【第15話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

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【第15話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。
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僕たちはいつものように父の病室へと向かっていた。

いつものように家の掃除、洗濯を済ませ、下の子の支度をし病院へ行く。何も変わらない、いつも通りの朝だった。

僕はベットに寝そべる父を確認し、その横に椅子を置いて腰かけ、持ってきた本を読んでいる。建物の隙間からわずかに見えるだけの11月の秋晴れの空が、この病室に唯一の色を落としていた。

父の病室は個室だったので、僕達が物音を立てない限り何の音もない空間。時折父の呼吸を確認しなければいけないほど、静かだった。

本のページをめくる音が、いつもより大きく感じられていたぐらいだ。

下の子は、僕の膝で寝てしまった。

何か言葉のようなものが聞こえたから、視線を落としていた本から顔をあげ、周囲を見渡してみた。

誰かが病室に訪ねてきたのだろうか。振り返っても誰もいない。

父が、僕の名前を呼んでいた。

「何、お父さん・・・」

入院してから、父が言葉を発したのは数回程度。

下の子を起こさぬように、ベッドの横に置いていたパイプ椅子を父の方に近づけ、読んでいた本を閉じた。

「俺のこと、分かるの」

父は、はっきりとした口調で「ああ、分かるよ」と言った後、また僕の名を呼んだ。

「どうしたの、今日は、すごいね」

「小学生のころリトルリーグに入りたいって言って、俺にお願いしてきたな」

「ん?何?」

「やるんだったらちゃんと練習に行くんだぞって言ったけど、途中で辞めちゃったな」

「そんなことあったね」

「たまに試合見に行ってたんだぞ」

「知ってるよ、俺下手だったからあんまり試合出なかったのにね」

「そうだったな」

まるで別人のようにすらすらと会話をし、僕の小さかったころの思い出話をし始めた。

かけっこが早くてなぁとか、早生まれで体が小さかったから心配だったとか、中学の部活は陸上部だったとか、お兄ちゃんに比べたら勉強はダメだったけど気持ちの優しい子だったよとか、あんまり言い訳しないから周りから誤解されやすいんだよなお前は、とか。

時系列もめちゃくちゃで思いつくままに言葉にしている感じ。

僕が話しかけることも出来ないほどに、父は猛烈に子供のころの思い出を語った。

僕の知らない思い出話もたくさんしてくれた。

途中何度も父の口に水を含ませてやったけど、しゃべり続ける父が心配で、諭すようにこう言った。

「お父さん、ありがとう。いろいろ覚えてるんだね、でも、疲れたでしょそんなにしゃべって。今日はもう休みな、また明日来るから明日も思い出話聞かせてよ、あんまりしゃべりすぎると体に毒だよ。」

と。

父は理解したのか、僕の目を見て何度かうなずいたように見えた。

それっきり、父はしゃべらなかった。

「お父様の容体が急変しました、恐らくあと数時間かと思いますのでご家族の方に連絡を取り病院に来られる方は急いで来てください。」

看護師から連絡をもらったのは、父が思い出話を語ってくれた、まさにその日の夜だった。

受話器を置いてしばし今日あった出来事を、思い出していた。

父が・・・死ぬ?

22時を過ぎていた。

あれほど元気だった今日の父の顔が、何度も浮かんでは消えた。1日に起こった出来事を整理して、考え直さねばならないような気がしていた。父が死ぬという現実と、日中の元気だった父の姿がうまく重ならない。

「病院に来れる人は全員お呼びいただいて」と言っていたので、思いつくままに電話をし、父の容体を看護師に言われたとおりに伝えた。

一通りの役目を果たしてから家を出ようと思ったその時、僕はあることに気が付いた。

22時を過ぎていれば子供たちは2人とも寝静まっていて、寝室として使っていた2階の和室に2人でいるに違いない。

父子家庭になってから、夜子供たちを置いて家を出たことは、ほとんどなかったけど、今は一刻を争う緊急事態。

子供たちを起こして一緒に連れいていくという考えと、このまま寝かしたままの状態で僕だけが病院へ向かうという選択があったわけだが、僕は子供たちを置いて病院に向かうことに決めた。

無論、このまま病院に向かわないという選択肢は、無い。

このころ、夜中にふと目が覚めて不安になった子供たちは、隣で寝ていない僕のことを探し、下まで降りてくるといったことがたびたびあった。

今日、今からそれらのことが起こっても何ら不思議ではない。もしそうなったら、子供たちはパパがいないことにパニックになるのではないか。

今までそんなことは無かったわけだから、もしかしたら家じゅうを探し、はたまた外にまで探しに行ってしまうのではないだろうか。考えたら不安は尽きなかったのだが、ここはもう行くしかない。

どのくらいの時間家を空けることになるのか分からなかったけど、無事に帰ってこれる方に賭けるしかない。

「今日だけは何事も起こりませんように」

誰かにお願いしていくわけにもいかないし、それが出来る人もいない。

僕にとっても子供たちにとっても一か八かの賭けで、頼れる人もいないのだから、仕方がないから神様に祈り、車のエンジンをかけると、すぐに車を出した。

今まで夜に車のエンジンをかけることなどないわけだから、この音で子供たちのどちらかが目を覚まさないとも限らない。

「どうか大人しく寝ていてください」

もう一度神様に祈った。

父の入院している病院までは車で20分程度。夜のこの時間だったら道も混んでいないので、15分もあれば到着できるはずだった。

11月の半ばの寒い夜に、父の最期を見届けるためだけに車を走らせている。

死にゆく父よりも、置いてきた子供たちの方が心配だった。

夜の闇に包まれる病院の駐車場を抜け、夜間の入り口になっていた救急用の出入り口から、父の病室のある2階に駆け上がった。

病院の廊下は静まり返っていて、日中とは明らかに様子が変わっていた。

父の病室に着いたら、すでに数名の身内が到着した後だった。薄暗い個室に置かれたベッドに、父は一人横たわっていて、心電図モニターの明かりだけが、父を静かに照らしていた。

特にやることは無かった。

数分に1回時計に目をやり、現在時刻を確認する。

呼吸の弱くなっていく父を、ただただみんなで見つめている。

その日、午後から父は痰を絡ませて苦しそうだったのだという。

医者の判断で気管を切開しチューブを装着するという処置をされていたため、喉のあたりからそれらしいチューブがつけられていた。

「こんなことになるなら、やらなくてもよかったね」

姉が寂しそうにつぶやいた。

「お父さん、痛かったろうね」

姉はそう言うと一つ小さくため息をついたけど、僕は何も言わなかった。

異常に元気だった日中の父の姿が、また、浮かんでは消えた。

父の体につけられたモニターが赤く点灯したと思ったら、数名の看護師と医師が父の病室へ入ってきて、母が死んだときと同じように、現在時刻の確認とともに死亡したことを家族に告げたのだった。

意外と、呆気なかった。

母が亡くなってから、それほど時間が経っていなかったというのもある。

心のどこかでいつかこうなることを、それも、近い将来こうなるであろうことを、知らず知らずのうちに受け入れていたのかもしれない。

僕は父の亡骸に近寄り、頬を撫でて病室を出た。

薄暗いままの廊下を歩き、階段を下りたところの踊り場で立ち止まると、体全体から力が抜け涙があふれ出した。

悲しいとか寂しいとか、そんな感情ではなく、父の話をもっと聞いてあげられなかった自分への悔しさだったように思う。

兄が葬儀屋へ連絡し遺体を自宅へ運ぶ段取りをし、姉とその家族は父の身の回りの物を整理し始めていた。

僕は父の遺体を自宅に運ぶために、一足先に自宅に戻り遺体を安置する1階の和室を片付けるため急いで車を走らせていた。

立ち止まってばかりもいられない。やることはたくさんあったし、その段取りも頭に入っていた。

もう一回、2か月前の母の時と同じことをやればいい。

父が息を引き取ったのは、母が死んでちょうど2か月後のことだった。

父の葬儀やらなんやらで、上の子の小学校を何日か休ませたりはしたのだけど、それが終わるとまたいつもの生活が戻ってきた。

両親を亡くし、実質的に頼れる人もいない父子家庭生活が、これでいよいよ始まったことになる。

それにしてもここ数カ月で両親を亡くし、何となく吹っ切れたようなところもないわけではない。うまく言えないけど、生まれ変わったというか、もうやるしかないというか、腹をくくったというのか。

どうせ助けてはくれない両親でも、いるとなれば心のどこかであてにしていたところもあるわで、それがないとなればそんなこと考える必要も無い。

誰かを頼る気持ちが甘えになり、不平や不満になるのであれば、かえって覚悟が決まってよかったのかもしれないと、自分を納得させた。

父が亡くなるその日、夜子供たちを残して家を空けてみたのだが、全く問題は起こらなかった。

父の亡骸を家に入れるために24時過ぎに自宅に戻り、1階の和室をごそごそ片づけたりしたのだけど、子供たちは全然起きてこなかった。

僕が思っているより、子供たちはしっかりしていてだんだんと大人になっているのかもしれない。

朝、子供たちが起きて来たら下の和室に死んだおじいちゃんが横たわっているのにはさすがにびっくりしていたけど、子供たちの成長も確認することが出来た。

父子家庭になり右も左も分からぬまま1年を過ごし、母親のいなくなった子供たちへの贖罪の気持ちやら、先行きの分からない不安など、様々なものが僕を苦しめ追い込んできたけど、両親の死をきっかけに、少し考え方を変えた。

何かを犠牲にして子供たちのために生きることは、それはそれでいいことだとは思うんだけど、やはりどこかで限界があり、そのうちほころびが出る。

「死んだら終わりだ、我慢ばっかりするのもやめよう」

父子家庭になって両親を失い、これから先の未来もろくに思い描けないような状況で生活している僕の、精いっぱいの現実逃避だったのかもしれないし、何とかかんとか理由をつけて言い訳をして、開放感を得たいというささやかな欲求だったのかもしれない。

息抜きも必要だ。

誰とも口をきかない、誰とも会わない日常というのは想像以上に辛いもので、この世のどこかに自分だけがぽつんと取り残されてしまったような虚無感。

昔の友人にでも会ってみようか。

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