【第39話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

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【第39話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。
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子供たちの成長は、頭で考えているよりある意味さびしい出来事で、独り立ちするためにもがきあがいている子供たちを見ていると、どんな時でも「子供たちのため」と歯を食いしばっていた、あの頃の生きる意味や目的そのものが、消えてなくなっていくような感覚。


嬉しいような寂しいような、自分でもはっきりと認識できないこの感情は、精神を不安定にさせ、未来に対する漠然とした不安をもたらした。


生きる意味そのものを失いかけているのではないかという錯覚が、僕を臆病にさせたに違いない。


誰かと共に生きるという一般的にはよくある考え方も、共に生きるために必要な共感を他人と共有するためには、あまりにも過ごした時間が違いすぎた。


残念だけど、誰かと一緒に暮らすことは不可能なのだと悟った。


他の誰かを失ったとしても、子供たちを失うことは避けなければならない。


随分身勝手な言い分かもしれないけど、僕の立場はやはり、彼らの父親でなければならない。


奥さんは何度かの喧嘩の末に、そのうち実家で過ごす時間の方がはるかに多くなった。


それはそれで寂しかったけど、これも脳の錯覚なのだと自分に言い聞かせてみたりした。


喧嘩をするということは、喧嘩できる相手がいるということ。


一人ぼっちっでは、喧嘩も出来はしない。




こうしてあっという間に元のさやに収まった僕たちは、また3人で暮らしを始めるようになった。

奥さんとなった人は、その後この家に戻ることは無かった。


結婚という名の元一緒に暮らしていたころは、晩御飯を食べたら2階の自室に行ってしまっていた子供たちも、リビングに残ってテレビを見たり話をしたりするようになった。


やはり、子供達もそれなりに気を使っていたに違いない。


上の子の生活態度には、一貫して口出しをしなかった。


自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る。


多くのことを経験し、多くのことを学び、多くのことを失敗して、ほんのちょっとずつでいいから、ここからは自分の力で先に進んで行ってももらいたいと、願っていた。


僕が型にはめたり、方向性を指示したり、何をするべきか導いたりすることは止めようと思った。


間違っていてもいい、自分の頭で考え、自分の目で見て、自分がこうだと決めたことだけを信じて生きてもらいたいと思っていた。


そのために払わねばならぬ代償があるのだとしたら、多少は目をつぶろう。




下の子に関してはまだ中学生、目に余る言動や態度に関しては、厳しく叱りつけた。


上の子と同じ接し方では、やはり違和感はぬぐえない。


学校に行かなければ学校に行くように促したし、約束を守らなかったら約束を守る必要性を説いたし、やるべきことをやらなかったら、なぜやらなければいけないのか、分かるように説明した。


家に帰るのが遅くなる時は連絡をするように言い、連絡をすることなく決められた時間内に戻れなかったら、叱責した。


そのたびに下の子はうんざりしたような表情を見せ、時たま中学生なりの言い分を僕にぶつけてくるのだが、反省し態度を改めるというまでには至らず、彼なりに努力はしていたのだろうけど、思春期を迎えた中学生と、親子の折り合いはつかないことの方が多かった。


そのたびに下の子は逃げ出し、学校にも行かず友達の家を泊まり歩いたり、母親の家に入り浸ったりしているようだった。


居場所のなくなった下の子は、本来自分の力で手に入れなければならないそれらすべてを、初めから諦め投げやりになることで、結果を出さずに逃避するという人生を選択したようだった。


そうは言っても下の子だってこんな不毛な生活を10年共にした仲間であり、いつかは分かってくれるだろうと信じていたし、やるときはやる男であることに間違いない。今は分かりあえないけど、それはタイミングであり、いつかは懐かしく思えるほどいつの間にか落ち着いたりするものなのだろうと、勝手に思っていた。


気長に付き合うしかない。


子供たちに遠慮して、親に遠慮して、お互い言いたいことが言えないような関係では、味気ない。


間違っていることも正しいことも、今の自分が考えていることを堂々と主張して切磋琢磨できる関係が、仮に親子であっても理想だと思っている。


それには時間も経験も必要だ。


3人でいれば、どんな困難も乗り越えられる。


今までがそうであったように。

そしてこれからも、きっとそうであるに違いない。



家にも戻らず、帰ってきても夜遅くになって帰ってくる下の子に、僕はとうとう奥の手を出すことにした。




それは「晩ご飯、抜き」




ありがちな解決法かもしれないが、わが家にとってその意味は重い。


ご飯を食べるということ、それは生きることそのものであり、そのためにすべてを捨てて、すべてを失って生きてきた。

それが10年という父子家庭生活の全てであると言っても、決して過言ではないだろう。


どんなにお金がなくても、どんなに忙しくても、毎日子供たちに手作りのご飯を作り続けた。


「いいか、約束が守れないなら、俺もお前との約束を守らないことにする。毎日どんなことがあってもご飯を作ると決めて今日までやってきたけど、俺との約束が守れないなら、お前のご飯は作らないぞ」


ある日下の子に告げた。


毎日学校に行って、決められた時間に家に戻ってくる。遅くなる時には連絡を入れ、1日30分、やると決めた勉強を一緒にやる。これからの自分の為に、自分が今何をすべきなのか考えて、そのために努力をする。


僕が彼に課した約束は、これだけだった。難しいことを言っているとは思っていない。


出来ない注文や、理不尽な内容であるとも思っていない。


むしろ、当たり前のように彼ならできると思っていたし、たった一人で毎日ご飯を作って食べさせてくれた父親に対する、感謝とまではいかなくても、何か彼にも思うところがあるだろうと考えたわけで、そう考えた僕の、単なる1枚のカードだったに過ぎない。


これがきっかけで、何か良い方向に変わってくれればよいと、そう思っただけだ。


子供たちが小さかったころとは、子育ての悩みや迷いの質が変わった。


本質的な子育ての悩みにぶち当たったようで、毎日毎晩、一人で正しい道を探し考えていた。




コントロールのきかなくなった子供たちの成長がもたらしたものは、新たなストレスだった。


上の子と同じように、学校から毎日のように電話が入り、呼び出され、話を聞く。


体は疲れ果てていて、仕事や家の事、次に何をしたらよいのか頭で考えることが出来ない。



何をしなければいけないのか、何をするべきなのか、その優先順位はどうなのか、何を最優先させるのか、何を伝え、何を教え、何を示すべきなのか、必要なのは父親の強さなのか、母親の愛情なのか、子供たちと共に過ごす時間なのか、食うためのお金なのか、仕事なのか、学校なのか、家族なのか。






分からなかった。


子供を育てるということは、なんでこんなに辛いのだろう。


上の子は高校2年生で、生活態度はすっかり堕落し学校に呼び出されることもしばしば、警察のご厄介になることもしばしばで、バイトしては遊びに行き、明け方帰ってきて学校に向かう生活。


制服を着て家を出て、夕方帰ってきて、バイトに行って明け方戻るの繰り返しだったけど、毎日作り続けていたお弁当は、いつも空になって返ってきた。


大人になった上の子とはあまり話をする機会がなくなっていって、お弁当だけが唯一のつながりのようで、空になった弁当箱を開けると「今日も1日無事だったんだな」と、なんとも言えずほっとするのだった。




下の子に関しては、なだめたりすかしたりを繰り返し、飴と鞭でなんとかコントロールしていた。


1日30分の勉強も、家にいれば一応はテーブルに着き、僕の話を聞いている。


だからと言って、それが身になっているかといえば決してそんなことは無く、今日やったことも明日になればすっかり忘れていて、全く先に進まなかった。それでも、仕方ないと腹をくくり、手を変え品を変え、どうにか自らの力でやる気を持って取り組んでくれるように考えを凝らしたりもした。


全くやる気のない下の子の勉強に付き合うのは一苦労で、様々な要因は考えられたのだが、このころ僕はまた大量の酒をあおるようになっていた。


すっかりご飯を食べなくてもいられる体になった僕は、給料の範囲内で酒を購入するくらいの小銭は持ち合わせていた。


毎日感じるストレスは、とうとう自分でもコントロールできない時がある。


うんざりする瞬間が多くなるにつれ、下の子にも徐々にきつく当たって行ったのかもしれない。


子供たちのことを凄い人間に育てるという未来だけが、父子家庭生活で唯一心の支えであり、なぜだかよくわからないけど、すごい人間に育ってくれるものだと勝手に思っていた。




根拠はないし、僕が思う凄い人間が一体どんなものなのかも、甚だ怪しい。


ただ、そう思っていなければ乗り越えられぬ問題が多すぎて、漠然と素晴らしい未来みたいなものを思い描くことで、なんとなく生きていけるような、そんな気がしていたのだ。


だから「子供たちのため」と思えば、先に進む勇気が出たのかもしれない。


やっていることは無茶苦茶で、とてもまともな子育てと呼べるようなものではなかったし、何かに追い立てられて生きていたに過ぎないことも、よくわかっている。


本当に、よくわかっている。


世の中を恨んで、人を羨んで、蔑んで、卑屈になって生きていたのだ。


それでも止めずにどうにかこうにか生きてこられたのは、何の根拠もない希望。


人並みに恵まれた環境で育った奴らには負けてほしくなかったし、あいつらが負けるわけないと思っていた。

子供たちが大きくなって見返してやるんだと、こんな暮らししてるけど今に見てろと。



それが、言ってみればすべての根源であり、10年間という父子家庭生活そのものである。




すべての苦労が報われるほどの子供たちの確固たる成長を信じて疑わなかった僕の信念の、根っこの部分で既に相当揺らいでいるかもしれないという現実に、実は苛立っていた。


それは、自分自身に対する苛立ちであり、あの当時は精いっぱい頑張っていたつもりだったけど、今になって考えると、本当に自分は子供たちのために全力を出していたのだろうかと、もっともっとしてあげられることがあったのではないのだろうかと、そんなことを考え自分を責め、にっちもさっちもいかない子育てに悩み、自問自答する毎日。


何かが違う。

こんなはずじゃない。

思い描いていた未来は、これではない。


どこからかほんの少しずつ気づかぬ程わずかなズレが生じていて、それがやがて違和感となった。


どこで間違えてしまったのか。考えても考えても、遡らねばならぬポイントはやはり10年前で、そもそもたった一人の父子家庭生活など土台無理な話だったのだと、行きつくところはいつも一緒だった。


何とかなると思って頑張ってみたけど、ここが父子家庭の終着駅で、一人で子供を育てるという挑戦の限界のような気がするのだった。

先に進もうにも、もはや道が見当たらない。




夜になれば酒を飲み、泥酔することによって思考を停止させる。酒の力を借りなければ、感情のリセットも出来なくなっていた。


子供たちが離れていくのが、分かった。

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