【最終話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

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【最終話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。
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「事故直後は血管が収縮していますので、時間が経過したのちに再度CTを撮ります。血管が元に戻るときに多くの場合出血が見られますので、これ以上出血個所が広がるようでしたら処置をしなければ助かりません」


なかなか理解することは難しいとは思いますが説明を続けますと言って、さらに骨折箇所の説明とその治療方法を告げた。


鎖骨と大腿骨は早々に手術をし、その他の骨折箇所に関しては、整形外科医の判断を仰ぐといった内容。


全ての説明を聞き終えて


「なにかご質問ありますか」


と医師が言ったけど、ご質問と言われても知りたいことは一つだったので、単刀直入に聞いた。


「死ぬ可能性はどのくらいでしょうか」


「現段階で50%、半々です。24時間が山ですので、今日1日は必ず連絡が取れるような体制を維持していてください」


気分が悪い、眩暈がしたので目を閉じて俯いた。


医師は最後にこう付け加えた。


「私の経験と勘ですけど、お子さん18歳ですね、若いから大丈夫だと思います」


「どういう意味ですか」


「若いっていうのはそれだけで十分期待できるだけの材料なんです、若いから恐らく大丈夫だと思います」


若いから大丈夫、そんなものなのだろうか。


これが年を取った人の、例えば僕ぐらいだったとしても、助かる可能性はほぼゼロの状態らしいのだが、若いというだけで命を繋ぐ可能性は格段に上がるのだそうだ。


「良かったのかどうかは分かりませんが、回復という点だけ見れば、若い時の事故で良かったとも言えます」


そう言って医師は診断書の説明を受けたサインを求め、退室していった。


その後看護師が部屋に入り、同意書やらなにやら数枚の書類にサインを求め、今後の入院生活の説明と、救命室に面会に来るときの約束事の説明をした。


その中に、脳の手術の同意書、その他手術の同意書、麻酔の同意書、輸血の同意書、拘束の同意書など、恐ろしいものばかりで手が震えたのだが、矢継ぎ早に求められるに応じてサインをし続けた。


「ありがとうございます、分からないことがあればその都度聞いてください」

看護師は僕に笑顔でそう言った。

突然のことで大変でしょうけど出来る限り力になりますと、最後に付け加えてくれた。


「はい、お世話になります」


「1時間後にCTを撮り、その結果によっては手術となりますので、申し訳ないのですが1時間は待合室で待機してください」


「わかりました、ありがとうございます」


「息子さんの顔見て行かれますか」


看護師は僕に部屋を出るよう促した。


どんなことになっているのか、怖くて怖くて仕方がなかったけど、会わないわけにはいかない。


2枚目の自動ドアをくぐり、手を洗うよう命じられ、アルコール消毒をしたら救命室に入れることになる。


だだっ広い部屋には、ベッドがいくつも並べられていた。


無数の機械が置かれ、ランプが点滅し何かの数字が映し出されている。

テレビで見る救命救急室と、さして変わりはない。


緊迫した雰囲気。


救命室の一番奥のベッドまで連れて行かれると、首に鞭打ちの人がつけるようなものを巻いて、両手には緑のミトンのような手袋、胴の部分でベッドに括りつけられ、左腕には点滴。


真っ二つに折れている右足の膝部分にはねじのようなものが埋めこまれていて、そこから錘をぶら下げ吊られている。

2キロの錘をつるして、足を引っ張っているのだとか。


まぎれもなく、上の子だった。


今まで見たことも無い姿で、横たわっている。


踵とか腕とかむき出しの部分には数か所擦り傷があったけど、顔は思っていたよりもきれいだった。


ベットに括りつけられた状態で、眠っている。


「意識はあるんですか.?」


「先ほどここに連れてこられた時は、自分の名前を言ってましたよ」


耳元まで近づき名前を呼んでみたけど、何の反応も無かった。


「また来るから、必ず助けるから、死ぬなよ」


耳元で2度、言って聞かせた。


診断書2枚と、おびただしい枚数の同意書の控えを渡され救命室を後にした。


自動ドアをくぐり待合室に戻ると、3人の先生はまだそこで待っていてくれた。


どのような状況でしたかと、口に出さずとも顔に書いてある。


「命を失うかもしれない危険な状態だそうです」


なるべく感情をこめずに言った。


感情をこめてしまえば、立っていることも出来ないだろう。生活指導の女性の先生は、その場で泣き崩れた。


「顔を見てきましたけど、思ったよりもきれいで安心しました。意識は無いような感じです」


精いっぱいの冷静さを装って言葉をつづけた。


「1時間後にもう1度CTを撮り、脳の出血が広がるようであればその場で開頭手術だそうですので、その結果が出るまで僕はここで待機しています。追って連絡しますので、今日のところはお忙しいでしょうからお引き取りください。ご迷惑をかけて申し訳ありません」


深々と頭を下げた。


自分が今、どんな感情なのかさえよくわからない。


担任の先生は一緒に残ると言ったので、2人で待合室にいることになった。


待合室の壁掛け時計を見ると、午前10時50分だった。


「若いから大丈夫だと、担当の医師は言ってました」


「そうです、若いから大丈夫ですよ」


僕達は根拠の良くわからない医師の「大丈夫」にすがることにした。


待合室は静かだった。


壁掛け時計の時を刻む音だけが響き、居ても立っても居られぬ状況に、不愉快さは増すばかりだった。


何をすればよいのか分からず、これからどうなってしまうのかもわからない。


担任の先生と、座って時がたつのを待つしか術がなかった。


しばらくの間黙って座っていたら、先ほどの警察官が待合室の外の廊下から僕を呼び出した。


「お父さん、ちょっとすみません、お子さんの状況を教えていただきたいのですが」


僕は医師に聞いてきたとおりの説明をもう一度、2人の警察官に繰り返した。


一人が聞き役で、もう一人が記録係となり、僕の説明を聞く。


心の動揺が尋常ではない。


もしかしたら24時間以内に死ぬかもしれないという途方もない事態に、徐々に意識が遠のいていくのが分かる。


警察官と話をしながらも、気持ちは上の空だった。


警察官が、事故当時着衣を回収したいというから、もう一度インターフォンで救命室の看護師を呼び出し、救命室の中にある上の子の荷物を持ち出して、警察官に渡した。


警察官は、それらの中から必要なものを取り出し、ビニールに入れる。


「靴がありませんね、靴はどこにあるかわかりますか」


「いえ、分かりません。看護師の話だと所持品はこれですべてだそうですので、事故現場じゃないでしょうか」


「そうですか、分かりました」


それらの荷物は証拠品として押収されるらしく、その同意書にもサインさせられた。


ここに来てからというもの、おびただしい数の書類にサインさせられたけど、そのほとんどの内容を理解していない。


警察官はいったん引き取りますといって、どこかに姿を消した。


再び待合室に戻ると、担任の先生が


「まだ時間もありますし、下で何か飲みませんか」


というので、2人で連れ立って1階の売店横の喫茶店に向かった。


バイク通学禁止の高校で、通学途中にバイク事故を起こしヘリで救急搬送されていて、担任の先生と一緒に何を話せばよいのか考えあぐねていた。


これはいったいどのような処分になるのだろうか。


もし命が助かったとしても、これからの高校生活は前途洋洋なものではないだろう。


命の心配をしなければならないのか、現実に起こっていることの解決策を考えなければいけないのか、迷っていた。


死、という物を受け入れられず、何をどう心配すればよいのかさえ分からないから、そのどちらもが意味のないことのようにも思えてくるのだった。


担任の先生はコーヒーを頼み、僕はオレンジジュースを頼んだ。



「それにしても大変なことになってしまいましたね」


という担任の先生の問いかけも、交通事故で緊急搬送のことを言っているのか、無許可でバイク通学をしていたことを言っているのかよくわからなかった。


「はい」


と、曖昧な返事を返した。


上の子は高校3年生、卒業まであと5カ月となっていて、どのくらいの入院期間になるのか、復学は可能なのか、そんなことをぼんやり考えた。


卒業するのは、難しいのだろうか。


ここまで来て、高校を卒業できないというのは忍びなかったけど、命の方が大事であり、まずは命が助かるということが何よりも優先されると思ったけど、これから先のことを考えたら、どんどん憂鬱になり不安ばかりが増してくる。


命が助かったとしても、五体満足でいられるのかとか、寝たきりになるのではないかとか、あれだけの事故で脳に損傷を負っているのだから、何らかの後遺症が出るかもしれないとか。


でもそんなことより、命が助かって欲しかった。


明日から上の子がこの世にいないという生活を、うまく思い描くことが出来ない。


死んでいなくなるという現実を、受け入れられる気がしない。


受け入れなければならない現実がどの程度困難なものになるかも分からない状況で、それらを乗り越えられるのかどうかの自信も曖昧だったけど、上の子が今日限りこの世からいなくなるという現実は、どうしても受け入れ難いものだった。


先生とは大した話もせず、落ち着かないので早々に待合室へと戻った。


エレベーターで2階に上がり、クネクネと廊下を曲がって、突き当りの救命室まで向かう途中に先ほどの警察官が立っていて、僕だけを呼び止めた。


「ちょっと伺いたいことがありまして」


そう言って廊下の隅に僕を寄せた。


「お子さんのお名前はこちらで間違いないですかね」


警察官は、事故の状況やら本人の状況やらを書き留めたA3サイズの紙の一番上部分を指さした。


間違いなく上の子の名前が書かれている。


「住所も間違いないですね」


「はい」


何の話だろうか。


「今回息子さんがバイク事故ということで、乗っていたバイクはお子さんのものでしょうか」


「お子さんのもの・・・」


改めて聞かれてみると、知らなかった。


生活は混乱に次ぐ混乱で、下の子の親権変更の調停で手いっぱいだったため、上の子の生活状況は信頼という名の元に何も確認されてはいない。


「多分そうだと思うのですが」


「そうですか、では、お子さんが原付の免許を所有しているかどうかということは知っていますか」


「バイクに乗っているのだから、持ってるんじゃないですか」


「どういうことですか、それは。免許証を見たことがあるのですか?」


「持っていると思いますけど・・・見たことはありません」


見たことは無かった。


原付に乗り始める前に、自動車教習所の通っているような話は聞いたことがあるし、バイクに乗るためには免許が必要であるということぐらい、知っていると思っていた。


そんなこと、いちいち口に出して言わねばならぬほどのレベルであるとの認識を持ったことはない。


教習所からも「このたびは当教習所をご利用いただきまして」といった内容のはがきが届いたこともあったし、それよりなにより「バイクは危ないから乗るな」という忠告を聞かないのであれば、それ以降は信じて見守るしか術がなく、ひたすらに混乱した多忙を極める毎日に、ストレスと共に上の子に対する心配事や悩みはいつしか忘却の彼方となった。


「見たことがない・・・親なのにバイクに乗っている子供の免許証を見たことがないんですか」


「はぁ、いろいろと事情がありまして」


「いろいろな事情で片づけられる問題ではないですよ」


問い詰めるように2人の警察官がにじり寄って、いよいよ確信に迫るのだった。


「お子さんのお名前と住所で問い合わせたところ、照合されないという結果になっています」


あまりにたくさんの情報がここ2時間で詰め込まれ、僕の頭はとうとう許容範囲を超えた。


「今度は何ですか・・・一体何の話ですか」


頭をかかえて廊下の壁にもたれかかった。


「お子さん、無免許ですよね」


寝耳に水とはまさにこの事である。


予想だにしない警察官の言葉に、立っているのもやっとなほどの眩暈が襲った。


「ちょっと待ってください、ちょっと話を整理させてください」


警察官は、親だから当然知っていて然るべき情報で、バイクに乗る子供の免許証を見たことがないなど言語道断、そんな言い訳が通用すると思っているのかとか、親として失格じゃないのかとか、あなたの言っていることには無理があり、言葉通りに受け取ることには違和感があるとか、その程度の話も出来ないような親子関係なのかとか、取り調べのように畳みかけられる。


「ちょっと待ってください、頭が混乱して整理できません」


警察官は、親であれば当然知っていて然るべき情報を知らないという言い分をそもそも理解することはできないと言い、親失格であると、この状況下でダメ人間の烙印を押した。


「あの、父子家庭でして、ずっと10年一人で子供育ててきて、最近下の子の親権変更の調停とかあって、時間も余裕もお金も無くて、上の子の生活に関して手が回らな・・・」


ここでもか・・・


何度目だろう、この感じ。


いくら説明したところで、この程度の言葉で表現できるほど過ぎてしまった10年は、自分の手にも負えないほどに複雑を極めてしまった。

もう誰にも伝わりはしない。


「わかりました・・・すみません。この話は後日改めてお話しさせていただきます。今はうまく説明できません」


「乗っていたバイクもお子さんの名義ではありません、それはご存知でしたか」


警察官は、あきれたような物言いに変わった。


「いえ、知りません」


再び警察官が話をし始めたので「本当にすみません、上の子の命が助かったらもう一度お話しさせてください」そう言うが早いか警察官の間を潜り抜け、待合室へと歩き去った


警察官は、追ってはこなかった。


この事故に関係している様々な人の思惑が交錯していて、全てを理解するにはすでにその範疇をゆうに超えていて、さらには命の危機だとか、開頭だとか、意識不明だとか言われ、追い打ちをかけるように今度は上の子の無免許並びに、バイクの窃盗容疑までかけられる始末。


何がどうなっているのか、考えて理解して結論を出さねばならぬことがたった数時間で山積みにされた。


無免許で、自分のバイクですらないとなれば、当然保険など入っているはずもなく、事故ということは相手がいる話で、相手の状況、車の破損状況、病院の支払いなど、考えなければならないことが次から次へと頭に浮かんでは消えた。


生命保険など当然一度も加入したことは無く、入れる余裕があるはずもない。


警察が言っている通りに、もし無免許でバイク事故ということになれば、高校の卒業はどうなるのだろうか。


いずれは学校の耳にも入るであろうこの情報が、どうか嘘であってほしいと思った。


信じるとか信頼などという言葉は、一見聞こえが良いけれど、本当は無関心を装うための言い訳だったのではないのだろうか。


僕は、親失格だ。


知らなかったとはいえ、親として、保護者として、許されるべきことではない。


「神様」


そう言葉に出してみたけど、今更何を祈ればよいのかさえ分からなかった。




それからの1時間は、何をどう考えていたのか知らない。


命が助かって欲しいと思いつつも、助かった後はどうしようかと、不謹慎にも混乱する頭でぼんやりと思っていた。


今までの生活は何だったのだろうか。一体、今まで何をしてきたのだろうか。


悔しくて悲しくて、涙があふれてくる。


隣に担任の先生がいるから、ようやく寸でのところで堪えるのだけど、このままいっそ上の子と一緒に死んでしまおうか、そんなことを考えていた。


たった一人で父子家庭として、子供たちを2人とも立派に、一人前に育てるなどと大仰なことを言っていた割には、このざまだ。


何もかもが滅茶苦茶に狂ってしまった、収拾のつかない現実だけが残された。


どんなことがあっても乗り越える。


どんな環境でも、ベストを尽くす。


分かってる、よく分かってる。


自分にも子供達にも常に言って聞かせていたけど、これはもうお手上げかもしれない。


一向に時を刻まぬ壁掛け時計を見ながら、予定されていた1時間が過ぎたけど、看護師からは何の呼び出しも無かった。


CTの結果が最悪で、緊急手術になってしまったのだろうか。


だとしたら、僕のところに報告に来るはずだが、その猶予も無いほどに状況が緊迫しているのだろうか。


考えても仕方がないことを、永遠に考え続け、緊張とストレスと不安で、体中の力が抜けていく。


どこまで遡って自分の行いを責めればよいのだろうか。


これは、父子家庭などという訳の分からぬ生き方を子供たちに強いた、僕の責任なのではないのだろうか。


きっとやれる、やるしかないと決断したあの時の気持は、決して安易なものではなかったけど、現実は僕が考えている以上に過酷で、とうとう上の子の命が危ないというところまできてしまった。


僕が悪かったのだ。

僕が追い込んでしまったのだ。




「この命と引き換えに助けてやってください」

父親として、親として、万策尽き果てた最後の最後に考えるべきことは、これしかないような気がした。


所詮、子供達2人にくれてやった僕の人生、上の子の命が助かるのなら、惜しくもない。


1時間30分が過ぎようとしたとき、救命の担当医が出てきて、待合室から僕を呼んだ。


「CTを撮りましたけど、すぐに手術するほどのところまでは至っておりませんので、このまま様子を見たいと思います」


淡々とした表情で語っている。


慣れているのだろう、救命の医師の落ち着き払った態度に、不思議と安心感を覚えた。


「ありがとうございます」


涙がこぼれそうだったので、深く頭を下げて唇をかんだ。


「事故直後ですので、まだまだ予断は許さないのですが恐らく大丈夫だと思います、若いので」


医師は再び、若いことへの希望を付け加えた。


「24時間は何があってもいいように、連絡だけは取れるような体制を維持してください。急なことでいろいろあるでしょうから、一旦ご自宅に戻るなりしていただいて、今後の体制を整えてください。何かあったらすぐに連絡を入れるようにします」


医師は足早に去っていった。


担任の先生にそっくりそのまま話を伝えると「よかったですね」と言って安堵の表情を見せた。


とりあえず1つ目の山は越えた。


後は今日1日を無事乗り越えてくれること。


「あいつ、大丈夫ですよね」


聞いても仕方がないことを、担任の先生に尋ねた。


「お父さん、もちろんですよ、大丈夫に決まってます。お父さんもあんまり思いつめないでしっかりしてください」


気休めでもいい、誰かに「大丈夫」と言ってほしくて、僕はこの10年間さ迷い続けていたのだ。

担任の先生の根拠のない「大丈夫」にも、やっぱり僕はすがることにした。

希望があるのであれば、どんなものにでもすがりたい気分だった。


医療センターを出て、駐車場で車に乗り、仕事場に連絡をした。


様々な出来事をかいつまんで説明し、しばらく仕事を休みたいと申し出た。施設長は快く承諾してくれ、何度も何度も励ましてくれた。


上の子が無免許であるという情報は削除した。


入院の準備に必要なものを買いそろえなければいけなかったし、まだまだやらなければならないことはたくさんあるったので、この時間を使って自宅に一旦戻ることにした。


自宅までの道のりは、覚えていない。


50分かかる道中、どのようなルートで車を走らせたのか、よくわからない。


緊急の開頭手術は回避されたが、命が助かったというところまでは至っておらず、命が助かったとしても意識が回復して、元の生活に戻れる保証などない。


自宅に戻るとリビングのテーブルには、食べかけの朝ごはん。


早番の時は、お弁当と朝ごはんをリビングのテーブルに置いて出勤する。


食べかけの朝ごはんが残されているということは、朝ご飯を食べきるだけの時間的余裕が無かったということを意味しているようで、上の子は急いで家を出たのだろうか。そういえば、昨晩話をした時に、クラスマッチの朝練があって、大縄跳びを回す役になったから行かなくちゃいけないんだとか、そんなことを言っていたような気がする。


原付で登校するようになり、毎日の夜遊びが忙しくて、ギリギリまで寝ているような生活だった。


警察の情報によると、事故現場は自宅から数百メートルしか離れておらず、事故発生時刻が8時10分ごろ。


原付であるならば、1,2分で到達できるであろう事故現場、よほど焦っていたのだろうか。


間に合うか間に合わないかギリギリのところで、注意力が散漫になり事故につながったのだろうか。


もし、仕事が遅番だったら余裕をもって起こし、朝ご飯を食べさせ、学校に行くのを見送ることが出来た。仕事を早番で入る特別な理由などなく、遅番で入っていたならこんなことにはならなかったのではないのだろうか。


もし、原付のエンジンがその日に限ってかかりが悪くて、あと数秒遅く家を出たなら。


もし、クラスマッチの朝練がなくて、急ぐ必要がなかったら。


もし、もし、もし。


考えても仕方がないことは分かっていたけど、あまりに残酷な運命の組み合わせに、この事故の意味を考えねばならなかった。


あくまで推測の域をでない思考は、抱えきれないほどの後悔を生んだ。


病院から預かってきた上の子のリュックの中を整理したら、学校の体操服と事故の衝撃で歪んだスマートフォン。


そして、手の付けられることのなかったお弁当。


開けてみると中身はグチャグチャで、つぶれたお弁当箱は事故の目撃者のように、その衝撃を僕に告げているようだった。


割としっかりしたつくりの鉄製の、しかもリュックに入った状態の弁当箱がここまで歪むのだから、その衝撃は想像に余りある。


痛かっただろうか、苦しかっただろうか、なぜ突然こんな目に遭わなければならないのか、後悔と怒りで涙があふれた。

止めようにも止められないほどに涙があふれ、ぐちゃぐちゃになったお弁当を抱え、とうとう膝から崩れ落ちた。


これが彼に作ってあげる、最後のお弁当になるかもしれない。


最後になるかもしれない潰れて歪んだお弁当を、画像に収めた。

そうしなければいけないような気がした。


気持ちを落ち着かせようとパソコンを開き、毎日書き溜めていたブログを更新しようと思った。


こんな状態でブログの更新でもないようなものだが、とにかく誰かに話さなければ気持ちを整理できそうになかったし、かといってその相手もいない。


誰に語るでもないブログで、状況と今の心境を書き綴った。


そうでもしなければ胸が張り裂けそうで、次なにをすべきかさえ見失ってしまいそうだった。


毎日書いているブログっだったけど、その日は手が震えてキーボードがうまく打てない。震える手を何とか抑え、書かねばならぬことを一つ一つ綴った。


このブログが子供たちの成長の記録と毎日の食事の記録であるのなら、今日の日の出来事は書かねばならないと思った。


ブログに今日の出来事を書くことで、これから先も続いていかねばならないはずの子供たちの人生を願ったのかもしれない。


「大丈夫だ、絶対に助かる」


そう思いを込めて一文字一文字書き続けた。


これからも変わらず、上の子に素晴らしい未来が訪れると信じて。




自宅から数分だという事故現場には行けなかった。


とてもそこまで受け止めるだけの精神力はなく、ブログを更新し、必要なものをカバンに詰めて、下の子の携帯に連絡を入れた。


「兄ちゃんがバイク事故で命の危機だ、水戸の病院にヘリで運ばれてる。今日1日が山でこのまま死ぬ可能性もある、病院行くから急いで帰ってこい」


学校に行っている様子の無かった下の子は、電話を貰いすっ飛んで家に帰ってきた。


「急いで用意しろ、すぐ病院行くぞ」


時刻は14時過ぎ。


もしかしたらこのまま二度と会えなくなるかもしれないただ一人の兄に、今日中に何としても会わせなければならないと思った。


そして、事故をして動けなくなって意識不明の兄の姿を見せなければいけないと、なぜか強く思った。


シャワーだけ浴びさせてくれと言う下の子を待ち、必要な荷物を車に詰め込むと、急いで医療センターに戻った。


車の中で兄の容体を聞く下の子に、見たまま聞いたままの状況を説明した。


「もしかしたら、あいつ死んじゃうかもしれないぞ」


最後にそう付け加えたら、下の子はきっぱりとこう言った。


「死にはしないよ、あいつに限って死ぬはずがない」




そうだ。


確かにそうだ。


あいつに限って死ぬはずがない。




医療センターに着くと、時間も時間だったので昼間の喧騒とは打って変わって、ロビーは静まり返っていた。


急いでエレベーターに乗り2階の救命救急室に向かうと、入り口前に並べられた椅子に見慣れた顔があった。


職場の施設長と事務員だった。


「いてもたってもいられなくて来ちゃった、来ても何もできないのは分かってるんだけど」


施設長は突然の訪問を詫びるように言った。


「いや、全然大丈夫です、ありがとうございます」


連れてきた下の子を紹介すると


「男前でいい子だね、こんないい子がいるんだから頑張りなさい」


と励ましてくれた。


救命救急室は面会に厳しい制限があり、身内以外の面会は出来ない。せっかく来てくれたけど、上の子の顔を見せてあげることはできなかった。


「人間の脳はね、凄いんだから。それに若いし絶対に命は助かるからね、そしてまた今まで通りの生活に戻れる日が必ず来るから、しっかりしなさい」


僕の顔を見て安心したと言って、仕事場に戻っていった。


たった一人で子供たちを育ててきた僕は、いつしか世の中の全てが敵であるという勝手な思い込みを持つようになり、性格はひねくれていった。


どうせ誰も助けてはくれない、力になってくれることも無い、誰にも伝わらない、そういう思い込みで長いこと生活してきたけど、どうやら違うのかもしれない。


沢山の人に支えられ、たくさんの人に協力してもらい、たくさんの人に励まされている。


「仕事のことは気にしないで、お兄ちゃんのこと全力で支えてあげなよ、何にも心配いらないから」


施設長は最後にこう言ってくれた。


ほんの数年前なら、こんなことがあったら仕事は無情にもクビになり、無収入で新しい仕事まで探さねばならない状況に追い込まれていたに違いない。


車も無いころだったら病院に通うことすらできず、仕事も失い、明日食う金も無い。それを考えたら、今の僕はなんて幸せなのだろうと、心から思った。


上の子の事故は幸せな事ではないけれど、今、このタイミングで良かったと考えざるを得ない。


数年前なら、間違いなく首をくくっていたはずだ。


介護施設の調理員になることには抵抗があり、気は進まずとも生活のためにプライドを捨てて仕方なくやっているような仕事だったけど、ここまでたどり着くまでに多くの人の支えがあって、みんなが僕を受け入れてくれて、こうして手を差し伸べてくれる。


長期にわたり仕事を休まざるを得なくなる僕に「何も心配するな」と言ってくれる。


もし、今の職場ではなく違う職場を選択していたら、もしかしたらまたここで職を失っていたかもしれない。


ありがたいと思うと同時に、神様が僕をここまで導いてくれているような、そんな気がした。


決して僕はひとりぼっちではなく、多くの仲間が支えてくれている。


職を失うことも無く、何かあったら頼める環境もある。


仕事や収入の心配をすることなく、上の子についていてあげられるということがもうすでに一つ奇跡が起こっているような気がするのだった。


「大丈夫、大丈夫」


自分自身を落ち着かせるように、何度もつぶやいた。


不安定な感情は行ったり来たりを繰り返し、自分の都合の良いように考えなければ、とても乗り越えられそうな気がしなかった。




救命救急室の面会には厳しい制限がかけられており、基本的に面会できるのは両親、同居の親族に限られるというものであったが、さらにもう一つ制約があった。


それは「15歳未満の子供は面会できない」というもの。


たとえ兄弟であろうと、同居の親族であろうと、15歳未満は面会できない決まりなのだそうだ。


下の子は2月生まれで、事故の日が10月23日であったために、14歳と8カ月だった。


ギリギリ面会できない年齢。


ダメもとで連れてきて来たが、やはりここで下の子が面会できないというのは受け入れがたく、待合室のインターフォンを押して看護師を呼んだ。


「すみません、下の子を連れてきたのですが、14歳8カ月なんですけど面会させてもらえないでしょうか。どうしても今日会わせてあげたいんです、お願いします」


懇願する僕に、見かねた看護師が


「それでは上の者と相談させてもらいますので、お待ちください」


と言って救命室に戻り、数分待たされた後戻ってきた。


「今回1回限りの特例ということで許可します、それでも時間は2分程度でお願いします」


特例で2分間。


ありがとうございますと頭を下げ、下の子を連れ中に入った。


自動ドアをくぐり手を洗いながら


「兄ちゃん、意識不明でベッドに縛り付けられてるけどびっくりするなよ。時間は2分だから、何かしゃべりかけてやってくれ」


もしかしたら強い衝撃を受けて、下の子がトラウマにならぬよう念を押した。


部屋の一番奥まで歩いていき、上の子のベッドにたどり着いたのだが、先ほど見た時とさほど変わらぬ感じで、意識は無いようだった。


右足の膝から通されたワイヤーが痛々しくて、目を背けた。


「話しかけてあげてください」


看護師に促され、僕は上の子の耳元に近づいて名前を呼んだ。


全く反応はない。


寝ているわけではなく、意識がないのだと思うと、また悔しさがこみあげてきた。


下の子の手を引き、上の子の耳元に立たせる。


下の子は兄の名を呼び


「死ぬなよな、このまま死ぬんじゃないぞ」


と言った。


それだけで僕たちは救命室を出され、再び待合室に戻ることになった。




「どう思う、あいつ」


2人で椅子に腰かけ、下の子に聞いてみた。


待合室には人がおらず、こうして下の子と2人きりで椅子に座っていることが、なんだかとても懐かしく感じられるのだった。




「死なないよ、死ぬわけない」


「そうだな、大丈夫だよな」


「きっとすぐよくなるよ」

下の子は大人びた表情で、僕の肩を叩いた。




それだけ会話を交わし、僕達はまた家に戻った。




その日の24時間は、生きた心地がしなかった。


一睡もできずに朝を迎えたけど病院からの連絡はなく、どうやら命はつなぎとめたようだった。


いてもたってもいられずに、朝早くから病院に向かう。


医療センターに行くには、国道50号線をまっすぐ進み左折を1度すればよいだけの簡単な道順なのだが、車を運転していても、ふとした時に考え事が始まり、頭の中は上の子の容体と今後のことでいっぱいになる。


曲がらねばならぬ交差点を曲がることが出来ず行き過ぎる。行き過ぎたことに気が付き、Uターンして戻るのだが、また行き過ぎる。


そんなことを何度も何度も繰り返した。


一か所だけの交差点すらも見逃すほどに、頭の中は考えねばならぬことでうずめられていた。


2度3度と同じことを繰り返し、ようやく医療センターにたどり着く。


面会をしてみるが、様子は昨晩とあまり変わりがないような気がした。相変わらず意識はなく、問いかけにも反応しない。


担当の医師から説明があり、ひとまず命の危険は無くなったとのこと。


今後は様子を見ていくしかないと、そんな話だった。


真っ二つに折れた右大腿骨と、粉々に砕けている右鎖骨に関しては早急に手術が必要で、その日程は4日後に決まった。


「先生、これからあの子は意識を取り戻すでしょうか」


「徐々に取り戻すであろう可能性は高いですが、経過を観察しなければ分かりません」


命は助かったけど、意識が戻るかは見守るしかない。


救命室は日に何度も面会が認められていない。1回か、せいぜい2回。


後は家に戻りひたすら祈るしか方法が無く、毎日夜が明けると家のことも早々に病院に通った。


子供達が大きくなり、少し気が緩んでから再びのスクランブル体制は、しんどかった。

それでも折れそうな気持を何とか奮い立たせ、上の子の病院に通った。


3日経っても意識を取り戻すことは無く小康状態。


脳の状態は経過観察しか手立てがなく、担当医師からは「これ以上悪くなることはありませんが、よくなるという保証もありません」と言われていた。


これ以上悪くなるということは、つまり死ぬということであり、死ぬことは無いが、これ以上回復するという保証もないということ。寝たきりの植物状態のままという可能性も、無きにしも非ずということだ。


命が助かったとしても、それではあんまりだ。


心労と疲労で、精神状態は不安定を極めた。


だんだんと自分が置かれている状況も理解し始め、これはとんでもないことになったと、ようやく気が付き始めていた。




神様は乗り越えられる試練しか与えないと、よく言うけれど。



もし神様が、僕がこの試練を乗り越えられるとお考えならば、それは買いかぶりすぎです。




10年歯を食いしばって何とか生きてきたけど。


もう無理なのではないかと、疲れ果てた体で考えた。


「無理です、神様。もう勘弁してください」


医療センターの1階待合ロビーで、人目もはばからず僕は泣いた。




上の子は意識を取り戻すことなく手術の日を迎え、7時間に及ぶ手術の末に、再び救命室のベッドに戻ってきた。


執刀医から手術の成功を聞き、手術箇所のレントゲン写真を見せられた。


真っ二つに折れていた大腿骨はチタンの棒を入れられて固定され、粉々の鎖骨はプレートを入れられ数か所ビスのようなもので止められていた。


「1か月後からリハビリを始め、その後は問題なく歩けるようになるはずです」


と言われたけど、意識がない状態で1カ月後のリハビリを思い描くことは出来なかった。


しかし、ひとまず命を繋ぎ留め、折れている骨の手術も終わった。


後は本人の回復力に期待するしか他に方法はなく、現実的な問題として次にやらねばならぬことは、間違いなく事故の処理。


ただ、あまりにも大きすぎる。


無免許で未成年で無保険のバイク事故であり、本人は意識不明の重体。


とてもじゃないけど、僕一人の手には余ってしまった。


これはどう考えても一人で解決できる問題ではなく、然るべき専門家の協力を仰ぐ必要があることは間違いない。


家に戻りパソコンをつけると、現実的な作業に取り掛からねばならなかった。


命が助かった以上、実社会において乗り越えなければならない障害はあまりにも大きい。交通事故専門の水戸にある弁護士事務所を片っ端から検索した。


弁護士には、良い思い出はない。


一つ上の実兄に家を追い出されそうになった時、藁にも縋る思いで弁護士を頼ったのだが、あまりの人ごと感にうんざりしたという苦い経験がある。


あの時はそれでもよかったけど、今回はそうはいかない。


人ごとの弁護士では、金を張払って頭を下げる気にはとてもなれないだろうと思った。


パソコン画面を見ながら、無数に検索された水戸の弁護士事務所のホームページを眺めていると、ふと目に留まった弁護士事務所のホームページに書かれていた、弁護士のプロフィールに目が留まった。


2年の浪人生活の後、人文学部ドイツ文学科に入学したのち4回留年し中退。その後の職歴は、パン職人、アミューズメント施設で船長・・・船長?携帯電話の販売員、派遣社員、その他もおよそ弁護士とは無関係の職歴が並び、5回目の司法試験でようやく合格、数年前独立し水戸で弁護士事務所を開業。


年は僕の一つ上、なかなかの苦労人である。


散々苦労してここまでたどり着いた僕は、直感で「この人だ」と思った。


すぐにメールを送ると次の日には連絡をくれ、会うことになった。


会ってみると弁護士は感じの良い人で、その日のうちに担当弁護士として契約を済ませた。


「僕も16歳の時に無免許でバイク事故しましてね」


その弁護士は、笑い話のように語った。


「若いから大丈夫、これからどうにでもなりますから」


なぜだか妙に説得力のある弁護士の励ましに、一縷の望みをつないだ。事故のことは全部この人に任せよう。


脳の後遺症の認定とか、これからやらねばならぬことがたくさんあるようだったけど、信頼できそうな弁護士に巡り合えて、ほっと胸をなでおろした。


上の子の容体はというと、相変わらずの意識不明で、1日に10分足らず許された面会時間だけでは、彼の容体を把握することは難しかった。


日によっては、言葉を発しているときもあるのだが、支離滅裂の意味不明で、まるで夢物語かおとぎ話のような、彼にしかわからぬような内容の話をぽつりぽつりとすることがある。


ほんのわずかではあるけれど、日々よくなっているような気もしないでもなかった。


数日前は言葉を発することなどなかったけど、日が経つにつれ、言葉を聞ける日が増えてきた。


「これ以上悪くなることはありません」


という医師の言葉は、よく考えてみれば回復するという伸びしろしかない、という事のようにも思えるのだった。


ほんのわずかではあり、その日によって一進一退を繰り返してはいたけれど、良くなっているのだと自分に言い聞かせなければ、とても上の子の顔を毎日見に来ることなどできはしない。


救命救急室に入って5日が経ち、彼の過ごす妄想の世界の話をたまに聞きながら、ひたすらに回復を祈っていた。


事故から1週間が過ぎ、10日が過ぎるようになると、ようやく僕が誰なのか認識できるまでに回復した。


それでも、1日のうちで起きていられるのは数時間程度、意識が戻りつつあることによって、今自分が置かれている苦痛な状況をぼんやり理解出来るようになり、意識がなかった時よりも、はるかに辛そうに毎日を過ごすようになっていった。


体の自由は全くなく、手足をベッドの四隅に縛りつけられ、自分の意思で身動きを取ることはできない。


今自分が置かれている状況として、事故をして10日意識がなく、体中の骨が折れ、手術をし、ベッドに縛りつけられているという現実が、理解できないようだった。


身動きをとりたくても、縛りつけられた体を動かすことはできず、面会に行くと大声を出し、ベッドから這い出そうともがいている姿があった。苛立っている様子が痛いほど伝わり、可愛そうで仕方がなかった。


そのたびに救命の看護師に、より厳重に体を縛られるようになるのだから、親としてはとても直視できたものではない。


それでも意識を取り戻しつつあるという希望に、何とかすがって我慢するしかなかった。


上の子の意識が戻り、救命室を出て一般病棟に移ってもよいだろうと判断されたのは、事故から2週間がたった11月の初旬のことだった。


この時でさえ、まだ事故の後遺症でどの程度のものが残るのかは未定。

意識レベルも、まだまだ不安定。


今まで通りの生活に戻れるかどうかは、1年ぐらいの時間をかけて経過観察しなければならないとのことだった。それでもこうして少しずつ意識を取り戻し、自分が誰かも、ここがどこかも、何となく理解できるまでに回復していた。


上の子が一般病棟に移るとき、まだ歩けないのでベッドごと移動させたのだが、自由に面会できるようになるこの日に合わせて、下の子を病院に連れてきていた。


意識が戻ったと言ってもまだ波があり、1日のほとんどを寝て過ごしているような時だったけど、5階にある一般病の病室に行こうとエレベーターに乗った時、ほんの一言下の子がしゃべった言葉に反応し、パッと目を開け、弟の名を呼んだのだった。


あれほどはっきりと、自分の意思で目を開けたのを、事故してから一度も見たことは無かった。


事故直後、救命室で2分だけ下の子と会ってから、その後2週間顔を合わすことのなかった弟の声を、瞬時に聞き分けたのだ。


救命室にいるとき、調子がよく意識が戻りつつあるときに面会をすると、相変わらず意味不明の夢物語を語ってはいるのだが、そのほとんどが、弟の話だった。


彼の夢物語には常に弟が出てきているようで「今日は何をした」とか「どこどこに行った」とか、そんなはずはない思い出話を聞かせてくれた。


そんな中、上の子がこんなことを言ったことがある。


右大腿骨と、右鎖骨の手術が終わって2日が経ったころ、いつものように救命救急室に面会に来ると、珍しく目を開けてベッドでおとなしくしていた。


「俺のことわかるか」


と問いかけると「パパ」と言って「わかるよ」と当たり前のように答えた。


「今日は調子よさそうだね」


「普通」


「普通か、それはよかった」


今日も上の子の夢物語を聞こうと、ベッドの横のパイプ椅子に座った。


「昨日は、何してたの」


「昨日かあ、昨日は・・・」


そう言うと上の子は、こんなことを話し始めた。


「あいつがさぁ」


弟の名を呼びこう続ける。


「お前死ぬなよって、俺に言うんだよ」


「へえ、なんでそんなこと言ったのかね」


「知らない」


天井に目をやり、しばし考えていた。


「なんで俺が死ぬんだ?なんであいつは俺に死ぬなよって言ったんだ?」


ずっと考えていても答えが出なかった問題だったのだろうか、僕に尋ねるようにつぶやいた。


「お前はさ、バイクで事故して1週間も意識がなかったんだ。生きるか死ぬかでようやく助かったんだよ」


そう言うと


「そうか、俺バイクで事故してここにいるのか」


神妙な顔でこちらを見る。


「だからあいつは、俺に死ぬなよって言ったんだ。今わかった」


そう言うと疲れてしまったのか、またすやすやと眠りに落ちた。


事故初日に救命室に行って以来、弟は一度も兄のところに顔を出してはいない。


もちろん、上の子の言うように「昨日」下の子と会ったということなどなく、夢と現実がごっちゃになっているようだったけど、あの時かけた下の子の言葉は、ちゃんと耳に届いていた。


「なんで俺が死ぬんだ」という上の子の疑問も「死ぬわけないだろ」という意思も、弟の声が届いていたからなのではないのだろうか。


だとしたら、こうして意識を取り戻したのも、あの時の下の子の問いかけがあったからかもしれない。


僕の声ではなく、兄弟の、弟の声を、彼ははっきりと認識していたのだ。


もしかしたら、下の子がお兄ちゃんを死の淵からこの世に連れ戻してくれたのかもしれないと、僕は考えてみた。


「あいつは絶対に死なないよ、死ぬはずがない」


そう言っていた下の子の顔は、たくましかった。


普段は何の役にも立たず、学校も行かず好き勝手に生きている下の子も、ここで大きな仕事をやってのけたのかもしれない。


ずっと仲のよい兄弟だった。


上の子が意識を取り戻したことは、もしかしたらこんな奇跡が支えてくれたのかもしれない。


一般病棟に移り、本当に久しぶりに家族3人で顔を合わせた。


意識が戻って間もないということもあり、相変わらず上の子は胴体の部分だけベッドに縛りつけられていて、病院で借りている緑色のパジャマを着て、横たわっている。


脳の後遺症で、感情がコントロールできなくなっているところがあり、突然大声を出したり、夜中に騒いだりするので、一般病棟といえども大部屋ではなく、ナースセンター近くの特別室があてがわれた。


洗面台とトイレが備え付けられていて、窓際にベッド、その隣にテレビと簡易冷蔵庫が置かれている。ベッドには落下防止の柵が取り付けられていて、ナースコールのボタンの紐がかけられていた。


「何かあったら大声出すんじゃなくて、必ずこれ押してね」


と看護師は上の子に念を押していたけど、記憶の定着が不安定で、ついさっきあった出来事も忘れてしまう上の子に、果たして理解できただろうか心配になった。


入り口正面に切り取られた大きめの窓にはカーテンが引かれていて、日中だというのに薄暗いからカーテンを開けようとしたら「眩しいから閉めて」と上の子が言った。


長いこと外の景色を見ることも無く、意識も無かったし、事故の後遺症なのかずっと視界の焦点が合わず、眩暈がするというのだ。


薄暗い部屋の方が、気持が落ち着くというのでそのままにした。


リクライニング式のベッドだったので、少し状態を起こしてあげようかと思ったけど、それも必要無いようだった。


髪を金髪に染め上げて両耳にピアスをぶら下げ、すっかり大きくなった体を、ベッドの隣の小さな折り畳みの丸椅子に落ち着けた下の子は、スマホをいじっている。


「もっと近くに来いよ」


と弟を呼び寄せると、懐かしそうに頭をずっと撫でていた。


意識がなかった10日余りにあった、共通の友人の話で盛り上がり、上の子は懐かしそうに笑っている。


下の子が、お兄ちゃんの大好きだった歌をスマホで流すと、2人で歌詞を口ずさみ楽し気な表情を見せた。


とにかく甘いものが食べたいという上の子のために、1階の売店でチョコレートを買おうと、2人を残し僕は部屋を出た。




「助かったんだ」




待ち望んだこの日を迎え、ホッと胸をなでおろした。


安心とまではいかなかったけど、大きな山は越えたのだろう。

きっと、これから先まだまだ数え切れない困難と、越えなければならない試練があるに違いなかったけど、しばらく安心することのなかった僕の感情は、久しぶりに落ち着いていた。




命を落とすかもしれないと言われて生きた心地がしなかった24時間を乗り越え、待てど暮らせど意識を取り戻す気配はなく、このまま植物状態という可能性も否定されず、もう一生こうして同じ時を刻むことが許されないのではないかと絶望の淵をさ迷って、たくさんの人の支えと、懸命の処置でどうにか命を繋ぎ留め、意識を取り戻し、回復の兆しを見せている。


これは、奇跡だ。


これを奇跡と言わずして、何を奇跡というのだろうか。




神様はもう一回、僕たちにチャンスをくれた。






あの日止まってしまった時間は知らず知らずのうちに、やがて10年の月日が流れたことになる。


生活環境も体つきも、年齢も見た目も、お互いすっかり変わってしまったけど、僕達はまだ、生きている。








覚えてるかな。


ママが出て行って、ある日突然にパパと3人暮らしの生活になってしまったとき、君たちはまだ幼かった。


朝起きて、いつも隣に寝ているはずのママがいないから、しばらく不思議そうな表情を浮かべていたね。


「ママはどこに行った?」


寝ぼけながら聞く君たちを、強く抱きしめた。


「ママ、忙しいから家には帰ってこれないんだって」


どんな嘘をつけば君たちの感情を、心を傷つけずに済むのか一生懸命考えたけど、これはとても難しい問題だった。


「パパしかいなくて、寂しくないかい?」


そんなことを聞けば、君たちは必ず


「寂しくない、パパいるから」


そう言ってくれていた。




だから寂しい思いはさせない。


片親だからと言って辛い人生にならぬように。


みんながびっくりするようなすごい奴に、必ず育てる、2人とも、必ず。

どんなことがあっても、誰にも負けない素晴らしい人生を歩んでいけるように。

そう心に誓ったんだ。



あれから10年だって。


7歳と4歳だった君たちは、すっかり大人になってしまった。

過ぎてしまった10年は、僕達に何を与えたのだろうか。

これから時間をかけてじっくり考えなければならないほどに、たくさんのことがありすぎてしまった。




離婚して父子家庭になって、君たちにさんざん苦労させることになったのは、パパが素晴らしい人間ではなかったからなんだと思う。


本当に、ごめんなさい。


あの時、君たちのママに泣いて詫びて許してもらえば、君たちにはこんな苦労をさせることも無かったに違いない。


でも、出来なかった。


詫びる理由も分からなかった。


君たちのために、そうすることも出来たに違いなかったけど。




誰が何といっても、君たちが悪いわけではない。


「悪い子にしてたらサンタさん来ないよ」なんて誰が決めたのだろうか。

10年間、結局サンタさんは来なかったけど、君たちは悪い子なんかじゃない。





君たちが悪い子じゃないってことを証明するために一生懸命努力したつもりだけど、たどり着いた場所はこんなところで、10年間の父子家庭生活で、君たちや世の中に誇れるようなものなんて、何一つない。






偉そうなこと言ってたのにな。






この10年間で、多くのものを失った。


手に入れる物の方がはるかに少なくて、たくさんのものを失ってしまったね。





よく考えてみてくれないか。


今までだってもうダメだ、もう無理だって思ったことなら何度もあった。


そのたびに泣いて、そのたびに自分を奮い立たせて、どうにかこうにか生きてきたんだ。


手術が終わって、ぼんやり目を開けることが出来るようになったとき


「気が付いたか、死ななかったんだな。お前もなかなかしぶといじゃないか」


って声をかけた。


こうやって、ギリギリのところでしぶとく生き残ってさ、ここまでたどり着いたんだよ。


10年間、どんなことがあっても生き残ったってことは、凄いことなんだと思ってる。







考えられるすべてのものを失ったけど、命がけの勝負には勝った。


この10年間、一度たりとも命がけの勝負には負けなかった。


これは、大したもんだろ。




全てを乗り越えて、すべての命がけの勝負に勝って、こうして生きてる。


3人とも、ここにいるじゃないか。


3人で力を合わせれば、どんなことでも乗り越えられるよ。


そんな気がしないか?



もうだめだと思ったときに、諦めるのは簡単だ。

だけど、もうダメだと思ったときに、もう一度歯を食いしばって前に進むのは、口で言うほど簡単ではない。


歯を食いしばってもがいた先にだけ「明日」という未来があるのだとしたら、やはりどんなことでも乗り越えなければいけない。


今は、そう思ってるよ。


自分が「生きる」と決めさえすれば、道は開け、知らず知らずのうちに多くの人が助けてくれる。

そのたびに「そんな簡単に諦めるな、お前の人生だろ」って励ましてもらっているような気がしたんだ。


だから、どんな時でも命がけの勝負に勝って、こうして生きてこれたんじゃないかって、そう思ってる。







このままで終われると思ってる?






このままじゃ終われない。


パパはこのままじゃ終われない。

君たちもそうじゃないのか。

これで終わってたまるかよ、こんなところで終わってたまるか。




でもね、君たちをたった一人で立派に育てて、一人前の男にするんだってかっこいいこと言ってたけど、10年間心の中ではいつも不安で、本当は誰よりも逃げ出したい気持ちでいっぱいだったんだ。


自分の人生と引き換えになんて偉そうなこと言ってても、10年経って手に入れた人並み以下の幸せを失うことが怖くて、今となっては臆病にもこの生活に満足してたんだ。




このままでいいかなって。

もう、失うのは怖いよ。






君たちは、良いか悪いか別にしてあのころよりも遥かに大人になって、パパは自由になった。


これからは、思う存分自分たちの人生を生きればいいと、何の結果も出せなかったこの10年を、勝手にこれでいいんだって決めつけてた。


父子家庭生活に疲れ果て、いい加減こんな暮らし終わらせようとしてたんだ。






仕事場の人もいい人ばっかりで、給料はまあ安いけど、生活していけないレベルじゃない。

楽しいことばかりじゃないけど、この暮らしも実はだんだん居心地がよくなっていたんだ。


分かるだろ。

あの頃に比べたら、今の暮らしは天国だ。




ここまで育てたんだから、もういいだろって。

結果は出してないけど、もういいよって。

あとはみんなそれぞれ勝手にしてくれって。




君たちを育てることよりも、ささやかな安定を手に入れてその暮らしを守ることの方が、パパにとってはいつしか重要になってしまっていた。


様々な不都合に目をそらしてしまえば、今となればいつだってこんな父子家庭生活、終わらせることが出来るのだから。




少し前までは、もう終わりにしようって思ってた。

これでいいよ、このままでいい。



何にも考えないで、このまま君たちの人生など見て見ぬふりをしてやり過ごそうと、そう思い始めていたんだ。




それによく考えてみたら、パパはこの10年間毎日、本当は誰よりも逃げ出したかったんだ。

どうやって逃げるか、そればっかり考えていたんだよ。


たった一人で挑んだ10年間の父子家庭生活は、一言では言い表せないほどの困難の連続で、生きた心地がしなかった。

逃げ出したいと思ったり、もうダメだと思ったり、君たちを殺して自分も死のうかと考えたことなんて、数え切れないほどある。


それでも、ここまで来れた唯一の拠り所は、やっぱり君たちがいたから。

それは間違いない。



そして、どんなことがあっても君たち2人をすごい人間に育てるんだという執念が、パパをここまで連れてきてくれた。




やっぱり終われない。

ここでは終われない。




バイク事故も、学校に行かないで遊び歩くことも、家出をすることも、夢や希望が持てないことも、もしかしてこんな暮らしを強いてしまった父子家庭という10年間が、君たちをそうさせているのだとしたら。




「こんな俺なんて、今更何しても変わりはしないよ、こんな家庭で育ったら、どうやったって無理だろ」


そう思ってるのか。









君たちは若いけど、パパはもう42歳だ。


この10年で失ったものは、そうやすやすと取り返せるほど、世の中そんなに甘くないってこともよく知ってる。




でも、今からでも出来なくはない。

君たちのためにやらなければいけないことがまだあるのだとしたら、やるしかない。




自分の人生を賭けて君たちを一人前にすると、パパはあの日確かに誓ったんだ。

だから、やってみるよ。


パパに出来たら、君たちにも出来る。

パパにできて、君たちにできないことなんて何一つない。








そんなうまくいくのかよ、って?




うまくいかなくてもいいさ。

大切なのは、どんな時でも自分に与えられた環境に文句を言わず、ベストを尽くすこと。


そうだろ?

やるだけやってみるよ。


パパがすごい人になったところを、君たちに見せたい。


そして3人で、まだ見たことも無い景色を一緒に見たい。


すっごいところに、君たちを連れて行ってあげたい。



恐らく、ほとんどの人が経験したことがないであろう、たった一人男手一つで子供たちを育てた、このとてつもなくへんてこな10年間を、世に問いたいと思ってる。


信じられないような経験をした10年間の父子家庭生活の全貌を世に問うた後、それでも僕たちに「頑張れ」といって力を貸してくれるのか「お前らアホか」と笑われて終わりなのか、乞うご期待だ。


聞いてみたいんだ。


君たちにとっての10年間がこれで良かったのか、パパは今でもよくわからない。



「お前らアホか」って言われたとしてもさ、文字にしておけばいつか君たちに、この10年の顛末を伝える事は出来る。


知りたいだろ?

本当はあの時どうだったのか。

小さすぎて分からなかったことも、たくさんあるからな。



それだけ出来ただけでも、パパは十分さ。






人生は、迷いの連続なんだ。

うまくいくかどうかなんて誰にも分らない。

決断の一つ一つに、その一回一回に、これからも迷い続けるに違いない。


決断を間違えば、傷つくこともあるさ。

でもね、


傷つかなければ何も学べないし、迷わなければ先には進めないんだ。

これから先、どうしようもなく傷つき、どうしようもなく迷ったら、その時は立ち止まってゆっくり考えればいい。

君たちに残された人生は、気が遠くなるほど長いんだから。


ゆっくり休んで考えても、それでもまだ先に進む勇気が持てなかったら、パパのところに帰ってきなさい。


パパが何度でも言ってやる。


「君たちは世界一の男だ」って。


パパが何度でも言ってやる。





どんな時も、どんなことがあっても、必ず助けるから。




必ずだ、必ず助ける。


だから諦めるなよ、約束。







ひとりで生きるという本当の意味を、理解するのは難しい。




それは、誰にも頼らず生きるということではなく、誰にも助けてもらえないということでも、誰とも共感を共有することが出来ない人生などでも、決してない。




ひとりで生きるという本当の意味は、自分の人生を諦めないこと。

どんな時も諦めず歯を食いしばって、前に進むこと。


そして、その先に誰かの人生を幸せにすることが出来るような、そんな生き方のことを言うのではないのだろうか。






10年間の父子家庭生活で色んなことを経験して、ようやくたどり着いた一つの答え。




ひとりで生きるという本当の意味が、もしそうなのだとしたら。

君たちを一人前の立派な男にするまで、やっぱりパパは終われない。




そうして君たちも、いつかはひとりで生きていくんだ。




もうひと踏ん張りパパが頑張ることによって、君たちの人生を素晴らしいものに変えることが出来るのだとしたら、挑戦せずに引きがる理由なんてない。



パパが君たちに教えてあげなければいけないことは、本当はもっともっと、簡単なことだったんだ。



松山に旅行した時見た、甲子園を制した済美高校の校舎にぶら下がってたでっかい垂れ幕に書いてあった言葉、覚えてるか。






「やればできる」






せっかくここまでたどり着いたんだ、もうひと踏ん張り頑張ってみよう。

「明日」がどんな日なのか、この目で確かめたい。




どうせ、ダメでもともとの人生。

君たちがいれば、今更何を失ったとしても怖くない。




笑おうよ、昔みたいに3人で。

笑っていれば、必ず明日がやってくるから。



どんな時でも、大丈夫、大丈夫。








さあ、まだまだ行くよ。



負けてたまるか。

僕たちの人生は、ここからだ。








 





作  明日のタケシ


参考

「父子家庭パパのブログ  明日はどっちだ」

URLはプロフィールページにありますので、よかったらご覧ください。


長きにわたりお読みいただき、本当に、本当にありがとうございました。

全ての人に、心から感謝します。




2016年 6月吉日    完。



読んでよかった
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このストーリーをブログ等で紹介する

息子さん助かってよかったです。一言で片付けられるほど簡単な人生ではありませんがご立派です。

全ストーリー、一気に読んでしまいました。
壮絶な10年間。
男手で2人の子供を育てる大変さ。

私は今年38歳で14歳と11歳の娘がいます。
もし、自分が同じ状況になったらと、重ねながら読んでしまいました。

仕事が続かず悪い循環にハマり込む、社会人としての生活の脆さと危うさの描写がとてもリアルでした。

泥の中を進むような生活も、歯を食いしばって前に進むことを諦めず、子供達へ等身大の精一杯の愛情を注ぐ親父の背中は、必ず子供達の目に焼き付いていると思います。

まだまだ、先は長い人生です。タケシさん一家の更なる幸せを、心より応援致します。

ありがとうございました。本当に素敵なお父様です。息子さんが助かってよかったです。タケシさん一家のご多幸をお祈りいたします。

はじめまして。私は母子家庭で育ちました。それでも母方の実家で祖父母や伯父も一緒に暮らし、母も父から養育費をもらっていました。しかし小さい頃の記憶で、お母さんは大学に行ってると祖母が言っていた記憶があります。その後母は教員になり、あと数年で退職です。母子家庭で生き抜くため、母なりに資格を取りに行っていたのでしょう。その後も、お金がないから、と普段は節約ばかりでしたが、ここぞというときは私にお金をかけてくれました。今思うと母も全てを私にかけてくれた人生だったと思います。明日のタケシさんの話を読んで、それがどれだけのことかと思います。そして今1人の子供がいる親として、明日のタケシさんの生き方はどれだけ苦しくて、でも尊いものかと思います。人間だから諦めることもおやすみしたいこともあります。でもどんな過程でもどんな結果でも、小さいことでいいから幸せだと思えることがあれば、人生は勝ちだと私は思います。上の子さんはまだリハビリ中でしょうか。明日のタケシさんご一家にたくさんの幸せが訪れることをお祈りしています。

すみません、ブログのアドレスを見つけることができません~。教えていただけませんでしょうか。

教えてくださってありがとうございます。早速お邪魔します!

私もここでシングルマザーとしてストーリーをあげています。
母子家庭の話は多いのですが、父子家庭ということで目に留まり、一気に読んでしまいました。

家庭のサポート、行政のサポートがないと、どんなに辛いものなのか考えると涙がとまりませんでした。
そんな中、お子さんを大事に育ててきたその思い、痛いくらい分かります。
タイトル通り、父子家庭の境遇を世に問く一石となって欲しいです。

Storysを読んだ後、ブログの方(長男君事故後)も読ませて頂きました。
Storysは小説のような感じでしたが、ブログではドキュメンタリーを読んでいる感じでした。同じ作者なのに表現の違いに驚きました。
またブログでの料理、一度ごちそうになりたいくらいに美味しそうです。
できたら、次男君の近況も聞かせて頂きたいです。

ありがとうございます

とても感動しました!タケシさんは素晴らしい父親だと思います。

明日の タケシさんが次に書こうと思っていること

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