さきさきあるく

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母は、よく歩く人だ。


歩く速度は、家族の誰もがついていけないほどに速い。


散歩界のウサイン・ボルトだ(母があの斜め45度に構えるポーズをしているところを想像すると、笑える)。


身内だろうが御構い無しに放ったらかしで、すたすたと先々歩く。


僕と妹は、母の後ろ姿をよく追いかけた。




母は、己に厳しく、また他人にも厳しい厳格な人だ。


というよりも、生真面目な頑固者といった方がいいかもしれない。


例えば、だいたい十歩ほどで渡れる狭い横断歩道があったとする。


そこは、信号機があることが無意味に思えるほど、車がほとんど通らない場所だが、それでも母は、信号が赤だと決して渡らなかった。


僕が右見て左見て渡ればいいじゃないかと言ったとしても、「信号が赤だから」と言って信号機を見つめたまま、青に変わるまで頑なに立ち止まっていた。




母は多くを語らない人だが、自分が正しいと思うことにはいつも正直な人だ。


僕が小学生の頃、サッカーで区の選抜チームに選ばれたときの話だ。


練習場には、区内の様々な小学校から、それぞれの顧問の先生と選手と、その保護者が集まっていた。


初めての僕でもはっきり分かるほど、そこに“派閥”があるのを感じた。


区のなかでいつも一二を争っていた小学校の顧問の先生(髪型から体型まで西郷隆盛にそっくりの監督)が中心にいて、それにまとわりつくようにして、他の学校の顧問たちが集まり談笑している。


その西郷隆盛監督は、我こそが選抜チームの主だと言わんばかりに威張り散らしていた。


そんな顧問の鏡のように、彼が普段監督している強豪小学校の選手を中心に構成された選抜チームもまた、絵に描いたようにクソ生意気な奴らばかりだった。


あの威張り散らす西郷隆盛の下では、そんな選手しか育たないのだろう。


区内ではいつも下位に甘んじていた新参者の我が母校のメンバーは、グラウンドの端でただただ佇むしかなかった。


練習が終わり、学校ごとに別れて後片付けをしていたときのことだ。


グラウンドの端に敷かれたブルーシートに置いてある荷物を片付けている僕たちとは別に、選抜チームの中心選手たちはコートブラシを持ち、グラウンドで横一列に並んで整備をしていた。


恐らくいつもそうしているのだろう、さも楽しげにヘラヘラと笑い喋りながら、タラタラと作業している。


それを見守っているのか何なのかよくわからない西郷隆盛たちも、これまた楽しげにグラウンドの脇で固まって談笑していた。


そのときの僕らは、何だか肩身の狭い思いだった。


荷物はとっくに片付いているというのに、帰ってもだめ、手伝うにもその輪に入ったらいけない雰囲気で、とにかく待つしかなかった。


悲しいやら、切ないやら、虚しいやら。


幼心ながらにも、集団の煩わしさを感じていた。


そのときだった。


僕の母が、グラウンドに向かって歩いて行った。


すたすたと、僕と妹を置いていく、いつもの歩き方だった。


グラウンド上で横一列に並んで談笑しながらいつまでも終わらないグラウンド整備をしている選手たちのところまでたどり着くと、母は一人の選手からコートブラシを奪い取った。


一体何が起こったのか、その場にいた全員が驚いた。


そして、普段は口数の少ない寡黙な母が、ものすごい剣幕で選手たちを怒鳴った。



「あんたらいつまでタラタラしとるんね!早よしんさいや!」



コートブラシを握りしめた母が、先ほどまで談笑していた選手たちの何倍もの速さでグラウンド整備を始めた。


これには、あの西郷隆盛たちも冷や汗をかいた様子で慌てていた。



「お、おい!お前たち!代われ代われ!」



西郷隆盛に言われて、選手のひとりが、申し訳なさそうにして母の手からコートブラシを受け取った。


尻を叩かれた馬のように小走りでグラウンド整備をはじめる。


母は彼らを背にして、僕らのもとに戻ってきた。


出て行ったときと同じように、すたすたと涼しい顔をして歩いてきたのを覚えている。


練習場の端で、痺れを切らしながら片付けを待っていた保護者たちは、母を迎えると一斉に拍手をした。


そのときの母は、何も特別なことはしていないといった風情だったけれど、待っている人たちがいることも忘れてヘラヘラと楽しんでいる西郷隆盛たちのことが、きっと我慢ならなかったのだろう。


あの練習場の中で、僕たちはポツンと、忘れ去られたみたいに、蚊帳の外だった。


拍手で迎えられた母は、いつの間にか保護者たちの輪の中心にいた。


その中で最も背が小さかった母だが、僕から見える母の後ろ姿は、誇らしくて、他の誰よりも大きく見えた。

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