【ベルリン】見知らぬ人にフレンドリーな街 同性愛者に優しい街は、独身アラサー男子にも優しかった
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エストニアで半年過ごしたあと、僕はベルリンに移動した。せっかくヨーロッパに来たからには小国だけでなく大国での生活も体験したかったからだ。ベルリンと言えば同性愛者が多い街としても有名だ。世界有数のヒッピー文化の街でもあるので、とにかく街中にリベラルで寛容な空気がある。どこの国でもそうなのだが、基本的に首都で生活している人はその国の地方都市の人間と比べて、僕のような一見さんには冷たい。これはヨーロッパで色々な国に行って感じたことだ。ところがドイツのベルリンは違う。首都なのに人々がとてもフレンドリーなのだ。スマホ片手に歩いていると、急に通行人が「道に迷っているのか?」と笑顔で話しかけてくることがある。しょっちゅうある。さらにフレンドリーさにおいてすごいと思ったのはマイノリティであるトルコ系移民も僕に優しかったことだ。僕はベルリンにいる間、よくトルコ人の経営するケバブ屋に行きケバブを食べていた。食べまくっていた。そこにいるトルコ人の店員も僕がいつ行ってもフレンドリーに語りかけて来るのだった。商売の時だけでなく、道端でも同じだ。マイノリティが僕のようなさらなるマイノリティに話しかけてくるのは空気として結構すごいことだと思った。彼らの中でも、ベルリンで感じる疎外感よりも受け入れられているという感覚の方が大きいのだろう。首都でこれはすごいことである。
ベルリンの中心にある大広場・アレクサンダープラッツ (筆者撮影)
ベルリンのように<知らない人に気兼ねなく話しかける>ことが出来る空気感を持った街は良い街だと思う。これは国や地域によると思うが、日本に居た時に僕は年々人と人の距離が遠くなって来ていると感じていた。特に対人関係においては「知っている人」と「知らない人」の極端な2択しか無く、「知らない人」に対しては接し方や声の掛け方すら分からないという空気になってきていると思う。今の日本社会において「知らない人」と関わることは「リスク」だと無意識に思っている人が多いからだと思う。少し悲しいことだ。
だから今の日本の道端で知らない人に話しかけるのなんて、営業と新興宗教とナンパ師ぐらいだと思う。わりとマジで。
だからポケモンGoを初めとした位置情報を活用するゲームなどが媒介となって、どんどん現実のコミュニケーションに良い影響を与えてくれれば良いと思っている。
余談だが僕は普段日本に居た時は大阪に住んでいるのだが、一人旅で東京に行った時、こういう現代の日本の<人と人との疎遠化>に対抗するために、見知らぬ人に声をかけまくるという行為をしたことがある。東京に向かう夜行バスの中でも隣の若者2人に声をかけた。現代日本の若者で急に話しかける人はまれなので相手は最初驚いていたが、やはりお互い人間なので話してみればそれなりに盛り上がるものである。
一人はボストンの音大を卒業したばかりで、プロのティンパニ奏者になるべく日々鍛錬していた、彼は成田からボストンに戻り、マンションを引き払う手続きに行くのだという。世界中のオーディションを受けてはいるが、中々受からず本当に音楽だけで喰っていけるのか将来がとても心配だと語っていた。
もうひとりはのび太のような風貌の大人しそうな慶応大学の1年生だったが<入学当初大学デビューしてリア充になろうとチャラいサークルを8個掛け持ちしたが全滅し、最終的に日陰者の集まるオタクサークルに落ち着いた>という現代の大学生なら誰もが共感できるであろう面白エピソードを語ってくれた男子だ。
僕はその2人とバスの電気が消えるまで話し続けていた。2人とも面白すぎるじゃないか、もし声をかけていなかったらこの楽しい時間は訪れなかったのだ。現代だからこそ意志のあるものは敢えてストレンジャーに話しかけなければいけない。
この世にモブキャラなんて居ない。モブキャラは話しかけた途端に物語の登場人物に変わる。夜行バスで東京についた僕は翌朝、地下鉄の六本木駅の平日昼間なのに誰も居ないホームで、ふらふらと歩いているお婆さんに話しかけた。
なぜ話しかけたかと言うと当時の僕の仕事である高齢者福祉の職員の習性で<転倒の危険がある老人>が視界に入ると僕は自動的に目で捕捉して声を掛けしまうからである。骨粗しょう症の老人は転倒しただけで複雑骨折全治何ヶ月ということがザラにある。
つまり声をかけたのは<疎遠社会に対抗する>という大げさな目的のためではなく単なる職業病である。僕はそれを六本木のど真ん中で実行してしまった。もちろんお婆さんは話してくれた。
お婆さんは田園調布出身でバイオリンのレッスンから家に帰る所だったのだ。割りとそれまでに会ったことのないタイプの本物のお金持ちだった。ベンチで数本の電車を見送りながら僕たちは話し続けた。そして別れ際に彼女は
と言って電車に乗って去っていった。
このように退屈な日常は実は宝物に溢れている。その宝物を掘り起こすには、大多数の人が常識として無意識に内面化してしまっていることを自分でもう一度考えなおして実行しなければならない。
前置きが長くなったけど、つまり僕が言いたいのは、日本では僕が単独でそういうことをしていたけど、みんながそういう風になればもっと過ごしやすい世の中になって素晴らしいのになと思っていたということだ。
そしてそんな "フレンドリーな世の中" に既になっている街の一つが、ここベルリンだ。
今回はそんなフレンドリーな街、ベルリンのゲイのカップルを目撃した時の話だ。それがなぜ独身男性である僕にゲイのカップルが関係があるのか。日本でも人によるとは思うのけど、例えば街中で一人で歩いている時に、カップルばかり居る場所に入ってしまって少し気まずい気持ちになったことは無いだろうか。気にしない人も居ると思うが、僕はわりと気にする方である。例を挙げよう、エレベーターに入ったら自分とカップルだけだった。そしてカップルはすごくイチャイチャしている。3人だけの閉ざされた空間で<2対1>。敵軍勢力<2>に対してこちらはたった一人の<多勢に無勢>。3人はただエレベーターに乗っているだけであり、1ミリも争っているわけではないが、なぜかこちら側の独身陣営が<劣勢>に置かれているような気持ちにはならないだろうか?僕が自意識過剰なだけと言われればそのとおりだ。しかし気にしてしまうものは気にしてしまうのだ。僕は特にそうだ。
そしてこちらヨーロッパに来ても同じことは起こった。ヨーロッパでは日本と違ってカップルはひと目をはばからずにイチャイチャしまくっている。街中で熱烈なキスなんて極日常の風景であり当たり前の出来事だ。おとなしい人の多いエストニアですらそうであった。慣れたといえば慣れたが、やはり心がざわつく時も多かった。
そんな僕が新たな気づきを得たのがベルリンのフンボルト大学の付近を歩いていた時だった。僕がふらふらとあてもなく歩いていると、前からイチャイチャしたカップルが3組も立て続けにやってきた。いつもどおり僕の心はざわつき始めた。
しかしその数秒後僕の心は洗いたての木綿のごとくまっさらとなり、身体中から全ての邪念が消え去ったのである。
1組目、男女のカップルが近づいてきて僕の横を通り過ぎた。僕の心はざわざわしている。
2組目、また男女のカップルがイチャイチャしながら通り過ぎた。内心「早く3組とも通りすぎてくれ」と思っている。
しかしその次、3組目にイチャイチャしながらやってきたのは男同士のゲイのカップルだった。
そしてそれを見た瞬間、僕の心は驚くほど晴れ渡ったのだった。
いったいこれはどういうことなのか、僕の心の中では何が起こっていたのか、この現象を説明しよう。
日本でエレベーターに乗っていた時の僕の構図は
独身者 VS 異性愛者のカップル
という2項対立であり、<お互いに無限に承認し合える関係vs自分自身を孤独に鼓舞する単身者>という対立構図が成り立つ。そもそも対立させる必要は無いのだが、独身者側が自我を防衛するために無意識的にカップルを仮想的と見做してしまう場合は割りと日常生活で多いと思う。もちろん逆にカップルが独身者を仮想的として見做すことはほとんど無い。しかし独身軍は自分を守るためによせばよいのに不必要にもカップルと自分を対立構図に持ち込んでしまう。そして一度対立させてしまえば十中八九こちらが敗北するのだ。自動的に。
しかしここベルリンではそれは杞憂であった。なぜならフンボルト大学の前のストリートで起こった事は以下の構図だからだ。
独身者 VS 異性愛者のカップル VS 同性愛者のカップル
なぜ同性愛者のカップルが加わると独身者である僕の心が救済されるのか、なぜならそれは僕が<性的指向性 もとい 愛の志向性 の 多様性に気づいた>からにほかならない。
日本では愛の方向性は異性愛でしかお目にかかることはない。
女⇔媒介としての愛⇔男
日本における「愛」は上の構図としてしか存在しない。それ以外のものは「愛」としては承認されていない。ただ単に独身者は愛を持て余しているだけの存在とみなされる。
しかしベルリンでは上記の構図に加えて以下の構図もなり立つ
男⇔媒介としての愛⇔男
女⇔媒介としての愛⇔女
いわゆる同性愛だ。
さらにこれらが成り立つということは「媒介としての愛」の概念はさらに色んなものに当てはまることになる。例えば僕の場合は
独身者の僕⇔媒介としての愛⇔独身者の僕
という風に「ナルシズム」として認識することも出来る。哀れな独身者だった者がとたんに崇高な愛の物語の主人公に変貌を遂げた。
(※もうちょっとお付き合い下さい)
つまりここには
異性が好きな人 ・ 同性が好きな人 ・ 自分が好きな人
という構図が成り立つ。
さらにここには
神が好きな人・イデオロギーが好きな人・国家が好きな人
も含まれると思う。
なぜなら人とこれらの物の間に「媒介としての愛」を置くことは可能だからだ。
さらにもしくは「媒介としての愛」をそもそも持ちあわせていない、「愛とか本当にどうでもいい」という人間も同時に存在が認識されることになる。
つまりここまでの話を一言でいうと 日本は一つしかないが、ベルリンは何でもあり だということだ。もちろんこれは性的指向性だけの話にとどまらない。社会における様々な側面においてこういった出来事が存在するのだ。これが多様性なのだ。
そしてこのような体験を通して僕は日本で失った独身者としての尊厳を再びベルリンで手に入れたのだった。
日本では多様性は大事だと言葉ではやたらめったらとよく聞く。言葉ではなく、実際にそれを現地で体験して脳と身体がそれを理解するというのはこういうことなのだ。
僕は別に海外サイコー日本はダメと言っているわけではない。それぞれの何が良くて何がダメなのかは実際に体験してみて自分で判断すれば良い。日本がベルリン以上にすばらしいところもたくさんある。
でもこの文章で「僕が何を言っているのかよくわからないけど、なんとなく海外に興味がある」と思ったことがある人は全員一度どこか気になる国に行ってみるべきだ。
僕のように、思いもよらぬ「気づき」が必ず起こる。
ベルリン フランクフルターアレー (筆者撮影)
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