いわきのじいちゃんは炭鉱で働いていた

おいらは、東京は大井町生まれ、蒲田、大森で育った江戸ッ子でぃ!


でも、夏休みになると、1ヶ月、福島県いわき市の湯本温泉にある、父の実家に行っていた。



当時、小児喘息だったんだけど、空気の良い、いわきで夏休みを過ごす事で、段々と良くなってきた。



当時は東京の排気ガス問題がヤバかったからね。

今の東京は、空気が良い。



湯本駅に着くと、毎回、おじいちゃんが迎えに来てくれ、駅前のパチンコ屋でひと勝負してから、上湯長谷団地行きの常磐交通バスで、田舎のお家に行くというパターンで、


だいごろにとっての田舎の駅の基本スタイルは、湯本駅がモチーフになっているww


紫の電車、紫のバス。


パチンコ屋はもう無いし、今はガランとしているが、、当時は温泉街として賑わい、ハワイアンセンター(スパリゾートハワイアンズ)の最寄駅として、大切な存在だった。



今は、常磐道やバイパスで、行きやすくなったからね。


電車で行く人は少なくなってしまった。



おじいちゃんの背中の印象としては、左足が義足で、ビッコをひいているが、ガンガン歩く姿が、いまも鮮明に蘇る。



ハワイアンセンターの前は炭鉱だったのは、ご存じの通り。


その炭鉱で、おじいちゃんは、働きがしらで、掘った土を、トロッコに乗せる。


この数が多いほど、給料がいい。


だから、ガンガン掘る。


おじいちゃんは、子供5人と親戚の分まで稼ぎに、山形から家族親戚全員連れて、いわきの内郷の長屋に住み移り、必死で掘った。


炭鉱では、先頭で掘る人たちの事故は頻繁に起こってしまったらしく、


おじいちゃんもその1人で左足の根っ子しか無かった。



でも、じいちゃんは強くてユウモアのある人。


人生で初めて、尊敬した人だ!



その根っ子しかない左足に、子供のだいごろを座らせ、お風呂で洗ってくれた。


「ちょうどいい椅子だべ?」


僕が小学校になった頃、いわきの近所の悪ガキ達と、夜遅くなった時。


近所の親に攻められた。


「大ちゃんが歳上だっぺ、引きづりまわしたんだっぺ!」


そしたら、じいちゃん、怒った!


「大は東京の子だ!この辺りは道がわからないから帰って来れねーべ!みんなの責任だ!」


この電話で、かばってくれた事件は、僕にとってかなりの基盤になっている。



この、尊敬出来るじいちゃんを超える男になる事が、ライフワークでもある。



考えてみると、この軸は、じいちゃんが与えてくれたものだ。



じいちゃんの骨は、内郷のお墓にある。


今週末に、電車でいわきに行くし。


お墓にも顔出し、現状の報告をしようかと。




最後まで読んで頂いてありがとうございました!

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