【第33話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

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【第33話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。
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季節はすっかり冬になっていて、また1年が終わろうとしている。


上の子は中学3年の冬で、やりたい放題やっていたころの面影はすっかりなくなり、塾にも行かせてあげられない環境で、一人黙々と部屋にこもり受験勉強に励んでいた。


知らないうちにみんな成長している。これが生きていくということなのだろうか。


僕も頑張らなければ、ただひたすらにそう思っていた。


仕事は見つからず職探しの日々だったけど、その場しのぎでとりあえずの職に就くことを僕は嫌った。どうせその場しのぎで職についても、また何らかの不都合が起こり仕事を辞めなければいけなくなるからだ。


年に何回も職を変えるわけにはいかない。それだけ慎重になっていたために、職探しは難航した。もう、どこでもよいというわけにはいかない。


毎日家にいて仕事を探しながら、家事に育児に。塾に通わせてあげられない上の子のために、勉強を教えたりした。


高校受験にはコツがある。昔取ったなんとかではないが、30年前の僕が受験生だったころと大して変わり映えしない受験の傾向に、点数の取り方を教えたりした。


上の子に勉強を教えているときは、楽しかった。勉強は嫌いではなかったし、上の子は僕が教えたことを真剣に聞き、努力してくれた。


人が変わったように勉強に打ち込んでいて、受験まで残り数カ月というところまできて、先生も驚くほどの成績アップにつなげていた。


3年生の初めの三者面談では、行ける高校など無いと言われていたのに、1年間の努力で成績は上位に食い込むほどになっていた。


生活は相変わらずで、仕事がないので収入がない。オークションで不用品を売って小銭を稼ぎ、それでも追いつかなくなると、車を買ったときに強制的に作らされたカードでキャッシングをした。


有り金は底をついてとうとう借金に手を出し、事態は一刻の猶予も許されなくなっていたが、求人を見てもどこも昔見たようなところばかりで、これというところはない。


飲食業しかできないことは分かってはいたが、民間のレストランでは拘束時間が長すぎる。かといってほかの業種と言われても、自分に何ができるのか分からなかった。


目についた求人は片っ端から面接を申し込み、そのほとんどが合格だったけど、そのどれもが、仕事をするうえで今後仕事が続けられぬ障害があるような気がしてきて、僕はすべてを辞退し続けた。




仕事がない。仕事はあるけどやれる仕事がない。

いつの間にか体得した面接術で、選ばなければ仕事にありつくことは容易になっていた。しかし、ここまできたらどこでもよいとか、とりあえずとかの理由では、仕事に就くことはできない。


そもそも、今の自分に出来る仕事が何なのかが分からない。




長く続けられて、生活にそれほど支障が出ないもの。それでいて最低限安定した生活が望めるだけの給料を貰い、まともな生活を送れる仕事。


探せども探せども、そんな僕にとって好都合の仕事など、この田舎町にはない。


テレビでは、年末恒例今年の重大ニュースなどが流れ始めていたころ、僕はふと、ある人との話を思い出した。


それは、以前働いていた京成の蕎麦屋の店員で、そこに雇われていたパティシエとの会話だ。


食事休憩の時に、今までどんな仕事をしたことがあるかといった内容の話をしていて、そのパティシエは過去に様々な職に就いていることが判明した時の事。


今までで一番楽しかったのは動物園の飼育員という、およそパティシエには似つかわしくない情報でひとしきり笑った後に、施設の厨房で働いていたときの経験を教えてくれた。


老人介護施設の厨房でコックをしていたというのだが、そこはシフトで仕事が組まれており、残業なし、ボーナス有り、週休2日で快適だったというのだ。


結局彼は、そこの施設長との折り合いが悪くなり退職したというのだが、彼は僕にこう言った。


「こんなところでバイトしてるより、施設の厨房で社員になったほうがいいんじゃないですか?残業はないし、遅くても18時過ぎには仕事終わっちゃいますよ、給料はそんなに良くはないけどボーナスも出るし、ここでバイトしてるよりはいいと思いますよ、父子家庭なら時間で帰れる仕事はありがたいんじゃないですかね・・・」と。


施設の厨房か・・・


その話をされた時も、施設の厨房で働きたいとは思わなかった。


それは、僕の中に辛うじて残っている料理人としてのプライドとでもいうのだろうか、給食のおばちゃんになるのはちょっとな、と考えていたからだ。


でも、もうそんなことを言っている場合ではないのではないか。今まで目にも留めなかった病院や施設の調理場の求人をハローワークに行って探し、求人募集があった数社に片っ端から紹介状を書いてもらい履歴書を郵送した。


とりあえず、話だけ聞いてみてもいいだろう、そう思った。


近隣の病院、老人介護施設、面接には7社くらい足を運んだ。


履歴書郵送の時点でお断り申し上げられたところもいくつかあったが、面接をしてくれるというところには、すべて顔を出した。


面接に趣き話を聞いてみると、確かにそのパティシエの言う通り、僕にとっては仕事がしやすい勤務形態のような気がした。そのほとんどで残業がなく、時間で帰宅できるらしかった。


時間が予定通りというのはありがたい。不測の事態に対応できない僕のような一人物の父子家庭には、銭金には代えられない大切なものがある。


飲食業の経験は長いことあったけど、このような施設での調理経験が無かったために、不合格となるところもちらほらあったのだけれども、合格して働き始めるかどうかの判断を自分ができるところの方が多かった。これも散々面接を重ねてきてつかんだコツのおかげかと思われた。相手がどのような自分を望んでいるのか瞬時に判断できたし、それに対応する能力もいつの間にか備わっているように思えた。


その中でも精査に精査を重ね、例えばシフト制と言っても朝がものすごく早いとか、残業する可能性が実は多いとか、給料が安すぎるとか、生活のリズムに適合しないと思われるところに関しては、こちらから辞退した。


ある程度条件に合う仕事場は、施設の調理場と言えども難しいのだろうかと思い始めた、今年もあと数日で終わろうかという年の瀬に、一本の電話がかかってきた。


それは、かなり以前に履歴書を送付してなしのつぶてだった施設からで、面接をしたいから都合がよい時は無いかというものだった。


時間の都合などあってないような僕なので、いつでも大丈夫だと言うと、早速次の日に面接が組まれることになった。


だいぶ前に片っ端から送った履歴書の中の一つの求人先で、どんな内容での求人だったのか、どんな履歴書を送ったのかさえ覚えてはいなかったけど、とりあえず行くだけ行ってみることにした。場所は、隣町だった。車で15分、ロケーションは申し分ない。


面接は朝の10時からで、定刻10分前に到着すると応接室のようなところに通された。


面接官は2人で、男性と女性。


ハローワークでの求人票を元に面接を行い、気になるところは質問などしながら滞りなく終わった。人手が足りず、早急に人員の確保をしたいとのことらしく、面接はおおむね友好的な雰囲気だった。


仕事の内容は料理を作るということに変わりはないだろうから、シフトの時間と、休日と、給料の話に終始した。時間に関しては特に問題はなさそうだった。残業もよほどのことがない限り行われないとのことだったし、遅番でも終業は18時。休日はシフト制の週休2日、月に9日の公休というものだった。


残業がない代わりに宿直という業務があり、18時30分から次の日の朝8時半まで施設に泊まるという業務だった。子供たちを置いて1日外泊しなければならないというのは、様々なリスクがあるように思えたが、月に4回程度ということだったのでそこは目をつぶるしかない。


宿直手当が4200円いただけるということで、良しとしよう。


給料に関しては試用期間というものが設けられており、通常は3カ月とのこと。その後正社員登用されるという流れらしい。試用期間の3カ月は時給850円ということだった。


まあ、こんなもんだろう。


特別条件の良い仕事場というわけでもなかったけど「前向きに検討させてください」と言っていったん家に戻ることにした。ここの他にも数社連絡待ちの施設があったし、より良いところに行けるよう少し時間をかけて考えようと思ったからだ。ここまで来て焦ったところで仕方がない。


どこで働き始めるにしても、どのみち切りのいい正月明け、ということになると思ったからだ。


今までの職探しの時は目もくれなかったけど、施設や病院での求人は割と多く出回っており、出来れば新しい施設であったり、少しでも条件の良いところであったりと、迷えるうちは考えようと思ったし、決めたら最後ある程度の期間転職はしたくない。


もう、くだらないことで苦しむ生活は御免だ。


クレジットカードで生活費をキャッシングし細々と暮らす毎日。


子供たちにはせっせとご飯を作ったけど、僕は食べなかった。


食べなかったというより、ながらくご飯を食べない生活をしていたらすっかり体がこのリズムに慣れてしまい、そのうち食べたいという気持ちもそれほど強くなくなってきたのだ。食べたいという欲求もなくなりお金もないとなれば、何も無理してご飯を食べる必要はない。


誰かが食べさせてくれるのならば喜んでいただくのだけれど、そうでないなら食べない。


朝は食べない、昼か夜のどちらかにタイミングが合えば1食だけ食べる。そんな生活だった。


お金がないのは今に始まったことではないけど、借金がかさむのはいたたまれなかった。生活費としての借金はタチが悪い。無駄使いをしないよう心掛けた。


僕の食費など、もはや無駄使いと大差ない。


面接が終わって1日か2日経ったころ、面接官だった女性の方からお電話をいただき、面接の結果が知らされ、合格したとのことだった。


一通りお決まりの御礼の言葉を述べ「もう少し数日考えさせていただいてから、こちらから折り返しお電話差し上げる形でもよろしいでしょうか」と言おうとした僕よりも早く「人手がいないという事情もありますけれど、お正月もありますので年明け4日からの勤務という形を取りたいのですが、その前に必要な書類をお渡ししたいと思いますので、もう一度こちらに来ていていただけないでしょうか」と言われてしまった。


元来、流されるタイプの、いや、流れに身を任せるタイプと言った方が良いだろうか「これはこういう流れの時だな」と感じたら乗ってみるのが信条である僕は、思わずの流れで「あ、はい・・・よろしくお願いします」と言ってしまった。


こうしてあれよあれよという間に僕の再就職先は決まり、年明け4日から新たな環境で仕事が始まることになってしまったのだった。


入社にあたり渡された書類関係はなかなかの量で、すべて埋めるのは一苦労だったのだけれども、その中でも一番僕を困らせたのは、身元保証人というものをたてて一筆したためてもらわねばならないという書類。


親はいない、兄弟はいるがそんなこんなで良い関係ではない。頼りになる親戚関係も持ってはおらず、家族もいない。


兄に頼めば書いてくれないことも無いような気もするのだが、頼む気にはなれなかった。


誰かに頼る、もしくは頼ろうとしている自分は常に否定しなければいけない。兄との関係性というよりも、どんな些細なことでも自分の力で解決する、と決めている。


人に頼ることを潔しとしないほどに、今考えてみると当時の僕は病んでいたのかもしれないけど、その軸を持つことによって辛うじて生きていけるというのも、また事実だった。


誰にも頼らないと決めたから、自分が頑張らねばならない、自分がどうしてもやらねばならないという追い詰められた状況を作り出すことによって、どうにかこうにか父子家庭という生活を維持させていたと言ってもいい。


そのくらい張りつめた精神状態でなければ、いつでも簡単につぶれてしまいそうだった。


そうは言ってみても、これは困った問題だ。


会社に提出しなければいけない書類であるからにして、提出しないということが許されるのだろうか。提出するには誰かにお願いしなければいけなかったけど、唯一頼めそうな気もしないでもない兄には、頼む気にはなれなかった。


面接のときは、その辺の面倒くさい僕が置かれている生活環境や複雑な事情については、うやむやのまま帰ってきているので、今更説明するわけにもいかなない。


あまり気にもしなかったけど、こういう状況になってみて初めて「本当に独りぼっちなんだな」と、思い知らされるのだった。


どんな人でも、身元保証人を頼める人くらいいて当たり前なのだろう。普通の人ならこんなものは悩むポイントですらない。多くの人が悩むべきポイントでもないことでさえ、僕にとっては乗り越えられぬ重要な案件となってしまう。


本当に、ただ生きていくというそれだけのことでなぜこれほどまでに苦しまなければならないのか、つくづく理不尽に思えるのだった。


書けないものは仕方がない、こうなったらこの大量の書類の中でどさくさに紛れ未提出のままもぐりこんでしまい、そのあとどうにかこうにかうやむやにする作戦にした。


入社して少ししたらなにか状況が変わるかもしれないし、最後どうにもならなかったら偽造でもなんでもするしかない。


兄の名前を勝手に書いて出せばよいだけの話だ。


車を購入するとき車庫証明を取らなければいけなかったのだが、僕達の住んでいる実家は何だかんだで兄の名義になっており、名義人の署名捺印がなければ車庫証明すら取ることが出来ない。


ここでもやはり兄に頼むということに忸怩たる思いもあり、文書偽装で車庫証明を取得したという経緯もある。


ただ、気が引けるというだけの話。


気が引けるだけに、引っ張れるだけ引っ張って、やむを得ないとなった時に自分を納得させて、いざ偽装で処理しようと考えた。


履歴書もいい感じに改ざんしていたし、もうこれは生きていくための必要悪なのだ、人に頼らずに生きていくということの方が、今の僕にとっては比重が重い、そう都合よく言い聞かせていた。




年が明け、4日から新しい仕事に行き始めた。


厨房の中はおばちゃんばかりで、男は僕一人。なんとも言えない職場環境だった。


紆余曲折の末に給食のおばちゃんに納まってしまった自分を、自嘲して笑った。


仕事の内容は「入居者様」と呼ばれる60名程度のご老人に、3食ご飯を作るというもの。


栄養士がたてた献立に基づき、調理していく。


献立の内容は毎日毎食変わるわけで、同じものを作り続ける民間のレストランの仕事とは異質なものだった。60名という大人数の食事をいっぺんに作るという給食作業の経験はなく、調理経験があるとはいえ、ほぼはじめてに近い感覚の仕事内容に戸惑い、調理場の責任者である主任と呼ばれるおばちゃんには、ごみクズのように扱われた。


女の世界にのこのこやってきた若造を快く思わなかったのか、厳しく接することで実は思いやりの裏返しだったのか、はたまた僕がごみクズのように扱われて当然の人間だったのかはさておき、一番苦労したのは職場での人間関係だった。


食事を作ることは慣れてしまえばコツもつかめるし、長年やってきた腕もあるわけだからやってやれないことは無い。しかし、人間関係に関してはなかなか構築するのは難しい。


僕の入社した施設というのは、出来て20年ほどの時間が経過していて、厨房内で一番キャリアが浅い人でも10年という単位であり、自分のポジションを確立するのには苦労した。


いじめられて、と言ったら語弊があるかもしれないが、限りなくそれに近い感情をもって僕は毎日仕事に出勤した。


話し相手もおらず、仕事に行くのは苦痛だった。


比較的どの職場に行っても、持ち前のにわか社交性で早い段階から打ち解けることが多かっただけに、予想外だった。


予想外というより、このポイントは仕事選びの基準には入れていなかった。


常に最善を尽くして、今置かれているすべての状況、自分の立ち位置、今後の動向、そういったものを熟慮していたにもかかわらず、仕事場でいじめられるかもというポイントは見逃してしまっていた。


しゃべる相手もいない、仕事も教えてもらえない、環境に馴染めない。


あれほどプライドが許さなかった給食のおばちゃんに自分がなってしまったにもかかわらず、給食のおばちゃんとして何年も飯を食っている本物の給食のおばちゃんにいじめられているという現実。


いや、もしかしたら、そんな僕の仕事に対するあいまいな姿勢が見透かされていたのかもしれない。やりたい仕事ではなかったし、その仕事に全力を傾けていたかと言われれば、甚だ怪しい。


どちらにせよ、こうなってしまったら選択肢は2つ。


辞めるか、続けるか。


入社してからというもの、居心地が良いと思ったことのないこの職場だったけど、辞めるという選択肢は考えなかった。


また仕事を探すということにほとほと嫌気がさしていたと点は否めないのだが、もう一つ別の理由として、うつ病から生還したというのが大きな要因になっていた。


うつ病を克服した時の思考法で、うまくストレスを逃がすことが出来るようになっていたのだ。


人間関係以外は、特に不満はない。


時間もきっちりしていたし、お昼ご飯も食べさせてくれる。月に4日ある希望休というものは申請すればその通りに履行されたし、何より、こうして仕事ができる喜びや、感謝の気持ちもあった。


嫌なことが頭に浮かんだら、逆のイメージに変換し、感謝する。


いじめられても、無視されても、嫌味を言われても「ありがとうございます」と頭の中でつぶやいた。


これでどうにか精神の安らぎは確保されていたし、仕事の時間は7時間45分と決まっている。我慢できないほどの時間ではない。


長い間父子家庭としてたった一人で子供たちを育ててくる中で、仕事ができないときもあったし、お金が無くなってしまったこともあった。家事や育児と仕事の両立が出来ずに精神を病んで、それを克服して仕事に復帰し、今までいろんなことがあって、様々な仕事を経験してきたけど、そのどれをとっても、子育てより大変だと思ったことは無い。


一番大変なのは子供を育てるということであり、どんなにきつい仕事でも、どんなに拘束時間の長い仕事でも、子育てより辛く大変だと思ったことは無い。


僕にとって仕事など所詮その程度、なにがあっても「今までに経験してきたことに比べたら、マシだな」と思えるようになっていたのだ。


感謝する一方で「こちとら背負ってるものが違うんだよ、俺をつぶしたかったらもっとガチで来いよ」と心の中で毒づいていた。


給料は以前のバイトぐらしに毛が生えた程度に逆戻りしたけど、生活のリズムは特に問題はなかった。子供たちとの時間もそれなりに確保できたし、家事をこなす時間もある。遅番のシフトに入っても18時には仕事が終わり、18時半には自宅に戻ることにできる生活は、僕にはありがたかった。

3カ月我慢してしのげば、正社員として登用され給料も上がるに違いない。


受験生も大詰めになっていた上の子のために、晩御飯を食べた後2時間勉強を教えてあげた。英語の長文読解が苦手だった上の子も、最後の追い込みである程度の長文ならすらすら読めるようになっていた。


時間的な余裕が持てるようになったことはありがたかったが、その反面相変わらずの金欠は解消されず、車のローンに加えて無職の時につまんでいたカードキャッシングの返済にと、今までよりも経費がかさみ、やはりどうしてもこの仕事のみで生活を維持するのは難しかった。


以前に比べて子供たちは成長してくれていたし、ある程度の事なら子供たちだけに任せてしまうことも可能になってきていた。


自主性を持って率先して家の手伝いをしてくれるまでには、まだ遠く及んでいなかったけど、親が四六時中ついていなければいけないような年頃でもない。もちろんその反面、成長に伴い知恵をつけ、悪いことも興味を持ち困らせることもしばしばだったけど、たった一人で子供を育てるうえでどうしても避けて通れない問題であり、子供たちを信じてみるしか先に進む方法はなかった。


例えば母親がいたり、おじいちゃんおばあちゃんがいたら、僕が仕事に出ている間、なにか用事を済ませている間、子供たちを見てあげられる人が分担するということも出来るのだろうけど、たった一人となると、そもそも分担という考え方はない。


生きるためにはお金が必要だし、そのために外に働きに出なければならないのだとしたら、たとえ相手が思春期真っただ中の男の子二人だとしても、それは信じるしかない。


出来ないものはできないし、そのためにどうしなければならないのかという答えは、考える前に出ている。


僕は新しい仕事を始めてしばらくして、体が慣れてきたところでもう一つ仕事を増やすことにした。

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