屋久島で食べた、見た、、、

あれはかれこれ4年前。10年勤めた2つ目の会社から3度目の転職を決めた後。言葉巧みに2つ目の人事を操って1ヶ月以上の休暇を勝ち取った。「どこに行く?」妻の答えは「屋久島」だった。

10年前に初めて外資系に転職する迄は日本の会社で最後は海外子会社の経理総務の責任者。

何故か当然の様に「単身赴任」。

一つには日本での不採算部門のローカルオペレーションという殆ど立ち上げに従事するという理由。

要するに仕事に集中する必要があった。

もっと直接には妻の「あんな暑苦しいところ行きたくない。」が全て。

2歳になるかの一人娘を残してシンガポールに赴任。

日本料理屋も多く外食中心。

そんな生活を2年続ける中で海外からの転職活動。WEBでの転職活動ができる様になっていたお陰だ。


初めての外資系と言うので兎に角クビにならない様に必死だった。年齢も40を越えていて所謂「転職35歳限界説」を軽く超えていた。

ここで5年程してファイナンスのトップに上り詰め、このまま定年を迎えるのかなと思い始めた所にふと湧き上がってきたのが事業売却の話。相手は候補は幾つか有ったが最後は日本の上場企業。

結局8年で外資系の生活を終えて再度日本企業へ。

ここでは日本企業に20年近くいた経験も生きたが、やはり自分に能力を活かすのには外資系と転職活動。見つけたのはアメリカ医療機器メーカー。そこの立ち上げを行うオペレーションのトップ。実質、2回目の転職活動である。


50歳の大台も超えており、それまでの無理も溜まっていたので心身ともに立て直したいとの思いで、新しい会社の勤務まで約1ヶ月の休暇。

折角なのでどこか家族で旅行に行こうと言うことで決めたのが「屋久島」。

予想外にはまったのが妻。

「縄文杉には絶対行こう。

ホテルはいわさきホテルが良い。」

と、どんどん決めていく。

娘がお腹にいるのにスイスにいる友人の家に一人で行って山など登った人だから行動力はある。


いよいよ出発。羽田空港から鹿児島でプロペラ機に乗換えだが、南から近づきつつあった台風の影響で強風が吹き、鹿児島空港着陸時に飛行機が大きく傾いてヒヤリとしたが何とか着陸。

鹿児島/屋久島のフライトも何とか予定通りに飛んで屋久島の地を踏むことが出来た。

翌日が縄文杉へのアタックだが、どうにも台風が心配。

雨風が強い場合には縄文杉行きはキャンセルで白谷水雲峡に行き先変更。

風が段々と強くなってきており心配しながら夕食。

いわさきホテルには3泊したが3日とも違うメニュー。

一番美味しかったのは朝日がに。

本当は冬が旬のようだがそこそこ大きなものがドーンと食卓に現れたのは迫力。


そして翌朝。

残念。台風は真っ直ぐに屋久島の方向に進んでいる。

島の北部へ回って山を登っていくと白谷水雲峡。もののけ姫の森とも呼ばれる。

雨の中、コースを回るがそこら中を水が流れて結構ワイルド。

縄文杉に出会えなかったのは残念だがこれも運命。

ホテルに帰る時には風が益々強くなり街中は誰もおらず。

ホテルのベランダから外を見ていると不思議な光景が。

雨が束になって沖から移動してくるのだが、空の一部が明るくてそこだけ晴れているように見える。

しばらくすると風がパタッと止み日差しが差してくる。

「台風がいってしまったのか?」

いやいやテレビの天気予報では丁度島を直撃している頃。

⁉️

そう。「台風の目」。

何と台風の目の中にいる‼️

しばらくするとまた風が強まって来て雨の束が来襲。

やはり台風の目だった。


翌日以降は天候も回復していったが縄文杉へは行けず。

その代わり屋久鹿やニホンザルにも遭遇。

楽しかった4日間は早帰路へ向かう日に。

またいつか縄文杉を見に来ようねと屋久島空港を後にした。

著者のTachibana Toshiyukiさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。