【第37話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

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【第37話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。
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何がいけないかったのかなど、あまりにも多すぎて考えたくもない。


仕事は辞めよう。


次の仕事を探す気力も、子供たちを育てる気力もない。


知ったことか、どうにでもなれ。




夏が終わり、すっかり秋の気配が街を支配し始めたころ、残り1カ月の契約となった仕事に惰性で通い、春のころよりは慣れてきたお弁当作りをこなし、子供たちの朝ごはんを用意して、これと言って変わることのない生活の中で、いずれ仕事を失い、やがて金が底をつき、お弁当もご飯も作れなくなったら、それで終わりだと思った。


ジ・エンド。




お似合いの結末じゃないか。


仕事の契約満了まで残り半月となった。




仕事には行っていたけど、相変わらずしゃべる相手もいない。誰にも相談できないし、相談したところで結果は知れてる。


少ない給料ながら、10カ月続けられたことで、低空飛行ではあるけれど生活は安定した。


それほど多くのことを望んだつもりはないけれど、ささやかな生活の安定さえとうとう手に入れることが出来なかった。健康で文化的な生活とは程遠いささやかな暮らしさえも、僕には許されないのか。


震災や子供の病気や、お金の持ち逃げやさらなるステップアップとか、いろいろな理由で職を取り上げられ、職を探し求め続けたけど、最後の最後、いじめられて職を失うことになるとは。


よくもまあ、次から次へと困難が押し寄せる人生だ。


常に最悪の状況を考えて行動する。そう肝に銘じて生きていたつもりだったけど、常に起こる最悪の事態が僕の想定をはるかに超えていて、とうとう回避不可能、万事休す、一巻の終わりだ。


困難は人を強くするというが、これだけ休まず困難に見舞われると、いい加減うんざりする。




弱い人間で結構だよ、みんな死ねばいいんだ。




投げやりと絶望と諦めの中、どこか諦めきれない一部分もあるにはあったが、さしあたっての解決策は見当たらず、先に進もうにも一向に気力も戻ってはこなかった。


そんなある日のことである。


いつものように仕事が終わる時間になり、家に帰ろうかと事務所にタイムカードを押しに行った時の事、一人の従業員に声をかけられた。


「今晩、家に戻ったら電話するから、必ず出てよ」


そう一言不意に念を押された。


話したことなど数回しかない事務員で、年は僕と同じくらいだったがこの職場でのキャリアは遥かに長かった。


彼女は事務員だったので、僕はこう考えた。


「仕事場では次の契約がされないということを告げづらいのだろう、きっと」


なぜ彼女が僕にわざわざ電話をかけてこなければならないか、理由があるとしたらそのくらいしか思い当たらなかった。


「何時ごろなら電話してもいいかな」


「別に何時でも大丈夫です」


僕は、そう言って仕事場を後にした。


もうすでに仕事に対するモチベーションや、ある程度の感情は捨てていたから、この際何言われても驚くまいと思った。

「はい、そうですか、わかりました。お世話になりました」と、あっさり言うだけだ。


18時に仕事が終わり、家に帰って晩御飯の支度をし、珍しく2人揃っていたので一緒にご飯を食べさせた。洗い物をして、洗濯物を干して、いつものように毎日の愚痴をこぼすブログを書いていたら、電話がかかってきた。


突然電話してごめんねと、一通りお決まりのやり取りを交わしたあと、受話器越しに事務員は唐突にこう言った。


「仕事、辞める気?」


電話の内容の方向性が読み取れない。


「辞めるというか・・・契約しないって言われてるから」


「辞めたいのか、続けたいのか、気持ちはどっちなのよ、辞めたいって言うなら止められないけど」


ますます意味が分からない。


「そりゃ、辞めたくはないですけど・・・」


これは本音だった。


仕事を辞めないでこのまま続けられるなら、それはそれでありがたい。人間関係のみ我慢すれば、お金は入ってくる。


もうだめだと思っても、本当に終われる人はなかなかいない。どうせ生きていかなければならないのだとしたら、仕事を失ってお金が無くなるという、お決まりの困難はぜひとも回避したい。


「そう、分かった、それなら私が何とかできるかもしれない、だから、もう辞めるなんて言わないでよね。あなたが頑張ってるのは知ってるし、仕事を辞めなければならないような理由なんてないんだから」


そう言って、電話は切れた。


つまり、どういうことだ。


携帯電話を左手に持ったまま、しばし考えた。


まだ何らかの事情により、仕事を辞めなくても良いということなのだろうか。


「まだ、詳しくは話せないんだけど、とにかくなんとかするから。主任の交代があるかもしれないの」


と、その事務員は確かに言った。


主任の交代?悪い方向の話ではないのかもしれない。


そういえば、ほんの数日前事務所で2人になった時、その事務員にちらっと、こんなことがあって仕事続けていけないかも、みたいな話をしたことがあった。


特に仲良くもなく、しゃべったことなど数回程度、その時も相談をしたわけではなく、話の流れでそのようなことをしゃべったに過ぎない。


あなたが頑張っているのは知っていると、彼女は言ったけど、そんなこと言ってもらうのは、どれくらいぶりだろうか。誰かが力になってくれるということが、これほど頼もしくてうれしいものなのか、本当に久しぶりに思い出した。


小さかったころ、悪いことをした時も、人知れず良いことをした時も、母は僕にこう言っていた。


「お天道様は見てるよ」




次の日仕事場に行ったら、廊下で事務員とすれ違った。


すれ違い際に「何があっても、初耳な感じで驚いた演技してよ」と早口で念を押した。


昼休みに施設長から呼び出され、僕はこう告げられた。


「来月から社員としてここでやってもらいたいの、どうかな」


どうもこうも無い、何があったんだ。


多少白々しい演技だったかもしれないけど、大げさに驚いて見せた。


うすうすこういうことなんだろうとは思っていたから「はぁ・・」と気の抜けたような返事を返した。


「それから、来月から正社員になるにあたって、人事交代があるのよ、受けてくれる?」


「なんですか?人事交代って」


「来月からあなたが主任として調理場を仕切ってもらいたいの、もらいたいというか、これは決定事項で、この場で答えなくてもいいけど、拒否はできないから」


と。


一応1日考えさせてくださいと言って部屋を出たけど、急転直下いったい何があったというのか。


こうして首の皮1枚で命を繋ぎとめた僕は、来月からも仕事を続けられるようになり、社員となったことで給料も上がり、主任手当もいただき、ボーナスも支給されるという。




「お天道様は見ている」




命を救ってもらったと言ったら大げさだと笑われるかもしれないけど、僕にとってはまさに、命を救ってくれたに等しい事件だった。


あと1歩のところでいつも幸せがすり抜ける人生だけれども、もしかしたらここで命まで取られるかもしれないと思うところまで追いつめられると、必ず誰か救いの手を差し伸べてくれる人がいたりして、先に進むことが出来た。


ここまで乗り越えてきた困難が、歯を食いしばってこらえた涙が、死んでたまるかと自分を奮い立たせた執念が、僕をここまで導いてくれたのかもしれない。


そして、僕を救ってくれる人とめぐり合わせてくれる。


進んできた道のりが、正しかったのか間違っていたのかはいまだによくわからないけど、そんなことはどうでもいいのではないだろうか。大切なのは、諦めない気持ちであり、いつか必ずいいことあるよと、明日を信じる力なのかもしれない。


誰かに巡り合うたびに「お前の人生だろ、簡単に諦めるなよ」と言われているような気がした。


仕事場では、誰ともしゃべらないので、僕の父子家庭や生活の困窮は知らなかったと思う。


彼女にしてみれば、彼女なりの正義感みたいなもので僕に手を差し伸べてくれたに過ぎない出来事だったかもしれないけど、所詮は赤の他人、見過ごそうと思えばできたに違いない。それをあえて、もしかしたら自分の職場での立場とか、そういったものを賭けて手を差し伸べてくれたのかもしれない。


何があって、何をしてくれたのか詳しく教えてはくれなかったけど、安心して明日を迎えられる人生のスタートラインみたいなところに、ようやくたどり着いたような実感だった。


もう1回子供たちとなんとか頑張ってみよう、そう思っていた。




仕事場では主任として責任ある立場になり、やることも増えて気も遣うようになったけど、この一件で事務所の人たちと交流を深めることができて、仕事場でくだらない話をしたり、一緒にお昼ご飯を食べたり、悩みを相談したりできるようになった。


これだけでも大きな進歩で、気持ちは楽になった。


給料も上がり、借金返済に充てられるお金も増やすことが出来、生活もそれなりに軌道に乗った。


本当にささやかではあるが、人並みの生活を手に入れたような気がしていた。


だからと言って子供たちの生活態度が劇的に変わるということは無く、子育ての悩みやストレスは尽きなかったけど、仕事を失うとか、収入が途絶えるとか、ご飯が食べられないとか、そういった悩みの度合いが減ったおかげで、子供達にもゆとりを持って接することが出来るようになっていったのだった。


もともと子供たちは素直で気持ちが優しくて、基本的には僕の言うことは聞く関係性だったので、改めて協力を要請し、なんとかやっていこうと努力した。


相変わらず宿直明けでは洗濯物が山積みになっていたけど、数回に1程度の割合で、洗濯機だけ回してあったり、時には1回分だけ干しておいてくれたり、自分たちが食べた食器を洗っておいてくれたりと、ほんのわずかではあるけど、子供達も思うところがあるのか、協力の姿勢を感じる場面も増えていった。


それでも思春期の男の子、相変わらずの好き勝手はとどまるところを知らなかったけど「大丈夫、こいつらだっていざとなったらやるときはやるよ」と相変わらず信じるしかなかった。


男の子がいつまでも親の言うことを聞いていても仕方がない、そう考えてみることにした。


どうしてもストレスがたまったら、ブログで暴言を吐き、毎日の食事をせっせとアップした。


好き勝手書き連ねるブログは読者が増えて、毎日コメントに返信するだけでも大変な作業となった。


ブログを書けば気が紛れた。


子供たちの成長の記録であると同時に、今考えていることや、子供たちに対して思っていることを書くことが出来る。そして、それを読んで感想をくれる人とつながっていられる。お互い何処の誰かなど知らない関係だからこそ、今思っている素直な気持ちを書くことが出来た。


父子家庭のパパという目線で書かれたブログには多くの読者がついたが、そのほとんどが同じ父子家庭のパパや母子家庭のママ。一人親の苦労だとか思いみたいなものを共感してくれていたのだろう。


そんなブログを通じて、ある日僕は1人の女性と知り合うことになった。


たまたま自宅が近所であるということと、同じ年であるということ、話してみると共通の友人もいたりして、すっかり意気投合したのだった。


その女性は、母子家庭で娘が一人。同じような境遇であったこともあり、たまに会って食事をしたりした。


子供たちが成長し、仕事が安定し、僕はいつの間にか女性と食事をするゆとりを持てるようになっていた。考えてみると、心にゆとりなどここしばらく持ったことなどない。常に何かに追い回されていて、心にゆとりどころか、むしろそんなものを考えないように自ら否定していたくらいだ。


ゆとりに気を取られたら最後、二度と父子家庭などという生活を継続できなくなると考えていた。自分の事より子供たちの事、これがいつでも最優先事項なのだから。


ところが、今はどうだろう。


考えてみたら、あのころに比べて生活は格段に楽になり、自分の時間を楽しめるようになったではないか。ハチャメチャだけど子供たちは大きくなり、それぞれの人生を歩もうとしている。


これはすごい進歩である。


心にゆとりを持つということは良いことで、子供達にも優しい気持ちで接することが出来るようになり、それによって関係も緩和される部分もあったりして、すべてがうまくいきだしたような、そんな錯覚にさえ陥っていた。


毎日が楽しいということが、これほど生きるモチベーションになるということを改めて知った。


ふと、そんな僕の頭にこんな考えが浮かんだ。


「一人ではどうしても補えない部分も、二人なら補えるのかな」


突き詰めて考えると、監視の目が行き届かない一人親の状況で、子供たちの教育上手をこまねいている部分があるわけで、それがどうだろう「家族」みたいな枠組みで生活すれば、実はすんなり収まるところに収まったりするのではないのだろうか。


子供たちに、ドラマで出てくるようなあったかい家庭みたいなものを味合わせてあげたかったし、僕も一人で生きていくのにほとほと疲れてしまっていたし、子供たちが大きくなっていく中で、次の自分の人生みたいなものを考えたりしたら、もうこの辺で大きく方向性を変えてもいいような、そんな気になってきたのだ。

読んでよかった
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心底、ホッとしました!生きていくのは本当に大変だけど、タケシさん、頑張って~!と思いながら、読ませていただいています。次回も楽しみに待っています。ありがとうございます!

次のお話すごく楽しみにしてます!

読んでいて、自分のことのようにうれしいです!

こんにちは^^いつもありがとうございます。うまく書けてますでしょうか?自分の事のようにうれしいなどと言っていただけると、書いた甲斐がありました^^あと少しでラストです。もうしばらくお付き合いくださいませ。

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