エストニアどうでしょう ②ー② 世界遺産 タリン旧市街散策

前話: エストニアどうでしょう②ー① タリンの第一印象
次話: エストニアどうでしょう③ エストニア滞在二日目に突然インタビューされて現地の新聞に載った話

【注目】エストニアのブログ書いてるよ! http://selohan.com/


タリン、ヨーロッパ初めての朝・世界遺産タリン旧市街


エストニアに到着して初めての朝を迎えた。

僕は起きてすぐに、散歩に出た。ホテルの玄関を出て、歩き始めるとすくに、昨晩タリンの街に抱いた懸念は間違っていたことに気づいた。


昨晩僕が夜更け前のタリンの街に抱いた印象は、ホテルのフロントの女性が綺麗だったことを除けば「旧ソ連・埃っぽい・暗い・発展途上国」といったネガティブなものだった。


しかし一晩明けてみてどうか。そこに広がっていたのは紛れもなくヨーロッパの街そのものだったのだ。


高く青い空、緑色の葉をつけた大きな木々、右側通行の車道、ヨーロッパ特有のストリートの表記、林の先に見えるレンガ造りの塔、夏なのに冷涼な気候


それらを一時に体感した僕は「ついに来た!自分は本当にヨーロッパに来たんだ!」という感動と清々しい気持ちで心が満たされた。



初めて一人で行った外国。だけどそんな不安を打ち消すような、幸先の良いスタートだった。


そしてスタートを切ったその日、僕は朝から語学学校に行くことになっていた。


事前に日本からメールで連絡を取ったのは語学学校の校長だけで、その時点では頼れるのはその人しかいなかった。このとてもリーズナブルなホテルを紹介してくれたのも校長だった。


その日は初日だったので、語学学校の校長が直接ホテルのフロントまで迎えに来てくれた。


校長
ナイストゥーミーチュー!
ナイストゥーミーチュー!


語学学校校長である彼女の名前は カトリーン。エストニアの第二の都市「タルトゥ」出身の中年女性だった。見た目がムーミンママみたいだと思った。


ホテルから語学学校までは目と鼻の先だったので二人で歩いて行くことにした。緊張していたのと英語で話すので精一杯だったので、あまり詳細な内容は覚えていないが、簡単な自己紹介をした。


ものの5分で語学学校に着いた。



校長
道は覚えられた?
もちろん!
校長
一本道だから迷いようが無いわね。


校長
もうすぐ英語の先生が来るわ、教室で待ってて


教室でしばらく待っている間、室内を眺めていた。室内にパネルヒーターはあるけどエアコンは無し、窓は二重になっている。うーん。いかにも冬寒くて夏涼しい北欧っぽいなあ!!


しばらくすると、白人の英語教師が登場した。彼の名はアンドリュー。イングランド人の英語講師だった。


英語講師
よろしく
よろしくお願いします
英語講師
アンドリューです。どうも。
どうも。シンヤです。
英語講師
早速だけど外に出ようか
えっ?なんでですか?
英語講師
初回だから今日はフィールドワークも兼ねて旧市街を案内しようと思ってね。
旧市街を案内してくれるんですね。是非!


語学学校の目の前に旧市街はある。旧市街を中心として道路が環状になっていて、その環状道路沿いに語学学校も泊まっているホテルもあるのだ。だからだいたい何処に居てもだいたいタリン旧市街は僕の目の前にあることになる。


世界遺産が常に目の前にあるなんて。


アンドリューは旧市街を歩きながら色々と説明をしてくれた。僕たちはピック・ヘルマン塔(「のっぽのヘルマン」の意味。エストニアの通りや建物の名づけ方は素朴で可愛い。)を左手に眺めながら通りを進んだ。


のっぽのヘルマン


石畳と国会議事堂(トームペア城)が見えてきた。アンドリューがソ連からの独立直後に、この議会前でロシア系住民とエストニア系住民との間で衝突があったことを教えてくれた。中世から続く世界遺産の旧市街の中に、現代の政府で実際に使われている建物が同居しているのはなんだか面白い。


国会議事堂の石畳を挟んで向かいにある「アレクサンドル・ネフスキー大聖堂」に入った。中にいる女性が、ずきんをかぶっている。


アンドリューは「ここは伝統的なタイプのキリスト教だ」と教えてくれてた。ここは正教会の聖堂なのだ。


エストニアは世界有数の無宗教国家だ。僕はそんな無宗教の国で古いタイプの教会が存在して未だに機能していること自体が興味深いと思った。かつてエストニアが含まれていたソ連では、無神論を掲げてあらゆる宗教を弾圧していた。ロシアではソ連崩壊後にロシア正教が一気に復活したが、エストニアでは全くといっていいほど復活しなかった。ソ連崩壊後もエストニアの大多数の人々が無宗教のままである理由は定かではないが、エストニア人の友人曰く「無宗教だけど普段やってることも倫理観もキリスト教の国の人たちと何も変わらないよ」ということだった。無宗教ながらクリスマスの時期のラエコヤ(旧市庁舎)広場にはクリスマスツリーがデカデカと飾られているし、無宗教ながらそのクリスマスツリーを世界最古と大々的にアピールしていることからも、友人がそう言ったのも頷ける。キリスト教が多数派と言われる国の人だって先進国の人は粗方そういう宗教観だと思う。


教会をあとにし、僕たちはラエコヤ(旧市庁舎)広場に向かった。

ここも広々としていて雰囲気が良い。360度中世ヨーロッパ風の建物に囲まれている。


ラエコヤ広場

ラエコヤ広場の中心にある地面には直径1メートルほどの石で出来た丸いマークがある。

アンドリュー
この丸いマーク何だったっけかな。
アンドリュー
何か由来があったはずなんだけどな…思い出せないや・・・



ラエコヤ広場の丸いマーク


後日調べたところ、そのマークは上に立つと旧市街を象徴する全ての建物(旧市庁舎、聖ニコラス教会、聖オラフ教会、聖マリア大聖堂、アレクサンドル・ネフスキー大聖堂)を同時に目にすることが出来るというとてもお得な地点だった。



その後、アンドリューと僕は旧市街にある展望台に向かった。


おおっ!


ガイドブックやネットで見たのと丸っきり同じ風景だ。白い壁に赤い屋根の建物の数々。そこからはタリン旧市街が一望できた。

いいねいいね!


やっぱりこういう風景を見なくちゃ来た意味が無い。



展望台からの風景



展望台にはロシア本土から来たと思しきロシア人の観光客がたくさん居た。エストニア人と比べて声が大きくて態度も大きかった。人が登らないような石垣に登って記念写真を撮ったりしていて、やっぱりロシア人はおとなしいエストニア人とは違うなあと、エストニアに居る外国人の一人として感じていた。


国としてのロシアはソ連時代はエストニアを支配下に置いていたし、ソ連崩壊後もプーチン大統領が何かと外交的にプレッシャーをかけたりしている。そういった感じで両国と両国民はややこしい関係にある。本で読んで知っては居たけど実際にそれを目の当たりにすると、多民族国家故の難しさを感じる。タリンは人口の約四割がロシア系だ。


ロシア系の人はエストニア人よりも一般的に声が大きかったり気が強い印象が僕にはあるが、人口で言えば逆にエストニアでは少数派、しかし国と国との関係で言えば、これまた逆にロシアの方が強大で、外交的には絶えず国境線上でエストニアに対して圧力をかけている。そして特にタリンのエストニア人は僕の見る限りロシア系を含めた外国人に接するのがとても苦手で、自分からは外国人には全く話しかけないこともザラだ。そのせいかタリン市議会の第一党はロシア人の政党だ。(←スイス人の友人情報) なんというか、難しい。本当に難しいなと僕は思った。


僕とアンドリューは展望台を離れ、語学学校に戻る前にカフェでアンドリューにコーヒーをご馳走してもらうことになった。しかしヨーロッパでは、コーヒーというと夏でもホットが基本なのだろうか。アンドリューは真夏なのにホットを頼んでいた。何も知らずに僕がアイスコーヒーを頼むとホットの三倍の値段がした。そしてアンドリューは三倍も値段がする僕のアイスコーヒー代を嫌な顔一つせず支払ってくれた。アンドリュー、三倍も値段がするって知らなかったんだ。なんか、ありがとう。ごめん。


ちなみにカフェには何故かアンドリューの友人であるスイス人 ダリオ、南アフリカ人 デレック も居合わせた。南アフリカ人のデレックは白人なのだが、彼が自己紹介で南アフリカ人出身だというと必ず「アフリカ出身なのに黒人じゃないの?」とよく言われ、それにいつも苦笑しているそうだ。そういえばテスラモーターズのCEOで有名なイーロン・マスクも南アフリカ出身の白人だ。Wikipediaによると、南アフリカの人口のおよそ10人に1人は白人であるらしい。南アフリカには白人は割りとたくさんいる。覚えてきたい事実だ。(ちなみに南アフリカ人のデレックは、かのラグビーワールドカップの伝説の試合「日本VS南アフリカ戦」をスポーツバーで観戦しようと僕を誘い、全ラグビーファンをひっくり返らせるような想定外の試合結果に激しく落ち込むことになった人物だ。)


そんな感じでアンドリューの友人にも偶然会い、旧市街ツアーを終え僕たちは語学学校に戻って来た。


語学学校に居たカトリーンが僕に訊ねた



カトリーン(校長)
あなたはどうしてエストニアに来ることにしたの?
うーん…
エストニアの事を知ったのはたった三ヶ月前だったんだけど…
全く知らない国に行くってなんか楽しいじゃない?
ネット投票とかするのも格好いいなって思って
カトリーン
ふーん。なるほどねえ〜
カトリーン
実はこの学校に来た日本人はあなたが二人目よ。
へえ、一番目は誰だったの?
カトリーン
一人目は日本大使館の大使の奥さんよ
じゃあ旦那さんの仕事でついてきただけなんだね。そんなに日本人全然居ないんだねえ。
カトリーン
全然居ないわねえ。本当に・・・


そう、エストニアには日本人は居ないのだ。いやその後タリン滞在中に何人か街中で目撃しているので、居ることは居る。街なかでまれに日本人とすれ違うと存在がお互いに希少種過ぎて、その日本人と僕とずっと見つめ合ったままになる事が多い。「YOUはどうしてエストニアに?」状態だ。どういう経緯で、どういう理由で彼らは日本からエストニアに来ることを選んだのだろう。僕がそう思って見つめていた時、多分向こうも同じことを思っていたはずだ。それ程にエストニアでは日本人はレアな存在なのだ。



あ、そういえば

思い出したようにカトリーンは言った

今日は自由広場でセレモニーがあるのよ。良かったら行ってみてね。


英語力が無くて何のセレモニーかまでは聞き取れ無かったが、セレモニーと言うほどだから行けば判るだろう。

わかりました。ありがとう。行ってみます。

こうして、僕はアンドリューとの初日の初顔合わせを無事終え、語学学校をあとにした。


そしてこの後、語学学校からこれまた歩いてすぐのタリン自由広場で、僕はおそらく一生忘れられぬないであろう体験をすることになったのだった。


【注目】エストニアのブログ書いてるよ! http://selohan.com/

著者の加藤 伸弥さんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

エストニアどうでしょう③ エストニア滞在二日目に突然インタビューされて現地の新聞に載った話

著者の加藤 伸弥さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。