崖の上から降ってきた子

私の実家は東京のベットタウンにある。そこに越してきたのは未だ小学校2年生の頃。

小学校一年生の時までは東京の世田谷に住んでいた。友達も多く、まだ緑が多かった近所で皆んなで朝から晩まで遊びまわった。

春になると休耕田にレンゲが咲き乱れ殿様蛙や赤蛙が飛び回り、その蛙を追って子供達がレンゲをボロボロにした。でも大丈夫。元々、これらのレンゲは稲作を始める前に粉々に土に鋤きこまれて肥料になるので、子供たちはその助けをしているとも言えた。

夏になると森にはカブト虫やクワガタ虫が森の樹液の所に集まるのを採りに行ったが、その途中の平原では数年に一回、落雷で死んだ人が出るほど広い平原だった。

近くに映画会社があって有名な時代劇やテレビドラマのロケが頻繁に行われていた。

ある日、学校に向かう道すがらの歩道橋のたもとに「ブースカ」という、ひょうきんな怪獣の着ぐるみが座っていた。近くに「円谷プロ」があり、訪ねて行くと編集で切り捨てた「ウルトラマン」のフィルムなどを大きな箱に入れてあって、子供達が自由に持って行って良いことになっていた。

住んでいたのは「団地」。4階建てで当然エレベーターなんか無い。

団地の間の芝生の植え込みや、入り口の上にあるコンクリートの庇さえ遊び場だった。

その団地の4階の窓から出勤する父を見送りながら「お土産お願いね〜」と叫んでいた事を今でも思い出す。

子供達は大体同じ世代で、その団地が完成してから移り住んで来たか、そこで生まれたか。

幼稚園の入園から小学校入学者と皆んな一緒だった。


そんな時、いきなり父が「千葉県の公団が当たったので引っ越すぞ。」と宣言。

(千葉県? 家族旅行で行った「鴨川グランドホテル」しか知らない。)

何で行かなければ行けないのかも分からず、行ってどうなるかも分からない。

よって学校でのお別れの挨拶は、「千葉という遠い所に引っ越します。遊びに来てください。」だった。


引越しの当日。当日はこの様なイベントがあると会社の同僚が助っ人を申し出てくれて大勢で荷造り、トラックへ乗せ、皆んなで移動。ちょっとしたお祭り騒ぎだった。

今から思うと首都高から京葉道路を東進。出来たばかりの習志野市の団地に到着。

ここは元々「海」。埋立地。そこ彼処に白い貝殻が見て取れた。

団地の部屋から外を見ると東京湾を航行する船影が見えて、風が吹くと汐の香りがした。

同級生は皆んな転校生。学校も出来たばかりでピッカピカ。

夏ともなると今は更に埋め立てられた京葉道路の南側がもう海。

潮干狩りに大勢の人達が東京近郊から押し寄せた。

我々も堤防を乗り越えて海に行き、貝やカレイの赤ちゃんなどを捕まえたりしていた。

ここに移り住んで1年ほどした頃から今度は父が「一軒建ての家を建てるぞ。」と、宣言。

場所探しが始まり週末には親子で土地を見に行った。

駅には近いものの沼みたいな所や、反対に駅からとてつもなく遠い所もあった。

最後に見つけたのは小高い丘を段々畑の様に造成したところ。

大昔に海が侵食してきた谷から立ち上がった所で一番低いところ、2段目とあり、その上がずっと広く彼方へと広がっている。

その2段目。

大工さんは父の郷里から木材と共にやってきた。

総勢5名がうちに寝泊まり。

大きなガス焚きの炊飯器も買った。

建設中はちょくちょく現場に行ったが足場を組んであるのが面白くて屋根の高さまで登って楽しんでいた。

そんな時どこからかの視線を感じたがきょろきょろしても誰も見当たらない。

「我が家」が完成したのはもう冬になりかかっていた頃。

学年の途中だったので前の小学校まで電車とバスで通学することとした。

団地の部屋は未だ引き払っていなかったので学校の帰りに母が迎えに来てくれて、その部屋で電熱線のコンロでお湯を沸かしてお茶を飲んだりしたのを覚えている。


そしてある日雪が降った。

かなりの量が庭に積り真っ白になった。

庭に妹と出て雪だるまを作ったりして遊んでいた。

その時だ、「がさがさ」という音がして何かが上から降ってきた。

滑ってきたといのが正確だろう。

それは「彼」だった。背は低く色は冬だというのに真っ黒に焼けている。

「誰? 一緒に遊ぶ?」

そう声を投げかけたのだが視線が合うと、飛び上がる様に崖を登って行き姿を消した。


「彼」は崖の上の大きな家の住人。

ここに越してきてから初めて出来た友達だった。

庭には大きな檻が有り大きな秋田犬が来訪者が来る度に凄まじい勢いで鳴き立てた。

いつもその前を通りかかる時は急ぎ足で通り過ぎたものだった。

錦鯉が泳ぐ池も有り、水を抜いての掃除をする際に手伝いに行った事があるが、大きすぎてほぼ1日掛かり、昼食や冷たく冷やされたスイカのオヤツも頂いた。

建設業を営んでいたが会社の名前が「XX組」。

床の間には一振りの日本刀が飾られていたが、これが後に「彼」の家の崩壊につながるとは、その時は知る由もなかった。

どうやら本当の「ヤクザ」では無かったものの、何らかの繋がりはあったらしい。


そしてある日、大きなサイレンの音。

2階に上がってみると数台のパトカーと救急車。

後で聞くと、「彼」の父親が酔って日本刀を振り回し母親を切りつけたとのこと。

この事件を契機に建設業も傾き、家族もバラバラになり、「彼」も中学を卒業した頃から、その姿を見せなくなった。

そして、あの大きな家も差し押さえられたとの噂の後に取り壊されて分譲住宅に姿を変えた。


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