢して我慢して、恨んで恨んで卑屈になっていくのではなく、なんとかなるさと、明るく前向きになって欲しかったし、子供たちにそうやって暗示をかけなければ前に進むことさえ不可能に思われた。

父子家庭として生きるプレッシャー、先の見えない明日。

ちょっとずつ大きくなっていく子供たちは、悩んだり、落ち込んだり、心配事を口にしたりする僕に、時には逆にこう言葉をかけてくれた。

「パパ、大丈夫だよ、なんとかなるって」

「そうだな、なんとかなるな、ありがとよ」

僕は何度この言葉に救われただろう。

どんな時でも

「大丈夫、大丈夫」

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