【第45話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。~最終話まであと2話~

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僕の、親としての立場での思いと、そこの中で暮らす子供たちの感情に、いつしか少しづつズレが生じてきて、それらは成長と共に不愉快で理不尽なものになっていったのだろう。


一人で子供を育てるということには、目に見えぬ障害が様々あって、それに気が付いた時には取り返しのつかないことになっていることがある。


たった一人でもできると思って、独りよがりで10年間過ごしてしまったその代償が、下の子の家出だったのかもしれなかった。


子供を育てるというその行為は、なんと難しいものなのだろう。


そう気がついても、今更戻れぬたった一人父子家庭生活。


自分を信じて、子供たちを信じて、行けるところまで行くしかない。


学校に一緒に行って、素行の悪い下の子を詫びた後に、何の連絡も無しに勝手に引き落とし口座を変えた件について、担任と生活指導と学年主任の先生相手に、しこたま説教して帰ってきた。


知らないところで勝手なことをされては困るという、僕なりの意思表示をしなければいけなかったし、ここのところイライラしていたその感情をとばっちり的にぶつけてきたのだった。




下の子と和解し、先生にイライラを勝手にぶつけスッキリしたことをいいことに、下の子と一緒にご飯を食べることにした。


学校で先生相手にやり合っている時間が結構なものだったらしく、外に出た時にはあたりはすっかり暗くなってしまっていた。


「遅くなるだろうから、母ちゃんに連絡しとけ」


「今日は帰らないで泊まっていいかな」


と下の子が言うから


「もちろん、自分の家なんだから好きにしろよ」


こうして僕たちは、久しぶりに一緒に晩御飯を食べることになったのだ。


母親も、それを了承してくれたようだった。


せっかくだから上の子もと思ったけど、ちょうどバイトに行ってしまった後で、食事会には参加できなかった。


何が食べたいかと聞いたら「ハンバーグ」というから、近くのファミレスで大好きなハンバーグを食べ、半年ぶりに自宅に戻った。


上の子がバイトから帰るまで、風呂に入ってテレビを見て、最近の話を一通り聞いていた。たった数時間ですっかり元通りに戻れたみたいで、嬉しかった。


上の子には特に弟が戻ってきて、今日は家に泊まるということも伝えていなかったので、21時にバイトが終わって自宅に戻り、リビングのドアを開けた時の驚いた顔は見ものだった。


その日は久しぶりに3人で、夜遅くまで話をした。


昔のように大声で笑って、くだらない話をした。


散歩しながらコンビニに行って、好きなお菓子と飲み物を買った。


2人とも体がすっかり大きくなって、体格はゆうに越されたけど、3人で歩く夜道の散歩は懐かしくて、子供の時のようにはしゃいで歩く2人の後ろ姿は、仲の良かった兄弟のそれだった。


上の子も、僕と2人の時はそれほど口数も多くないけど、弟がいるだけでいつになく饒舌で、笑い声も絶えなかった。


やっぱり兄弟なんだ。


親の僕には到底入り込めない領域が兄弟にはあって、2人にしか分かり合えないようなこともきっとある。それは、今での苦労を2等分して分け合ってきた兄弟の絆なのかもしれない。


次の日の仕事のことなど気にせずに、その日はずっとずっと話をしていた。


その日から数日間、下の子は自宅にいて中学校にも通った。


今までは電車と自転車で1時間かけて通っていた中学校も、ここからならわずか5分。今更ながら、無駄な苦労を思い知ったようだった。




休みの日には一緒に映画を見て、買い物をした。


下の子と2人で出かけるなんて何年ぶりかわからないほどで、ご飯を食べて、靴を買ってやった。ボロボロの靴を履いていたから、好きな靴買っていいよと言ったら、迷った末に8000円の靴を買った。


「高いけど大丈夫?」


と気を遣うから、


「昔の俺とは違うよ、お前が半年家出しているうちにすっかり羽振りが良くなってね」


嬉しそうにはにかむ下の子の表情を、今も忘れられない。


本当の懐事情はさびいものがあったけど、今までプレゼントなど買ってやったことも無い。


「お前がこれから先どこで暮らすのか分からないけど、どこにいても、俺はお前の父親だし、お前は俺の子供だよ。この靴はプレゼントだから、母ちゃんのところに行くって言っても返せなんて言わないから」


これは冗談だ。


下の子は「ありがとうございます」と言って笑った。


最後の審判の日の前日、下の子に母親のところに戻ってこれからどうしたいのか自分で決めて自分の口で話して来い、と言って数日間いた自宅を出した。


結論は、自分で決めればいい。


それがどんなものであろうと、自分で決めたということは意味があることで、その決断は尊いものでなければならない。


「どんな人生を選択しようとも、いつも感謝の気持ちは忘れないように」


と付け加えて送り出した。


いつもそうだったように、僕はやっぱり信じることにした。


桜もすっかり散って、まぶしい日差しが新緑豊かな街並みを照らしていた、最後の審判の日。


裁判所に行ってみると


「申立人が申し立ての取り下げをしましたので、これによりまして親権者変更の申し立て調停は終了となります。なにか異議ありますか」


事務官は言った。


「異議ありません、お世話になりました」


そう告げると、晴れやかな気持ちで半年通った裁判所を後にした。


これで、ようやく終わった。


スッキリしない感情もだいぶあったけど、もう考えないようにしよう。


色々遠回りしたけど、また3人暮らしが始まる。




親権申し立て調停の決着がつき、下の子が家に戻ってきたのはゴールデンウィークが明けしばらくした5月の中旬だった。


隣町から電車に乗って中学校に通っていたため、定期券がまだ残り少し期日があったということと、半年間世話になった母親との間にもわだかまりを残さぬようにと、このタイミングになった。


どういういきさつでこのようなことになったのかは未だに不明だったけど、この一件があったからと言って、僕が彼らから母親を奪ってしまわぬように。


高校受験を控えた下の子だったけど、もう、何も言うのは止めようと決めた。


それは、簡単に言ってしまえば心が折れたということで、散々ひどい目に合って子供たちを育てた挙句、母親に虐待だと親権移動の調停をおこされ、肝心の子供たち2人はすっかり言うことを聞かなくなり、収拾がつかなくなってしまったからだ。


調停の期間も半年間と長く、心労もストレスも限界で、体力も気力も維持できなくなっていた。


性も根も尽き果てたようで「もうなんでもいいよ、好きにしてくれ」という思いが体中を支配した。




やるべきことはやった、これ以上は無理だ。




子供たちは大きくなり、家族の絆は緩まっていく一方のようで、報われぬ子育てとこの10年にいよいよここにきて、とうとう僕の気力は崩壊した。


なんでこんな目に遭わねばならないのか、いったい何をしたというのか、どこにぶつければ良いか分からぬ怒りは、いつしか僕の中からすべての気力を奪っていったのだった。


自宅に戻った下の子は、初めのうちは学校に通っていたけど、そのうち飽きてきて、また学校には行かなくなってしまった。その辺をフラフラ遊びまわるだけの生活になり、何のために家出をして半年間も争っていたのか、そもそもの根底を疑わずにはいられないほど何も変わっていないように思えたし、これを何かの糧として心を入れ替えるほどの影響力はなく、下の子の心には響かなかったのかもしれない。


学校をさぼり、タバコを吸い、夜遅くまで遊び歩く。家に戻らなくなり、どこで何をしているんかも把握できなくなった。


思い描いた未来とは程遠い現実に、嫌気すら感じていた。


無関心。


今の僕にできることは、それだけだ。


上の子はバイトを転々としながら夜遊びを続け、金が足りなくなあると相変わらず借金をして遊び続けた。夜中に警察沙汰になり、学校から謹慎処分を下されることしばしば。


そのたびに仕事終わりか休みの日を利用して、高校に呼び出される日々。学校にも行ったり行かなかったりで、毎日作る手作り弁当も、学校ではなく外で食べることの方が多くなっていった。


カラオケ、ボーリング、日帰り温泉、バイク仲間と県外までツーリング。今のご時世、やることは山ほどある。


誘惑につられるがまま遊び歩き、成績は下降の一途を辿っていた。どうしても県立高校に入ってもらわねばならなかった親の事情で、3ランクも下の合格確実だった高校でも、下から数えた方が早いほどに成績は低迷した。


絵にかいたような思春期、反抗期による堕落。


よくもまあここまで堕落できるなと感心するほど、建設的な生活の全てを放棄したかのような暮らしぶり。


父子家庭など、一人で子供を育てるなど何も知らないくせに「自分の人生を賭けて、自分の人生と引き換えに」などと偉そうなことを言ってみたけど、結局手に入れた未来は何も生み出していない。


一人では手に負えないことが多すぎて、とうとう心が折れてしまった。


それはもう、完全に根元から折れたように、心の中はすっかり更地になってしまったようだった。


すがすがしいと言えば、すがすがしい。


「もう、何も言うまい」


自分なりに精いっぱいやったという思いもあったし、今更何を言えば、何がどう変わるのかさっぱりわからない。


上の子と下の子と交互に学校から呼び出され、夜中であろうと朝方であろうと警察が訪ねてくる。


最近学校に姿を見せていないとか、髪の毛の色がどうだとか、服装が何だとか、住宅街の公園で深夜大声をだして遊んでいるとか、バイクの盗難の容疑がかかっているだとか、ツイッターで飲酒喫煙を疑わせる画像が載っているとか、あげたらきりがない。


仕事と家事と育児と、これらの雑務がひっきりなしに予定をふさぎ、そのたびに問題を解決するためにどうすれば良いのか考え、関係各位に頭を下げて回る。


気力が崩壊し心が折れた僕は、次々と巻き起こる子供たちのトラブルを何とか処理し、頭を下げ、時には言い争って問題を解決するだけのロボットになってしまったかのように、次第に、何があってもなんの感情もわかなくなってきた。


知らない、もう知らない。


一切のかかわりを断つことはできなかったから、トラブルの時だけ手を差し伸べはしたが、後は知らぬふりを決め込んだ。


何が起ころうと、知らない、勝手にやってくれ。


諦めたとのかと言われれば恐らくその通りで、否定するだけの信念など、もはやない。


夏休みになっても、下の子は勉強のべの字も無く、次の進学先を決めなければならなかったけど、高校に行くのか行かないのかさえ分からない。


上の子は、大学に進学したいと口には出すが、それに対しての努力は感じられなかった。


出席日数、単位、授業態度、生活態度、そのどれをとっても下の下であったにもかかわらず、受験しての大学入学も今更面倒だと考えた上の子が推薦入試を模索し始めたのだが、人生それほど甘くはない。


山奥の、誰も行かなさそうな大学あたりでも推薦入学など怪しいライン、特に将来の希望や目標などなく、やりたいことも見つからない17歳は、自分の進路さえ決められぬ有様。


兄弟2人のうちどちらかがそうであるなら、僕としても最悪納得できる落としどころもあるという物だが、どちらもとなると、今までの10年をすべて根こそぎごっそりと否定されたようで、立ち直れぬほどのダメージが襲って来るのだった。


それだけ10年という時間は途方もなく、失ってしまったものは果てしない。




僕も人のことを言えた分際ではないことは重々承知している。子供たちに生きる希望や喜びを与えるような生活をさせてきたかと言えばそうではない。


でも、ちょっと待ってくれ。


テレビドラマや映画では、そんなのお構いなしに子供たちは素直ないい子だし、問題が起こっても誰かが助けてくれたりするし、貧しい家庭や恵まれない家庭で育った人が、ものすごい人間になったなんて話、よく聞く。


なんで、僕にはそれがない。


なぜだ、何が違うというのか。



もうこのまま見て見ぬふりをしながら、良いように言えば、自主性に任せるといった具合になると思うのだが、実際はそんなきれいごとではなく、報われぬ10年の父子家庭生活の末、諦めに舵を切っただけだ。




そう、諦めたのだ。


もう諦めよう。




どんなことがあっても、男なんだし、いつかは一人で自分の力で生きていかなければならないはずだ。


このままだと、2人とも相当な困難に遭遇しそうな気はしたけど、それもまた人生。


無駄にし続けた時間の代償は、いつかどこかで払わなければならないし、それはそれで仕方がない。


そのうち下の子は、すっかり家に戻らなくなり、学校へも行かず友達と遊び歩く毎日。


上に子はバイトも行ったり行かなくなったりになり、働いてお金を稼ぐということすら面倒になったようだった。


彼女を作り、さらに楽しいことが増え、バイトなどしている場合ではなくなったのだろう。


バイトをしなければ金がないわけで、お約束のように僕に金を借りに来るのだが、収入のあてがついたら貸すけど、つかないなら貸さないというルールに切り替えた。


バイトして働いてお金を稼ぐことが面倒になった上の子は、自分の所有物をネットオークションで売りさばき、大事に溜め込んでいたお気に入りのマンガ本を古本屋に売り、楽して稼ぐ方法を模索し続けるのだった。




その年の10月に18歳になる上の子は、原付にも飽きて車の免許が欲しくなった。


金はなくとも、欲しいものは無くならない。


誕生日の早い友達などは、いち早く教習所に通ったりして、いよいよ自分も車に乗りたくなったようだった。


なんだかんだ言ってもかわいい子供たちだし、今まで何もしてあげられなかったという負い目もあるし、今となっては多少の貯えもある。


恵まれた家庭では、と言っても両親が揃っているという程度の恵まれ方なのだが、教習所のお金は親が払い、さらに恵まれている家庭では、車まで買ってもらえると言うではないか。


半分は出してやろう、そう決めて上の子に告げた。


これが最後の、親らしいことになるはずである。


このくらいは、今時の親の最低限の役目なのではないのだろうか、そんな気もしたし、半分のお金を出すことによって、今までの贖罪の気持が無かったわけでもない。


「教習所に通う半分の金は出してやる、今の俺にはそれくらいの貯えならある。でも、残りの半分は自分で何とかしなさい」


下の子の高校進学、上の子も進学するのであれば、またお金は湯水のように使わねばならなくなるのだろう。出来ればそれらのためにできるだけ貯蓄に回したいところだけど、コツコツと貯めた20万程度の貯金の中から15万円を上の子の教習所代に使い、冬のボーナスを下の子の進学費用に充て、上の子が進学するとなったら、仕方がないまたどこからか借金をしてやりくりしようと決めた。正社員として3年働いていたので、銀行の教育ローンも何とかいけるだろう、それからはまた気長に返せばいい。


上の子は喜んで、早速冬休みの合宿に向けてパンフレットを取り寄せたりし始めた。




平成27年10月18日に18歳の誕生日を迎える。

父子家庭生活が始まって、ちょうど10年の節目だ。



いくらかなら貯金もあると、上の子から初耳の情報まで飛び出して、にわかには信じがたかったけど、大人になる第一歩のために力を貸してあげたいと思うのは親ごころだ。


出来の悪い子供たち2人だけど、気持ちは優しいし、根っからの極悪人というわけでもない。


そのうち尖がって突っ張ってるのも飽きてきて、心を入れ替えてくれるに違いない、その日を信じて、生きていくしか僕に残された道はなかった。


収入が安定し、仕事も続けていける環境が整い、子供達も何だかんだ言っても大きくなって手が離れ、家に帰ってこないから晩御飯もタイミングを見計らって作ればよいだけになり、食費もかからなくなって給料からほんの少し貯蓄に回せるお金が出来たりして、僕の自由になる時間も増えて気分転換などもできるようになった。


生活リズムのコツをつかんでしまえば、こんな生き方も悪くない。

子供たちを信じ、お互いの生活環境を尊重し、つかず離れずの関係。



どうしても毎日やらねばならないのは上の子のお弁当のみで、感情さえ都合よくコントロールしてしまえば、それなりに快適な生活にも思えてくるのだった。


「もう、終わったんだ、子育てはもう終わったんだ」


後は自分たちで責任をとってください、そして自立してください、そう決め込んでしまえばこの一見不毛に見える子供たちの青春時代も、父子家庭として過ごしたこの10年も、通過点としては意味のあることのように思えてくるから不思議だ。


肩の力を抜いて、強制はせず、変な思い込みも捨てて、流されるままに受け入れる。


それが僕の手に入れた新しい生き方のような気がして、子供達からの関心を自分の内面から引きはがしてしまえば、とても穏やかな気持ちになるのだった。


「よし、これからはもっともっと自分の人生を楽しもう、よく考えてみればまだ41歳、まだまだこれから人生をやり直せる」


そう思ったら、今までの屈折した感情とは裏腹に、前向きな気持ちになれたのだった。


これからは自分自身の人生のために生きていこう。


自分の人生など考えたことも無かったけど、今更バチは当たるまい。


自分の人生、未来、なんてすばらしい響きだろうか。


そうやって自分自身の感情を納得させて、子供たちの成長を見守るスタイルにすっかり居心地がよくなってきたころ、上の子は18歳の誕生日を迎えた。


父子家庭になって子供達を引き取った時「子供が18歳になるまでは、なんとか頑張ろう」そう言い聞かせてここまで生きてきた。


18歳というのは、僕にとっては特別に意味がある数字で、この日のために10年歯を食いしばってきたと言っても過言ではない。生きるか死ぬかのサバイバルな人生だったけど、何度も何度も心折れながらも、もうだめだとあと1日だけを繰り返し、ようやく、本当にようやくここまでたどり着いた、記念すべきまず1個目のゴール。


父子家庭になった時に思い描いた未来像とは程遠く、上の子が手放しで喜べるほどの立派な人間にはなっていなかったけど、やっぱり18歳の誕生日は特別で、感慨深くて、うれしかった。


小さいころはささやかなケーキを買ってろうそくを灯し、3人で歌を歌ってろうそくを吹き消していたけど、いつのころからか友達と過ごす誕生日になり、18歳になったその日は、彼女と2人で祝うのだと言って、家にはいなかった。


一緒に誕生日を祝ってやることはできなかったけど、これも一つの成長の証。


「本当の自分の人生はここからなんだよ、自分で考えて自分の足で歩きなさい。誰の言うことも聞かなくていい、自分が正しいと信じた道を、ただひたすらに進んでください。出会ったすべての人に感謝の気持を持ちなさい、人を傷つけてしまったら、心から詫びなさい。そしてゆっくりでいいから、いつか誰かの役に立つような、これからはそんな人間になっていってください」


そう、言葉を送った。


偉そうなことを言ったけど、一つの区切りを迎えてひと段落したような安堵感が気持ちよかった。


「どうかこの子に素晴らしい人生が待っていますように」


18歳という区切りの誕生日、何度も何度も神様に祈った。




仕事は可もなく不可もなく、低空ではあるがそれなりに安定し、職を失うかもしれないという危機もとりあえずは脱して、上の子は無事18歳になった。




下の子は相変わらずだけど家出を止めて戻ってきたし、もう少しで父子家庭としての僕の人生もいよいよ終わるのかもしれないと、ホッと一息ついていた。


後は子供たちの自主性に任せ、なりたい自分になれるようにお互い努力すればいいだけで、僕は僕の人生をもう一度取り戻して、今まで我慢してきたことや、やりたくても出来なかったことをやればいい。


上の子が誕生日を迎えたその日から、僕にとっても新たな人生のスタートのような気がして、ここからまた気持ちも新たに生きていこうと思い始めていた。






まさにその矢先だった。


そう、まさにその矢先。



~最終話まであと2話~

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泣きながら読んでいます。状況は違いますが、私ももうぎりぎりです。疲れた。

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