あの日々で息子が教えてくれたこと

私には今二人の娘がいる。
でも、私には娘達の上にもう1人息子がいた。
息子は生まれて遺伝性の難病、メンケス病による合併症で9ヶ月手前で突然亡くなった。
その時はわからなかったたくさんのこと。息子はあの時私にたくさんの事を残していってくれた。それを書こうと思う。

息子を妊娠して出産前に臍帯血検査をした。
(へその緒から胎児の血液を取りメンケスの保因者かの検査)
案の定保因者。それからの出産までの道のりは不安でいっぱいと同時に普通の妊婦さんが抱く子供への愛情だった。
生まれてきた息子はもちろん可愛い。
でも、この子は本当にいつまで生きるかわからない。
私もその日から手探りの日々が始まった。
息子は黄疸も強かったため保育器から出られない日もあった。体内の酸素濃度も低く、常に保育器には酸素が入れられていた。
でも、やっぱり息子は可愛い。仕事柄子供は好きだったがわが子は格別。
でも、私の子供にはたくさんの線が機械とつながっててそれらは今この子が生きていく上で必要なものだけ。
息子はその時生きているというより、機械によって生かされているようだった。
まだ22歳だった私には荷が重すぎた。子育てを甘く見ていた。
メンケス病は体内で銅が作れない病気。だから皮下注射で体内二一日一回銅を入れていた。
痛くて泣きわめく息子。
それも慣れるのだろうか、それとも諦めているのだろうか、いや、どちらでもないと思うけどいつの間にか泣かなくなった。それはそれでなんか悲しかった。
ただ、この頃にはもう保育器から出て、自発呼吸もできるようになっていた。
ただ。それだけ。
ただそれだけだけど、私は泣いて喜んで息子を抱きしめた。息子はたくさんミルクを飲んでくれた。
相変わらず線はくっついてるけどそれでも良かった。
母親としての温かさを体いっぱいで直接感じさせられたから、それだけで嬉しかった。
それからは体調もよく、食欲もあり無事、生後1ヶ月で退院が決定した。
やっと家に帰ってきたよ。ここで三人で暮らすんだね。嬉しいね。

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