【第31話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

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【第31話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。
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仕事を辞め家にいるようになったけど、毎日それでも家事をした。ゆっくり休むと言っても、子育てと家事は止めるというわけにはいかない。父親としての役目での仕事は辞めたけど、母親としての家事にお休みはない。


子供たちともゆっくり時間を過ごしていなかったし、手の込んだ料理でも作りながら、子供たちと晩ごはんでも食べようと、毎日せっせとご飯を作った。


すっかり大きくなった子供たちも、僕が作ったご飯は毎日「おいしい」と言って食べてくれた。


よく考えてみたら、ここのところ子供たちと一緒に晩御飯の食卓を囲んだことなどない。もしかしたら、父子家庭になって実家に引っ越してきてからというもの、数えるほどしか子供たちと食卓を囲んだことなどないのではないかと思うのだった。


父子家庭になりたてのころは、時間の使い方も効率よい家事のこなし方も分からず、自分の食事はほとんどキッチンに立ったまま済ませるのが常で、座ってご飯を食べたことは無い。


父子家庭生活が長くなるにつれて、お金が無くなりご飯そのものを食べなくなったので、晩御飯は子供たちの2人分しか作ることは無かった。


3人で同じようにテーブルを囲み、たわいもない話をしながら食事をする。いわゆるこれが家族団らんとかいう物に違いないのだろうが、そんな簡単な家族としての形すら味わうことがなく、また同じように子供たちにも味あわせてあげることすらできないでいたのだ。


生きていくことに、子供たちを生かし続けることに必死で、こんなささやかな家族の形すら忘れてしまった。


仕事を辞め、ふと一息ついてみると、今まで見ようとしなかったものが見えてきて、ありがたく感じるとともに、それと同じくらいの感情で、子供たちに対する申し訳なさとか、自分に対する苛立ちとか、虚無感みたいなものが湧き上がってくるのだった。子供たちに対して何かをするという以前の、はるか以前の事すら満足にしてあげられてはいない。


一生懸命自分なりにやってみたつもりだったけど、これでよかったのか、これからどうしていけばよいのか、それを思うと不安で押しつぶされそうだった。


仕事を辞めてゆっくりして、子供たちとの時間も増えて、本来なら気分転換的なリフレッシュとともに、もうひと頑張りするための英気でも養うべきなのだろうが、そのような前向きな感情にはどうしてもなれなかった。


一人になって立ち止まってみると、改めて自分の無力さみたいなものが浮き彫りになってしまった気がして「このままでよいのだろうか」という感情だけが、心の真ん中でいつまでも居座り続けていた。


よくよく考えてみたら家族なんて代物、僕は知らなかった。


毎日飲んだくれて暴れまわる父と、それを罵倒する母、両親を怒鳴りまわす兄との間で、自分自身の存在価値を見つけられなかった幼少期。


家族など、テレビの中でしか見たことが無く、親としての生き方とかあり方とか、父親としての正しい振る舞いだったり、母親の愛情だったり、そんなもの何にも知らない。


むしろ、あったかい家族の形など全否定して生きていたのだ。


クソ食らえだと思っていた理想の家族は、いつしか手の届かない憧れへと変わり、それを追い求めなければいけない自分に、本当はうんざりしていた。


一刻も早く家族みたいなものになってみたくて結婚したけど、やっぱりそれもかなわず、新たな家族の形を模索し続けている。


新たに手に入れた家族の形は、父子家庭という見たことも聞いたこともないものだった。


僕も決して聞き分けの良い、親にとって理想通りの息子だったとは言い難い。思春期の頃は好き勝手暴れまわって、何に対しても感謝などしたことは無い。もしかしたらあの時僕の両親も、同じように迷っていたのではないだろうか。


家族という、形のないものの長に祀り上げられた父は、今の僕と同じように戸惑い、迷い、やればやるほど空回りする理想の中で、酒に溺れたのではないのか。


母もきっと、出来の悪い素行不良の僕にほとほと手を焼き、苛立ったのではないだろうか。そんなことを考えめぐらすと、ずっとずっと昔にさかのぼってまで自分自身を悔いてしまうのだった。


何もかもが自分のせいのように思えて、気分はどんどん落ち込んだ。


初めからこうなることが決まっていて、プログラミング済みの僕の人生は大型連休の首都高のように、どうあがいてもちょっとやそっとでは抜け出せないのかもしれない。


理想を家族を求めて混雑している。


そこには両親の揃った家もあるだろうし、母子家庭もある。恵まれている人もそうでない人も、一様に理想の家族を目指しているのだが、恵まれた人たちだけが我先にと先を急ぐあまり、恵まれない僕たちが大渋滞に巻き込まれる。


恵まれないものは一度目指したら最後、理想の家族という大渋滞に巻き込まれ、抜け出せないうえに戻ることさえ許されなくなってしまう。


ひょっとしたら行けるんじゃないかと、軽い気持ちでここまでのこのこ来てしまった自分を悔いる以外方法は無く、牛歩のような歩みでしか進まないこの列からも出られないのだとしたら、働かなければいつか残金がゼロになり、またあの生活に逆戻りしてしまう。


貧乏のどん底に逆戻りしたら、いつになってもこの大渋滞の列からは抜け出せない。もし抜け出すのだとしたら、もう一度歯を食いしばって死に物狂いで生きてみるか、子供たちだけ残して一人で車を降りるしかない。


そのどちらも、今の僕にはできない気がした。


家族という理想を追い求める父子家庭という生活は、いつの間にかはまってしまった大渋滞に巻き込まれ、いまさら後戻りも許されない。自分ひとりの都合で仕事を決めることは許されず、生きていくためには何の仕事をしなければいけないのかと言った逆算で選択し、前に進むしかない。


一周回って元に戻ってきてしまった迷路の入り口で呆然としながら、一歩を踏み出せないでいた。


求人を見ても、今更ピンとくるものなどない。いっそ自分で商売でも始めるかと考えてみても、先立つものも無いし、人に会いたくないと引きこもっているようでは商売などできるはずもない。


そもそも、仕事をする意欲そのものがないのだから、求人を見たところでここでよいのか悪いのか、さっぱりわからない。


もう年齢的にも40歳を前にしていつまでもこんな転職生活を繰り返してもいられない。そろそろ求人によっては年齢制限に引っかかる年になっていたし、それよりなにより、転職を繰り返すだけの体力も精神力も、もはやなくなっていた。


次は長く続けられる仕事を探さねばならないというプレッシャーと焦りが日に日に増幅し、求人情報を見てはため息をつく日々。


さんざん仕事を変えて、さんざん仕事を探して、その時その時の生活スタイルに合ったものを見つけようと努力はしてみたけど、次に必要なのは間違いなくしばしの安定。


上の子は高校受験を控えているし、下の子は中学校に入学する。


ここ数年で最も高いハードルを前に、怖気づいていた。


子供たちが大きくなるにつれてお金もかかるようになり、まさか金がないから進学できないなどという状況は、なんとしても回避しなければいけなかった。


安定した仕事と安定した収入、それと、家事と育児もストレスなくこなせるだけの時間。これらの要素を最大公約数的にでも満たさなければ、僕達の生活は今度こそ破たんする。


真剣かつ慎重になったおかげで怖気づき、仕事探しは一向に進まず、逆に無職の日々が長くなっていた。


収入が全くないから残っているお金でやりくりしつつ、情報販売で取り上げられたヤフオクのIDもそろそろほとぼりが冷めたと見えて、新規取得に成功した折に、自宅にある両親が残してくれた無数のガラクタを処分しながら日銭を稼ぎ、だらだらと悩みながら生活を続け、季節はすっかり秋の気配になっていた。


探せども探せども一向に良い仕事は見つからず、お金は無情にも無くなっていき、ようやくの思いで手に入れたささやかな生活の安定も脅かされるようになり、やらなければいけないことがなくならない生活の中で、将来に対する不安とか、迷いとか、焦りとか、後悔とか、そんな漠然としたものが、ふと秋の風に乗って僕の心の隙間の闇に入り込んだに違いない。




ある日突然、朝目が覚めた瞬間に、何の前触れもなく、僕はこう思った。


それは40年弱の人生の中で、初めて抱く感情だった。






「死にたい」


「死にたい」


「死にたい」


「死にたい」






とんでもないほどの倦怠感と疲労。考えが一つもまとまらず、無気力の極み。寂しさと恐怖と諦めと疲労と憤りがまみれた、得も言われぬ感情




僕は生まれて初めて、心から「死にたい」と思った。




朝目が覚めた瞬間から、負の感情がピークに達している。生きる希望とか、気力とか、そんな前向きの感情はどこか彼方に消え失せてしまったかのように、思い出すことすらできない。思い出すきっかけすら分からない。


感情をコントロールする術を失い、悪い思考は一気に加速する。


「死にたい」というワードしか頭に浮かんでこなくなり、呼吸をすることすら苦痛になっていた。


何もかも捨てて、何もかも止めて、何もかもなくなってしまえばいい。だんだんそうとしか思えなくなり、僕はとうとう精神を病んでしまった。


それは、精神を病んだという生易しいものではない。別人格の自分が体に宿り、僕の体を支配する。


コントロールが効かない思考は、僕の頭と体を乗っ取った。


辛うじて子供たちに悟られてはいけないという感情のみ、正常だったころの自分に宿っていて、一つの体の中でせめぎ合っていた。




僕は子供のころ、食うに困ったことは無い。


僕が両親に対する感情や思いとは別に、両親は僕に食べさせ続けてくれた。


生きるとは食べること。


それを全うするのが少なくとも親の責任であり、今現在も僕がやり続けなければいけない仕事であるに違いなかった。


他の全ては何も分からなくなってしまったけど、僕がどうなろうと子供たちにご飯を作る。これだけはやめるわけにはいかなかった。


ほんの少し残る正常な感情にすがりにすがって、布団から這いずり出て朝ご飯を作る。


「死にたい、死にたい」


頭の中はぐるぐると回り、体が思うように動かない。


どうにかこうにかいつもと変わらぬ体裁を整え、精いっぱいの笑顔で、精いっぱいのまともな人格で、子供たちを見送る。


子供たちが行ってしまったらこと切れて、1日に使う全神経を使ってしまったかのように、無気力、無感情、無表情の廃人同然。


毎日せっせとこなしていた掃除、洗濯も出来なくなり、家の中は足の踏み場もないほど散らかっていったけど、子供たちが戻ってくる夕方までかけて、3日に1回はどうにかこうにか格好だけつける生活。


昼間から酒をあおるようになり、お金も無いのに安物の焼酎を買ってきては浴びるように飲む。酒を飲んで酔っ払っているときだけは、気持ちが少し落ち着いた。


だから毎日毎日酒を飲む量は増えていったけど、それでも緊張と不安と焦りが勝ると一向に酔えなくなる。それを凌駕するためにさらに大量の酒をあおり、どんどん家計を圧迫する。




どうにでもなれと思った。




死にたいと思う気持ちと、今死んだら子供たちはどうなるんだという気持ちが入り混じるたびに、酒の量は増えていった。酒の量が増えるにつれて、さらにまともな精神状態ではなくなり、まともな人格の僕は僕の中から消え、散らかったままの部屋で過ごすようになった。


手抜きのご飯を作るようになり、レトルトになり、インスタントになって、最後は子供たちにお金を渡して、それで終わりにした。


毎日飲んだくれては正体も分からぬほど酔っ払っていた父を、子供のころあれほど忌み嫌っていたのに、今の自分は、それそのものだった。


父も、こうして酒に溺れたのだろうか。


なぜ今、こんなことに気が付かされなければならないのか考えると、さらに苛立ちは増した。


このままではいけない、それは分かっていた。


あの頃の父そのものになってしまった僕は、この時初めて、過去の自分自身と正面から向き合っていた。自分という感情を押し殺すことでしか生きることのできなかった幼少期の僕自身と。


この子たち2人があの時の僕自身なのだとしたら、やはりこんなことをしている場合ではない。


それは、自分自身の過去との決別を意味し、もしかしたらここから新しい自分に生まれ変わるチャンスなのかもしれないと、酩酊する頭でぼんやり考えていた。


みんな誰でも、生きるということは大変だと知っていて、その時その時の感情や立ち位置で振る舞いを変えていく。大人になるにつれて背負い込むものが多くなって、うまく振舞うことが時に難しくなってしまう。


あの頃の父も母も兄も、もちろん僕自身も、自分に与えられた環境や立ち位置で、精いっぱい生きていただけだ。


相手にうまく伝えられるように振舞って、一つの形にするのはとてつもなく難しいのだけど、僕が成長しそれに気が付く前に、両親は死んでしまった。


相変わらず死にたいと思う感情は、洗濯機の渦のように一定の周期で訪れていたけれど、長いうつ状態も慣れてくると、わずかではあるが感情のコントロールができるようになった。


洗濯機の渦も、よく見ると一瞬止まってまた回るのだ。


その一瞬の停滞をコントロールする。


しかし、その一瞬だけを自分の力だけでコントロールするのには、かなりの精神力が必要だった。


「自分は生きる資格のない人間だ、誰にも必要とされない人間だ、世の中の人すべてが僕がいなくなればいいと思っている」


相当強い意識を持たないと、あっという間に負の思考のスパイラルと死にたいの渦に巻き込まれ、自分を見失ってしまう。




そこで僕は考えた。


病院に行って治療してもらうしかない、と。




坊主と医者の言うことは信用しないと勝手に決めて生きている僕でさえ、これは自力では無理かもしれないと思うほどだったし、現代医学の発展したこの21世紀、もしかしたら知らないだけで、効果てきめん、たちまちのうちにうつ状態を解消してくれる特効薬があるかもしれない。


人に会いたくないし、人としゃべりたくなかったけど、渦が一瞬止まった時を見計らって、体中の力を振り絞り、心療内科に電話した。


受診の予約は2週間後だったけど、その日まで生きていられるのか不安だった。眠れない夜を何度も数え、昼も夜も分からなくなって、不安と迷いと焦りで押しつぶされそうになりながらもなんとか1日1日をやり過ごし、2週間後の病院受診の日になった。


病院は水戸にある心療内科で、風邪もひかない僕はただの内科にさえほとんど行ったことも無いのに、心療内科にかからなければならないことに納得がいかなかった。


なぜこんな目に合わなければならないのか。


そんなことを思ってみても仕方がない、何か特効薬的な効果てきめんの薬を処方してくれないだろうかと、淡い期待を胸に病院の扉を開けた。


長椅子が何個か置かれているだけの、白い壁の殺風景の病院に、平日の真昼間だというのに多くの人が座っていて、病院内はほぼ満席状態。ここにいるすべての人が病んでいるのかと思ったら、さらに具合が悪くなってきた。


見ているだけで気が滅入る。


保険証を出し、空いていた席に腰かけてみたのだがどうにも落ち着かない。自分も精神に異常をきたし病院に来ているのに変な言い方なのだが、ここにいる人たちと同じように自分も病んでいるのかと思うと、なんだか悲しい気分だった。


どう考えても、僕よりもはるかに生活環境は恵まれているであろう人たちと、なぜ同じようにここに座って同じように受診を待っているのか、しっくりこないのだ。こんな生活を何年も繰り返した挙句に精神を病み病院を訪れなければならない自分が、哀れでならなかった。




初診ということもあり、問診票やたくさんの質問が書かれた心理テストのようなものをやらされた。それらを現状の素直な感情で書き入れ提出し、さらに1時間程度待たされたのちに診察の順番となった。


待合室の空気はよどんでいて、健康的な雰囲気など一切ない。


3つある小部屋の1つに通されると、白衣を着た医者が待ち構えていた。


僕の書いた問診票やテストを眺めている。おもむろにそれらの紙を僕に見せ何やら説明し始めた。


あれやこれやと僕に問いかけたながら説明を繰り返していたが、気分は最悪で、話は上の空った。


先生はしばらく何かを説明したのちにこう僕に言った。


「これ以上悪い状態の患者さんは病院には来ませんよ、病院に来る患者さんの中では最も重い症状の部類です」


「そうですか、これが一番ひどい症状なんですね、わかりました・・・」


辛うじて相槌を打った。


最も重い症状と言われ、なぜかホッとした。これで軽い症状だと言われるよりは、マシだと思った。


「どうしてあなたの症状より重い症状の患者が、病院に来ないかわかりますか?」


「いえ、分かりません」


「それは、死んじゃうからですよ」


先生は、言った。


思いつめて自殺をしてしまう一歩手前の症状、ということなのだろうか。僕はぼんやりする頭の中で考えた。


「先生、僕このままだと死んでしまうのでしょうか?」


「これ以上ひどくなっていけば、そういうこともありうるかもしれませんね。でも大丈夫です、今は良い薬もありますし、それを飲んでとりあえず様子見てみましょう」


そういってカルテに何やら書きながら「もういいですよ」と言われ、僕は診察室から出された。


診察は5分程度。アホらしかったけど、自分の症状がだいぶ重い方だということは分かった。


病名は「うつ病」


うつ病という名前くらいは聞いたことがあるけど、まさか自分がそちら側の人間になるとは思ってもいなかった。


でも、やっぱり今はよく効く薬があるのだ、よかったよかった。とりあえず、それを貰って飲んでみよう。


診察が終わってもさらに1時間近くまたされたのちに会計をし、思わぬ出費に戸惑ったのだけど、これも生きるためだとなけなしのお金を支払った。


隣接する薬局に寄り薬を処方してもらい、また支払いをした。健康じゃなくなるというのは、金がかかるものだ。


薬を飲むときの注意事項の説明を受け、なんとか家にたどり着いたのだった。


外出するのも気分が滅入って仕方ないのに、病院受診などもってのほかだった。よくもまあ、みんな何時間も待って病院など受診するものだと感心した。


家に着いたら、早速薬を飲んでみたくなるのが心情というもので、これを飲めばどれほど楽になるのだろうと、期待も込めて1錠飲んでみることにした。


抗うつ剤のようなものなのだろう、普段薬など全く飲まない僕は、本当に久しぶりに薬というものを飲んでみることにした。


あまりの気分の落ち込みに、藁にも縋る思いで大嫌いな病院まで足を運び、何時間も待たされ高いお金を払ってきたのだから、きっとよくなるのだろう。


薬を水で流し込み、一息ついてリビングのソファーに腰を下ろし、なぜこんなことになってしまったのか思いを巡らせてみた。


それにしても毎日これほど憂鬱なのだろうか、うつ病というのは。話には聞いていたが、これはなかなか手ごわい。


父子家庭になって、たった一人で子供たちを育てていくうえで気を付けなければいけないこと。それは、いつも、どんな時でも最悪の事態を想定して行動する、ということ。僕はどんな時も必要以上に最悪の事態を想定をし生きてきたつもりだ。


この場合の最悪の想定というのは僕が死んでしまうことで、死んでしまったあとに残された子供たちはどうやって生きていけばよいのか、たった一人育ててくれた父親が死んで、哀れな子供たちだけが取り残される、というようなドラマのワンシーン的シミュレーションなわけで、一応そうなった時の想定は絶えずしていたのだけれども、死にたいと思いながらそれでも生きていかなければいけないという状況を、僕は想定することが出来なかった。


死にたいと思いながら生きるということが、これほどまでに苦痛なことだということを、僕は知らなったのだ。


小さいころから健康だけが取り柄だった。風邪一つ引いたことがない。


何が最悪なのかはその時その時の環境によるもので、死ぬという漠然とした状況は、得てして現実世界ではそうそう起こる最悪の状況ではない。


実際こうなってしまったからといって、死にたい死にたいと言いながらも生きてはいるのだ。


そう簡単に死ねはしない。ましてや、自分の意思で自分の人生を終わらせるなどということは、そうそうできることではない。


ということは、死にたいけど死ねない、死にたいと思いながらそれでも生きるということが、もしかしたら最悪の事態なのかもしれない。


では、死にたいのに生きていかなければいけないのだとしたら、いったいこれからどうやって生きていけばよいのだろうか。


僕には死にたい死にたいと思う自分を克服し、それでも生きていくという逆境を乗り越えるだけの精神力も無いのか。

そんなことをぼんやり考えていたら、いつの間にか眠ってしまったらしい。


自分が寝てしまったことすら気が付かぬほどに、起きるという行動をもってして初めて自分が寝ていたと知るくらいに、いつの間にか寝てしまっていた。


どのくらい眠ってしまっただろうか、すっかり辺りは暗くなっていて、子供たちが学校から帰ってきた形跡もある。


目を覚まし体をソファーから起こそうとするけど、思うように動かない。




ダルい・・・


体が鉛のように重くて、頭がすっきりしない。




一体どうしたというのか。


時計を見ると、帰宅してから3時間は経過している。その間の記憶は一切なく、3時間も寝ていた割には全くすっきりしない。


どうにかこうにか体を引きずり出し、転げるように起き上がってリビングの電気をつけた。


無気力。


なにもやる気が起きない。考えることも面倒なくらいだ。


晩ごはんの買い物もしていないし、晩御飯の用意もしなければならないのに、どうしたというのか。


そういえば、薬局で薬を飲むときの注意事項で、眠気が襲ってくることがありますので、薬を飲んで車の運転はしないように、と言われていた。


そうか、こういうことか。


まあ、今日は久しぶりに外出して人に会ってきたわけだし、ここのところ夜もほとんど眠れなかったから、疲れが出たのかもしれない。朦朧とする頭を何度も振って、どうにかこうにか晩御飯の支度にとりかかった。


薬を1錠飲んだからと言って、内面的な何かが劇的に変わったかと言われれば、全くそんなことは無い。相変わらず憂鬱だし、ふとした時に死にたい願望が出てくる。体中に倦怠感があり、疲労感があり、どこかすっきりしない。


3時間ほど眠ってしまった以外は、これと言って代わり映えしていないような気がした。


薬は1日3回服用するタイプだったので、次の日の朝も、昼も、1錠ずつ飲んではみたのだが、薬を飲んだら最後、わずか30分もしないうちに、自分でも全くコントロールできずに猛烈な睡魔に襲われる。


薬を飲むと、体がどんどん重くなって頭が回らなくなって、疲れたのとはまた少し違う倦怠感。思考能力が低下し、何にも考えられなくなる。


自力で立っていることもままならず、ソファーに腰を下ろしたら最後、そのまま一瞬のうちに眠りへと落ちてしまう。それは、眠りに落ちるというような心地の良いものではない。自分の意思とは無関係に、いや、むしろ強制的に眠らされている感じ。


言うなれば、気絶だ。


気絶したら最後、3時間はどんなことがあっても目覚めることは無い。そこだけ時間を切り取られてしまったかのような感覚。一瞬の出来事なのだ。


目が覚めても、不愉快極まりない。


体の疲れが取れるわけでもなく、気分が爽快になるわけでもない。むしろ、強制的に眠らされたことへの嫌悪感、不快感、不愉快さの方がはるかに勝っていて、悔しいほどの後悔にさいなまれるのだった。


1日3回服用し、その都度3時間気絶させられていたのでは、何にもできはしない。掃除、洗濯、食事の準備、1日にやらなければいけないことは山のようにあるのに、そのほとんどが手につかなかった。


1日が過ぎ、2日が過ぎ、3日が過ぎてもこの症状は全く緩和されない。


薬を飲みなれていないせいだと考えていたのだが、どうやらそうでもないらしい。


病院に行って、薬を飲み始めて3日目に、僕はこれ以上薬を飲むことを止めた。


それは、こんなことがあったからだ。


遅めの時間にお昼の薬を服用し、いつものように強制的に気絶させられた僕は、リビングのソファーに横になり、ただひたすらに時間の経過を待っていたのだと思う。


3時間を過ぎたあたりにいつもなら何となく目が覚めるのだが、その日はなぜか目が覚めなかった。


日中に強制的に数時間昼寝をさせられているせいで、夜中まったく眠れない日々が続いていた。


1日の睡眠時間は薬を飲んだ後の気絶のみで、体は休まらなかった。


疲れが体の中に蓄積され、さわやかな気候も相まって、信じられないことに、14時ごろ薬を服用しそこからしばらくの後に気絶したのだろうから、17時過ぎごろには目が覚めても良いはずだったのだが、その日僕が目を覚ましたのは、20時過ぎだった。


約6時間、ピクリともせずに寝ていた僕を、子供たちが心配そうに眺めていた。


「何回か起こしたんだけど、全然起きなかったよ」


と、上の子が僕に言った。


疲れているのだろうと、気を利かせてそれからは起こさなかったというのだ。


すっかり夜も更けてしまい、晩御飯も食べずに僕が起きるのをただ子供たちは待っていた。


「そうか、悪かったね。今からすぐご飯作るから待っててね、お腹空いたよね」


そう言って、僕は晩御飯の支度にとりかかったのだが、猛烈な自己嫌悪に陥ってしまった。


一人で子供を育てるということは、代わりがいないということ。


代わりがいないということは、自分がやらなければ生活の全てが止まってしまうということ。


生きるためには、やらなければならないことがたくさんある。そのすべてが、止まってしまう。


例えば風邪をひいて熱が出て、安静にしていなければいけなかったとしても、代わりがいなければ安静にしているわけにはいかない。


やらなければならないことは無くならないのだから、風邪をひかぬよう気を付けなければならない。


たった一人で子供を育てる、そして生きるということは、そういうことなのだ。


風邪ならば気を付けようがある。うがいをしたり手を洗ったり、栄養のあるものを食べたり。


僕が勝手にうつ病になってしまったおかげで、迷惑をこうむっているのは間違いなく子供たちだった。


うつ病は、知らないうちに僕の体を蝕んでいた。気を付けようがなかったかどうかはさておき、一人で子供を育てていく以上、どんな病気でもかかるわけにはいかないのだ。


僕がやらなければ、いったい誰がやってくれるというのか。




油断していた、まさかこの僕がうつ病とは。


「薬を飲んで、あまり考え込まずゆっくり休養を取って、時間をかけて治していきましょう」


心療内科の先生は言ったけど、たった一人父子家庭として生きる僕には、そのどれもが治療としては適切ではないことに気が付いてしまった。

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